「こんな夢をみた」
セミの泣き声で目を覚ました。夢見の悪い朝だった。
襖を開け、縁側の窓を開けながら洗面台に向かい、顔を洗った。鏡に映る自分の間抜けな顔をみて、ふ、と笑う。
顔を拭き、今日のやることを考えながら歯を磨いた。
台所へ行くと、茹で上がった素麺と漬物、ガラスのお椀に注がれた麺汁、そしてオマケにスイカが置いてあった。お盆には、妻の手書きメモが書かれていた。笑う妻の笑顔を思い浮かべ、なんて贅沢なんだろう。そう思った。
用意してくれた料理を持ち、食卓ではなく縁側へと向かった。お盆を置き、いただきます、と手を合わせる。
庭の先に見える海から波の音が聞こえた。咀嚼をしながら目を閉じると、子供の笑う声が聞こえる。そよそよと風が家へと流れ込み、その静寂の中、風鈴が優しく音を鳴らしている。贅沢だなぁ、そう私は噛み締めた。
ガラスの割れる音で目を覚ました。夢見の悪い朝だった。
なんでこんなアラーム音にしたのだろうと、後悔をしながらベットから起き上がる。水圧の不安定な蛇口を捻り、顔をタオルで拭く。5分前のアラームが鳴った。掃除の行き届かないキッチンからラスト一個の簡易食料を取り、制服の着替え、効きの悪い玄関の戸を開けた。
その先には太陽の光など無く、ただ前の棟の壁が見えるだけだった。錆びたパイプとゴミを避けながら、エレベーターで126階から降りてきたエレベーターに乗る。
同じ制服を来た彼らに挨拶など無かった。携帯で365個分の簡易食料の在庫を購入し、ひたすら箱の下り終える時間を待った。今日見た夢のことを思い出した。存在しないであろう、私の妻の顔は思い出せなかった。
一階へたどり着き、エレベーターの扉が開いた。ぞろぞろと似た容姿の男が並び、地下鉄へと向かう。
この世界が夢ならは、私はいつ目覚めるのだろうか。
「タイムマシーン」
突然雨が降ってきた。天気予報に裏切られ、私は急いで洗濯物を取り込んでいた。
すると、ピンポーンと玄関から音が鳴り、はぁい、と煩わしく思いながら取り込みを辞める。六畳一間の部屋を歩き、玄関の戸を開け、印鑑を押し、鍵を閉める。
「ねぇ、これ、何?」
私が受け取ったものはダンボールでも封筒でもなく、木箱だった。それもそれなりに重い。彼女は調理を続けながら、少しを背を反らし、笑いながら答えてくれた。
「あー、これね。タイムマシーンだよ。」
「タイムマシーン?今の時代に?珍しいねぇ。」
「この間やっと見つけてね。思わず買っちゃったよ。」
そう言って彼女は火を止め、棚から釘抜きを取り出した。あけよあけよ、とローテーブルに置いた木箱の釘を少しずつ抜いていく。私は残っていた洗濯物をしまい、彼女が黙々と釘を抜く姿を静かに見ていた。
秒針が円を10周した頃、ようやく釘を抜き終わり、彼女はそっとタイムマシーンを取り出す。
「うわー、こんな感じなんだ!」
「あぁ、やばい!懐かしい。」
ようやくお出ましたタイムマシーンは少し色あせていたが、それとなく機能するようで、私達はタイムマシーンを使うことにした。
二人でご飯を食べながら、それぞれのメッセージを打ち、あれやこれやと持ち寄った私物を入れ、今度は私が木箱に釘を打った。そして郵送する頃には、タイミング良く雨は止んでいた。
「じゃあ、郵送してくるから。」
「はーい、じゃあ、10年後に。」
「うん、10年後に。」
そう言って彼女はいってきます、と言った。私は手を振り、扉が閉まるのを見届ける。ガチャン、そう重い金属扉が鳴った。
「海の底」
初めて北の孤島を抜け出して、憧れていたこの都市へと降り立った。旅行に行くにもこの島内で、どんなに歩いて、列車に乗って、海を眺めようが、この島を出れることはなかった。その悔しさを噛み締めたのは、16の時だった。
「...ねぇ、聞いてる?」
雑音の中からピントが合うように、彼女の声が耳に届く。
「あ...ごめん、ちょっと考え事をしてて。」
「そう。じゃあ、またね。」
「ああ、気をつけて。」
その甘く可憐な声が途切れ、ピントが途切れる。彼女は混沌に混ざり合う。雑音がまた耳に響いた。イヤホンをポッケかた取り出し、耳に留める。雑音がぬるくなり、少しの安堵を得る。
信号が赤になった。無数の魚が下を向いている。
短針が北を向く時間だというのに、昼間のように眩しく、煩わしい水音が響く街は、太陽の光を知らなかった。
チカチカと光る広告看板を眺める。ずっとつけていて電気代は大丈夫なのかなぁと思った。後ろから押されるように、横断歩道を渡る。カンカンと足音が鳴り響いている。
立ち止まってはいけない。
そう言い聞かせて、歩幅を無理やり大きくする。
立ち止まってはいけない。
同じ方向へと無数に進む魚を見て、幼少期に行った水族館のことを思い出した。その魚が奇妙で仕方がなかった。
立ち止まってはいけない。
夕日に染まった彼女の髪と文庫本の色を思い出した。
どうしても地元を離れたくて、この街に強いステータスと欲望を抱いていたあの時期。唯一反対をしたのは彼女だった。夕方を反射する黒髪が揺れて、彼女は薄い唇を動かす。
「東京ねぇ、君には向いて居ないと思うけど。」
電車の音で目を覚ました。カーテンの隙間から白い景色が見えた。レールを動かす音が鳴る。雪は降っていなかった。未だにあの白昼夢を思い出す。俺は深海魚になれるだろうか。
「手のひらの贈り物」
満月が灰色の雲に覆われて、東に進んだ頃には、既に無くなっていた。俺は静かに銃を取り出す。一つの銃声が鳴り響く。太陽の光も、月光も無いこの街に慈悲が照らされることは無かった。
一発目。教会のドア。
聖書も祈りの言葉もただの雑音でしか無いけれど、この世の神は皆既日食の夜に現れると信じている事だけは好都合だった。
二発目。高音を鳴らした女の左腕。
右も左も分からないという言葉は、その言葉通りに使われることは無いらしい。修道服を来た老婆が大声をあげる。
三発目。ステンドグラス。
こんな古びた教会にステンドグラスなんてものがあるとは思わなかった。ガラスの割れる音は快感を引き起こした。
「神の降臨を邪魔する愚か者よ!武器を下ろせ!」
「....よ!.....よ!」
四発目。修道服。
あの黒くて禍々しい服を見ると、ふつふつと不快な感情と思い出したくもない記憶が蘇ってくる。あの愚かな女の怒り声も、病的な水滴も、不快で不快で仕方がない。そう。思ったよりも染まらなかったけれど。これは仕方がない。
「あぁ...悲しき少年よ...そのような形でしか祈れないのね...」
斜線がブレる銃を抑え込むように、生々しい感触が俺の両手に包み込まれた。その手は少し骨が張っていて、皮の厚く、酷く乾燥した手のひらだった。その、不快で、恐ろしい感覚は、腕を伝い、血を巡り歩き、心臓へと到達する。
ガシャン、古びた講堂に見合わない音が響き渡る。
「それでも神はあなたに慈悲を恵むわ。母親の愛情のようにね...」
その生々しい手のひらは、信念強く俺の手を包み込んだ。
月光が割れたステンドグラスの狭間から降り注ぐ。
ああ、時間が無い。
五発目、心臓。
「君を照らす月」
ショーの幕が降りて、5時間が経っていた。
雑居ビルに貼られた立ち入り禁止と書かれた看板を通過する、ロープをくぐって、更に階段を登る。普段ならこんな手間をかけないのに、今日はどうしちまったんだろう。
ドアノブを回すと、旗が靡くようにドアが開く。深まった夜の冷たい空気が横切る。月明かりに照らされる彼は、ひたすらあの曲を口遊んでいた。ため息をついて、ファーストフードの入った袋を揺らしながら彼の横に座る。
「今日もハンバーガーかぁ。」
「食べられるだけマシだと思ってください。」
安っぽい炭酸飲料とハンバーガーを取り出して、彼に渡す。瞳は俯いたまま、花占いをするように紙を捲った。
緩やかな風が吹く、彼の前髪が揺れる。睫毛と交わる。
自分も瞬きをして、コーヒーとフライドポテトを取り出す。彼の視線の先に目を向ける。ひたすら続くビル群を見渡す。信号機の音が聞こえる。至って普遍的な景色なのに、今日は少し特別に見えたのは、満月のせいだろうか。
「...今日が終わったら、あなたはどうするんですか。」
「んー、別に、またここでやり直すだけだよ。」
「ですから、それじゃ何も変わらないんですよ!!」
静かな空気を裂くように、声を荒らげてしまった。
コーヒーが一滴揺れて、コンクリートの隙間に染み渡る。
彼は何も言わず、ハンバーガーを食べている。その何も語らない瞳をみてハッとする。ポテトをひとつだけ掬う。
「毎回言ってるけれど、それでいいんだって。おれの役はここで終わりなの。配役もセリフも文句は無いんだよ。」
目頭が熱くなる感覚がした。
冷えた風が俺が言葉にしなかった寂寥感を届ける。そう、確かに彼の言ってる事は正しかった。この思考の中身は、ただのエゴでしかない。その事実に心臓が締まる。
噛んでいたポテトを飲み込む。彼の横顔を見る。無駄に月が明るくて、こんな状況でも格好いいと思ってしまった。そんな自分が嫌になる。
「...確かに、これが無かったらあなたとは出会えませんでしたけど。」
数を重ねる度に活気が無くなっていく劇場。ツタが生い茂った雑居ビル。安いことだけが取り柄のハンバーガー。それだけの空間でひたすら笑う影。満月に落ちていく炭酸。
どうしようも無かった。そう思って諦めと覚悟を決める。
「知っていますか?葬式って、結構体力いるんですよ。」
ビルの縁に立つ。
最後の一口を飲み込んで、コーヒーを月に落とす。彼を見つめる。目を見開いている。片手に持っているハンバーガーはまだ残っている。俺は勝ちを確信する。
「それじゃあ、頑張って下さいね。」
「...待っ
コートのポケットに手を入れる。彼の真似をしてステップをきめる。彼が口遊んでいた曲の名前を思い出した。満月はもうす