金曜の夜、居酒屋で学生時代からの友人と二人でサシ飲みすることになった。
異性との友情は成り立つかって言われれば、実は俺は彼女が好きだから成り立ってはいないんだけど、成り立っているように振る舞うことはできる。
で、いつもの居酒屋でお互いにアルコールを口にしていたんだけど。
「タイムマシンがあったとしてさ、未来に行ったとしてさぁ」
「何、また唐突に。しかも未来限定」
香奈は酔うと大抵突拍子もない話をし出す。俺は笑いながら続きを促した。
「良いじゃん、未来で。未来に行って現在に帰ってきたらさあ。未来の時の記憶はあるのかなあ」
「さあ…って言うか、それ、だいぶ仮定の多い話だな」
「そお?」
「そーだよ。タイムマシンがあることが前提で、未来に行けて、現実に戻って来れなきゃいけないんだから」
「あーそーかあ」
「自分で言っておいて笑。知りたい未来でもあるの?」
「知りたい未来かあ。んーー別にないかも」
「なんだそりゃ」
酔っ払いの思いつき、戯言かよ。
ハイボールを口にしながら、未来に想いを馳せてみる。
ウーロンハイを飲みながら、ポテトフライに手を伸ばす香奈。
未来も、こうやって香奈と時折飲みに行って、くだらない話をして、笑い合っているのだろうか。
アラサーになっても、香奈は独身でいるのだろうか。
旦那がいて、子どもがいて、男と飲み会なんて以ての外だと旦那に反対されて、会えなくなって………
「健斗ぉ。なんか暗いよー?どしたー?」
背中をボンッと叩かれてハッとする。
「ん?酔った?」
「酔ってないよ」
グラスに残ったハイボールを一気に煽る。
「おお、一気にいったねぇ」
呑気に笑う香奈の手を握った。
「健斗?」
スマホを手に取り、姉ちゃんとのLINEを表示して結婚式場のWEBサイトのURLを開く。
ガラス張りの窓から真っ青な湖が見える、湖畔に立つリゾート地の結婚式場だ。
香奈にその画像を見せる。
「ここは?」
「姉ちゃんが来月挙式する式場」
「へぇ。すっごい素敵なところだね!楽しみだね!」
「おお。…香奈がタイムマシンに乗ったら、こういう所に行くかもよ?」
「ええっ、どうだろ。あたし、相手いないし」
両手を握って、ギュッとチカラを込める。
香奈は驚いて俺の顔を見た。驚いたせいでいつもよりも大きな瞳を真っ直ぐに見つめてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺が相手だとしたら?」
「ええっ!?」
驚いた拍子に引っ張られた手を俺の元へと引き戻す。
「えっと、冗談だよね、」
「未来に行ったとして、現在に帰ってきたとして、その未来の記憶があったら良いなって話」
俺の顔を凝視したまま、生唾をゴクリと飲み込んだ音が聞こえた。
「酔ってる?」
「酔ってないよ」
香奈は俺が香奈に恋心を持っていることがどうにも信じられないらしい。と気づく。
「冗談でも、酔っ払いでもないけどね」
「そんな素振り今まで一度も…」
「確かにして来なかったけどさ。香奈の未来を想像したら、俺がいつも隣にいられたら良いなって思っちゃっただけ」
「……」
「帰るか」
「…うん」
異性との友情を壊してしまった。
この先、香奈との関係がどうなるかは、今の時点ではわからない。
「あー、未来の記憶欲しいなぁ」
「へ?」
「香奈とこれからどうなるのか、めっちゃ怖い。先に知っておきたい」
香奈はプッと吹き出した。
「告白しておいて、怖くなったの?健斗、バカだー」
「ひでぇ」
「突然でビックリしたけど。多分、大丈夫だよ」
「……大丈夫って?」
香奈の顔を見つめる。
「ちょっと嬉しかったから、じゃない?」
照れて足早に歩く香奈を追いかける。
「今日さ、泊まっても良い?」
「ダメに決まってる。調子に乗らないで」
「やっぱり?」
「もー帰るよ」
家まで送って帰り際、香奈は俺を上目遣いに見上げた。
「あの、」
「ん?」
珍しく囁くような小声で聴き取りづらく、俺は少し顔を近づけた。
「時間もらえる?健斗のこと、考える」
「…う、うん。わかった」
ちゃんと考えてくれる。考えるって言葉にしてくれる。
嬉しくて顔が緩む。
「じゃ、じゃあね。送ってくれてありがと」
パタンと玄関扉が閉まる。
唐突な話題だったけれど、告白のキッカケになった。
しかも、望む結果になりそうな予感がする。
おっしゃ。
両手でガッツポーズをした俺を、実は香奈に見られていたの知ったのは、もっと未来の話。
未来の記憶
我が家には愛犬のチワワちゃんがいる。
もうすぐ7歳。人間に換算すると44歳。
という立派なおばさんだって知った時には信じられなかった。否、今も信じていない。
愛犬は、身体を撫でられるのが大好き。
「ただいま」って私が玄関を開けると、私の膝に両足を乗せてシッポを緩やかに振って出迎えてくれる。
愛犬を立たせたまま、私は腰を屈めて彼女の首筋や背中を撫でる。撫でる。撫で摩る。
もうそろそろ良いかと手を離すと、撫でていた右手に身体をくっつけてくる。
言葉を話さないのに、『撫でて』という要求だとわかる。
今撫でていたところが、撫でられて気持ちの良い場所だということも。
撫でる、撫でる、撫で摩る。
手を離すと、まだ、と私の右手に身体をくっつける。
玄関から靴も脱げずに撫で続けたけどキリがない。
「このまま散歩に行くよ」と首輪に紐を繋げたら理解して、玄関扉へとダッシュした。
『散歩行きたい』シッポがブンブン揺れている。
「外、寒いよ」
玄関を開けたら雪が舞っている。と言うか、吹雪いている。
さっきまで降ってなかったのに。すんごい寒い。ゲキ寒。
愛犬は、どちらかと言えば紐を引っ張って前へ前へ急ぐタイプではない。
飼い主の隣で、時折チラチラと飼い主を見ながら、飼い主と同じペースで歩くのが常だ。
それが今日、我先にと走る。
「寒い〜〜、でも平気なんだね。走るの珍しいね」
あれっ!?
珍しいと思った瞬間、愛犬は玄関へと猛ダッシュで帰宅。
玄関扉を早く開けろとドアノブ辺りを見つめている。
『寒いさむいさむい』『無理むりムリ』ってココロの声が聞こえた気がして、私は爆笑した。
「寒かったかー!寒いよねー!」
扉を開けると愛犬はすぐに身体を滑り込ませた。
愛犬は喋らない。
でも、何を要求しているのか、よくわかる。
彼女のココロは単純で愛おしい。
だから私は笑って今日も彼女の要求に従うのだ。
撫でてなでてと、
足をかけ、右手にくっつき、お尻をくっつけて、お腹を差し出す。
遊ぼうよと、
おもちゃを咥えてやってくる。
ご飯の時間だよ、おやつの時間だよ、とクンクン鳴く。
10分のズレもない正確な腹時計に舌を巻く。
日本語を喋るわけでも、ジェスチャーをするわけでもない。
でも愛犬のココロは他の誰よりも理解できる。
そして単純で愛おしい彼女のココロを、
今日も今日とて愛しむ私に、
愛犬は楽しそうに笑ってくれた。
ココロ
13歳の男の子が星になった。
短すぎる生涯に、ご両親の瞳からは涙が止めどなく溢れ落ちた。
小児科医の貴弘さんと貴弘さんのクリニックに勤務する看護師の私は、ご家族から連絡をいただいて男の子の自宅へ赴き、最期をご家族と見守って…
命の灯が消えたとき、貴弘先生は静かに優しく彼の臨終を告げた。
貴弘さんの声は震えなかった。
鼻ひとつ啜らなかった。
星になった男の子や家族を労い、家族と男の子のお別れの時間を過ごさせてあげるため、そっと部屋を後にした。
いつも頼り甲斐のある広い背中は、微かに震えている。
初めて見る哀しくて辛そうな背中だった。
抱きしめてあげたいのを堪えるしか、そのときの私にできることはなくて。
家族の前では優しくも冷静な医師であろうとするのをただ見守ることしかできない。
クリニックに帰ったら、悲しみを共有しようね。
恋人の私にできる唯一のこと。
男の子の自宅を出て涙が溢れないように視線を上方に向ける。
冬の夜空に星々が瞬いて、哀しみを遠くから慰めてくれるかのように美しい。
クリニックに到着して、医療器具やタブレットなどが入った荷物を診察室に置いた。
私は白衣を脱いだ貴弘さんに近づき、背中から抱きしめた。
「歩(あゆみ)…?」
「泣くのを我慢しないで。私しか居ないから。だからちゃんと泣いてね」
私の手に貴弘さんの手が重ねられ、強く握られる。
「歩は強いね。こんなときが訪れた時には、僕が慰めるつもりでいたのに」
「外科病棟で看取りの経験がたくさんあるから…」
「…そうか。辛いことをたくさん乗り越えて今の歩があるんだね」
貴弘さんはグスッと鼻を啜った。
私は抱きしめる腕に力を込める。
子どもが亡くなるのは本当に辛くて。
ご両親の痛みがダイレクトに伝わってやるせない気持ちにさせる。
成人や高齢者の看取りも辛かったけれど、子どもの死はその比ではなくて。
病気による寿命で最善を尽くしても救えない命があるけれど、医師としてはやっぱり患者さんを救いたかったり、苦しさを極力取り除いてあげたかったと思うから。
看護師よりもずっとその権限があるのが医師だから。
まして、患児にどこまでも寄り添ってきた貴弘先生だから。
どうしようもないことだとわかっていても、
とても悲しくて辛いよね。
泣いてもどうにもならないってわかっているけれど、
でも、今、泣いておかないと苦しさをずっと引き摺ってしまうの。
「貴弘さん」
「…うん」
「私、貴弘さんがもう良いよって言うまで、貴方の背中を放さないからね」
「…うん…」
涙が私の手を濡らしてゆく。
過去、辛い夜を一緒に乗り越えさせてくれた人を、今度は私が抱きしめる。
私の悼みも哀しみも、貴弘さんと共にあるよ。
悲しみに震える貴弘さんが愛しいよ。
泣きながら願う。
わずか13歳で星になった男の子へ。
--ご両親が星になるその瞬間(とき)まで、ずっと見守っていてください--
君の背中 & 星に願って
市の図書館の自習室。
先に来ている同級生を探し当てると、彼女は机の上に置いた自分の腕を枕に眠っていた。
【誰も知らない秘密】
赤点の追試対策に勉強を教えろって言ったのはこいつなのになー…
先日の定期テストの個票が、隣の席からひらひらと舞ってきた。
見せてくれたわけじゃないけど、偶然見ちゃったんだよな。
で、あまりの点数の悪さに愕然とした。
赤点スレスレ、数学と英語は赤点で追試。
俺だって、10位以内に入っているような優秀な人間じゃないけど、それにしたって。
目を見開く俺に、
「勉強教えて。数学と英語だけで良いから」
でっかい瞳をうるうるさせながら懇願されて、拒否できなかった。
だって俺はさ、こいつのことを同級生以上に想っているわけだし。ぶっちゃけ、好き、だし。
俺の部活が終わってからと約束して、帰宅部のこいつはじゃあ先に勉強してます!って張り切ってたんだよ。
それなのに。
教科書とドリルとノートを広げたまま、穏やかな寝息で眠ってるってどういうことだよ。
自分の荷物を隣の席の床に置く。
俺の席の確保のため、部屋の片隅の席のひとつ隣に座ったこいつ。
勉強する気はあったんだろうけど、睡魔に勝てないようじゃダメだろ。
ため息を吐きながらも、彼女の寝顔を眺める。
睫毛長いなあ、肌が白いなあ、髪の毛がつやつやして綺麗で柔らかそうだなあ、頭小さいんだなあ、華奢な肩だなぁ…
マジマジと見ることで今まで知らなかったことをたくさん発見して、胸が熱くなる。
机に溢れた髪を一房、指で摘んでくるくると巻きつけてみる。冷たくひんやりとして、そして指からさらさらと溢れていく。
もっと触れたい。
唇に目がいったらもうダメだった。
唇が荒れるのが嫌だと、授業の間の休憩時間にはいつも薬用リップを塗っていた。
ドラッグストアで同じリップを眼にするだけで、俺はいつも胸が騒がしくこいつを思い出してるくらい、こいつの唇は特別で。
ダメだってわかってるけど、でも。
テーブルに手をついて、まだ眠っていることを確認する。
そおっと唇に近づき、瞳を閉じて唇にそおっと触れた。
柔らかい、暖かい。
愛おしさが膨れ上がる。
そおっと唇を離し、こいつが目醒めていないことを確認して安堵の息を吐く。
まだ、知られたくない。
俺がこいつを好きなことを。
俺はこいつにとって、ただの同級生で、平均よりも少しだけ勉強ができるヤツに過ぎないのだから。
もう少し、距離感を縮められたら。
図書館で学習中の受験生の邪魔にならないように、声を顰めてこいつを起こす。
「おい、起きろ」
肩を強めに叩く。本当はもっと優しく触れたい華奢な肩を、少しだけ乱暴に。
「…んぁ、寝ちゃった、」
口許を拭う。大丈夫、よだれなんて垂れてなかったし、とても可愛い唇だったよ。
「なぁにが、先に勉強してます!だ」
「勉強はしてたんだよ、いつの間にか寝ちゃってただけで」
「今度寝てたらもう教えてやらないからな」
「そんなぁ」
へにゃりと情けない顔をする。
なんだろ、いつもよりもこいつは俺に素を見せてる気がする。
寝起きの油断?
俺しか知り合いが不在で周囲の目がないせい?
…楽しい。声を顰めた密やかなやりとりが、とても楽しい。
数学の問題を解かせてみると、使う公式すらわかっていないことに気がついた。
一から説明か。
酷い点数を見てなんとなく予想はついていたから、順を追って説明して理解させていく。
「わかったかも」
じゃあ、とさっきと似通った問題を出してみると、困った顔で見上げる。
「数字が変わっただけで、解き方は一緒だって」
もう一度説明する。
今度はすんなりと解いていく。
簡単な計算ミスで誤答だったけど。
落ち込んで頭垂れたから、「計算ミスだけ。進歩してるよ」と頭をポンポンとして慰める。
…なんか優しい、と呟いた声が聞こえた。
少し下唇を噛んで照れを隠すように横を向くこいつが愛しくなる。
少しずつ、距離感を縮められたら良いな…。
…キスで目醒めなくて良かった。
キスで目醒める物語は、両想いでこそ成り立つ。
だから、両想いになるまで。
ファーストキスは、誰も知らない秘密。
誰も知らない秘密
目覚ましの設定時刻より随分早く目が覚めた。
ベッドから手を伸ばしてカーテンを少し開けると、空が白んでいる。
昨日引っ越してきて、今日が初めての朝だった。
一人暮らしの朝は、静寂に包まれている。
洗濯機を回している音もなく、キッチンから食欲をそそるお味噌汁の匂いが漂うわけでもなく。
静かな夜明け。
憧れていた一人暮らしのワンルームをしばしぼんやりと眺める。
何を、しようか。
やらなければならないことはたくさんあるけれど、
この静かな夜明けは、高校を卒業した私が手に入れたもの。
珈琲を味わいながら、静かな夜明けの色彩を眺めて一日をスタートしてみよう。
ベッドから降りて、電気ケトルに水を入れる。
吐く息は白く部屋に溶けていった。
静かな夜明け