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1/26/2023, 2:20:05 PM

ミッドナイト


それに出会ったのは、疲れ果てて今にも倒れてしまいそうなときだった。何連勤したのかすら覚えていないくらいに連勤が続き、自宅と会社を行き来するだけで、ろくに何も食べていないこの体はもはや気力だけで動いていた。
街は夜なのにネオンの光がびかびか、と輝いて疲れた目には痛い。そこからそらすように、視線を路地裏へと向けた。
そこには路地裏には似合わないほどに洒落た看板があった。木製の看板がわずかな風に揺れて、誘われているようだった。
『ミッドナイト』そう書かれた看板に自然と体が吸い寄せられるように、動き出す。
こんなことしてる場合じゃない、早く帰って寝ないと。そう思うのに、手は勝手にドアノブを回し開けてしまった。
カランカラン、と低い鐘の音がして、中に入ればそこはなんとも不思議な空間だった。
暖炉がぱちぱち、と音を立て部屋の中を優しく照らす。アンティーク調の家具が異国感を漂わせるが、どこか安心するような、懐かしいような気がして肩の力が抜ける。
いや、でもそれよりも気になるのはさっきからそこら辺を飛んでいる羊みたいな生き物と海月みたいなやつらだ。ふわふわとゆらゆらと縦横無尽に飛び回っている。
疲れすぎて幻覚でも見ているのだろう。そう本気で思えるくらいにはありえないものだったし、疲れていた。
「いらっしゃいませ、ようこそミッドナイトへ」
奥から一人の女性がそう言ってやって来た。人間離れした美貌に見惚れそうになり、その耳が妖精のように尖っているから、やっぱり夢でも見ているのだろう。
「眠れないのですか?」
「へ……?」
「眠れないから、ここへ来たのでしょう?」
「むしろここが夢では?」
「ふふふ、面白いことを言うんですね。夢じゃありませんよ」
そう言われて、なんとなく頬をつねればちゃんと痛かった。別の意味で倒れそうになったのは言うまでもない。
運良く、なのかそのままソファに座り込む形になる。ふかふかのそれは今まで座ったどの椅子よりも柔らかかった。
一匹の羊がふわー、とやって来て膝の上に収まる。クッションのように抱きしめれば、小さくめぇー、と鳴いた。
「眠たいはずなのに、眠れないんです」
気がつけば、そうこぼしていた。ろくに眠れていないのに、いざ寝ようとすると逆に目が冴えて、夜中に何度も目が覚めたりして、満足に眠れていなかった。
ぽつぽつ、とそう話せば、女性は優しく微笑んだ。
「あなたにぴったりな子がいるんです」
そう言って、女性はおいで、と誰かを手招きした。やって来たのは、幼い女の子だった。礼儀正しくお辞儀をして、微笑む顔はどこか大人びている。
少女はランプに手をかざして部屋の明かりをほの暗くした。いつの間にか座っていたソファはベッドへと変わり、あっという間に眠る準備が整えられる。
少女はベッドに横たわり、たしたし、と布団を叩いて同じく横になるように促す。若干おそるおそるといった感じで横になれば、よくできました、と言わんばかりに頭を撫でられた。
頭を撫でられるなんていつ振りだろう。その小さな手があたたかくて、心地よくて。もっと撫でてほしい、と頭を軽く押しつければ、ころころとした笑い声が聞こえてきた。
久々にこぼれたあくびに、誘われる眠気に逆らわないまま眠りについた。

ぱち、と少し目が覚めてしまって少女の方を向けば、ひそひそ話をするように小さな声で言われる。
「もう少し寝な」
「……ねむれない」
そう少し駄々をこねれば、仕方ないなぁ、と笑いながら知らない子守唄を歌ってくれた。
その不思議な音色に乗って、また眠りについた。

次起きたときはもう朝で、久々にものすごく眠れた気がした。
少女と女性にちゃんと寝ること、と注意されながら、その店を出る。
その日からはちゃんと眠るようになったし、眠れるようにもなった。そのおかげか、あの店を見かけることはない。確かにあったはずの路地裏に行ってもそこには何もなく、あれはきっと『そういう』ところなのだろう。

きっとどこかにある添い寝やさん。でもどこにもない。
それはあなたが困ったときに、あなたの元に現れる。

1/25/2023, 2:06:09 PM

安心と不安


どっちが先だったんだろう。
不安なことを考えてしまうから、そうならなかったときに安心するのかな。
それとも、安心をもうすでに知っているから、それがないと不安になるのかな。
対となっている感情はどちらが先に生まれたんだろう。
もし、片方だけ覚えていられるのなら、不安という感情を覚えていたい。
そうしたら、きっと新しく覚えた安心とかいう感情をもっと大切にできる気がするから。

1/24/2023, 2:18:41 PM

逆光


「もう、終わりにしよう」
目の前に立つ彼女は、そう別れを告げた。
なんで、とか、どうして、だとか言いたいことはいっぱいあったけれど、どうもこの口は思い通りには動いてくれなかった。
「……わかった」
そう言えば、彼女は安心したように笑った、気がした。このときだけは、彼女の顔が逆光で見えなくてよかったと心底思う。
もし泣いていたりでもしたら、きっと終わるに終われなかったから。

1/23/2023, 2:37:02 PM

こんな夢を見た


夢を見ていた。悲しくて、辛くて、苦しくて、目の前が真っ暗で、きっと人生のどん底から見た景色と同じ感じの、そんな夢だった。
不幸の詰め合わせ、なんて嬉しくない響きがよく似合う。
早く夢から覚めたくて目を開けたら、そこには優しい人がいた。母のような、姉のような、ともすれば親友のようなその人はあたたかいこの空間で、いつも出迎えてくれる。
怖い夢を見たの、そう言えば、彼女は両手を広げて、包み込んでくれた。心地よさに包まれて、安心する。怖い思いも痛い思いも、もうしなくていいんだ、とようやく自由になれた。そんな気がした。
いかに怖かったか、いかに酷い夢だったかを語れば、彼女は少し困ったように眉をひそめた。
そして彼女はいつものように優しい声でこう言った。
「それは夢じゃないよ。夢なんかじゃ、ない」
「え?」
「あなたが経験してきたことだから、それは全部夢じゃない」
「何言ってるの? ここが現実でしょ? こうやって触れるし、目を覚ましたらここにいた! そうでしょ?」
「ううん、眠っているの。あなたは今夢を見ているのよ」
「う、そだ……」
「ごめんね、でもあなたはあなたの世界を生きなくちゃ。こっちに来てはダメなのよ」
「なんで? こんなにあたたかくて、優しくて、幸せな世界なのに?」
「あなたが、そう作ったから。だからここはそういう場所になった」
「じゃあ、私の世界じゃん!」
「確かにあなたが作った世界ではあるけれど、あなたの生きる世界じゃない」
「……そんな、」
「さあ、起きるのよ。目を開けて。怖がらなくていい。私たちはいつだってここにいる。また戻ってきてもいいから。だから、私たちを作ったあなたが私たちと同じ存在にならないで」
悲しげにそう言う彼女は、まるで最後の別れのようにきつく抱きしめる。
「ごめんね、こんな形でしか愛してあげられなくて」
どちらの涙かわからないそれが絨毯を濡らす。徐々に遠くなる意識の中、彼女が優しく微笑んだ顔が最後に見れた気がした。
目が覚めたら、病院のベッドらしきところに横たわっていた。心配してくれる人も、見舞いに来る人も特にいないことはわかりきっていたから、そっと息を吐く。
願わくば、もう一度彼女に会いたいけれど、怒られそうな気もするから、もう少しだけこの世界にいることにしよう。
なんて、柄にもないことを思いながら、あれが夢であったことをようやく理解した。
これは、そんな夢を見た話。

1/22/2023, 2:09:46 PM

タイムマシーン


「あのさ、タイムマシンに乗ってやって来た、って言ったら信じてくれる?」
君はそう言った。重苦しさの欠片もないような声で、口元には笑みを浮かべている。
「はい? 冗談でしょ?」
いつものようにからかわれたか、とそう聞き返せば、君はますます笑みを深めた。
「本当だよ?」
口元は確かに笑っているのに、そのたれ目がちな目がいつもより真剣な気がして、少しだけドキリ、とした。
「じゃあ、もしそれが本当だとして、未来からやってきたってわけだ」
「ほう?」
「だって過去にタイムマシンがあったら、今ごろみんな使ってるでしょ? だから君は未来から来たってこと」
「ま、そうだね。未来から来たよ」
「何のために?」
「……何のためだと思うー?」
「これって当てていいやつ? なんかパレちゃいけないんじゃないの、こういうのって」
「バレていいから話してるんじゃん。というか頼まれたんだよ」
「誰に?」
「このタイムマシンを作った人に。こんなもの作るなって、過去の自分に釘をさしておきたいんだって」
「それって、本当に私が聞いていい話か?」
「もちろん、だって君に頼まれたんだもん」
「え……?」
「タイムマシンは無事に完成する。でもね、それを披露する場で悲しい事件が起きたの。罪のない人々の命が奪われ、残された人々はこんなもの作らなければ、こんな日にはならなかったのに、と君を責めた。だから君は言ったんだ。『過去の私を止めてくれ』って」
頭がついていかない中、君の笑顔がこの場にはふさわしくなくて、なんだか身構えてしまう。
「だから君は私を送り込んだんだよ。人間ではないから、もしタイムマシンがうまく作動しなくても死ぬことはない。人間ではないから、君のこともあっさり殺せる。じゃあね、マスター」
「まっ!」
最後に君にマスターと呼ばれた瞬間思い出したんだ。小さい頃に描いた女の子のロボットの絵を。思えば、その絵の女の子もたれ目だった気がするが、流れ出る血がどんどんと思考することを奪って、いった。

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