藁と自戒

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6/4/2023, 12:05:39 PM

青白い光が僕の網膜を湿らせる。五年前、大学の合格に際して新調した薄型の電子機器から発せられる短波光は、その人体への悪影響を科学が暴露した後も図太く生き延びていた。「必要不可欠な存在なのだろう?俺は」と問いたげなその光は僕の脳に直接殴り書きの如く情報を浴びせてくる。僕はその四半分も理解せぬまま一喜一憂する。軈て、二割、一割と思考の捉える情報は減っていき、遂にはその一分にも感情が振れなくなった時、ふと溜息をつく。
 伽藍堂は溜息で賑わった。賃貸の白壁は溜息を吸い込み、何処からか、しくしくと啜り泣く声が聴こえる。
 情報の海を漂流する放浪者なのだろう、僕は。未だに現実と仮想との区別もつかない儘、のうのうと生きている。故き人は言った、人だから堕落するのだと。僕はその言葉の本旨も解せぬまま、言い訳の種類を増やし続けている。僕は堕落した。人は堕落する。僕は人だ。だから堕落した。仮に、仮定せずとも僕が人でないとしたら、きっと僕は堕落するタイプの化け物なのだろう。李徴か、いや、傲慢さは同じくとも、優秀さが乖離する。せめて、袁傪と呼べる故人が欲しかった。もし私が虎になっても会いに行きたい人は居ない。人間の身体でさえどんな接触も望んではいない。ああ、。
 今日も一日が終わる。僕はこんな一日を何度繰り返しただろう。何度繰り返すのだろう。厭だとも思えないし、有意義だとも思わない。僕に、生きている価値はあるのか、価値なんて大層なものは要らない。生きている、その事実さえ確認させうるような何かさえあればいい。僕の命、それを視覚化する何かがいる、四半世紀生きてきてそれを見つけられずにいる。それさえあればいいのに。
 目尻を小人が走った。それは足跡の様な水溜まりを残し、空へと消えた。「なんで、泣いて、」小人に続いて滔々と涙が流れた。胸がいっぱいになり溢れ出る涙のような暖かさは微塵もなく、唯、冷たい水がとめどなく瞳から湧き出た。ああ、何となく悲しい、もはや悲しみしか自分を肯定する感情が存在しないのか、自分の存在を確実にするかのように涙だけが流れた。
 いつからだろう、一人、泣くようになったのは。いつからだろう、一人になったのは。一年の夏、家族の訃報を聞いた時か、葬式で一人、家族席に座った時か、二年の冬、人間関係に悩みサークルを辞めた時か、三年の秋、留年が確定し、友人達との交流を避けるようになった時か。少なくとも今は、確かに、間違いなく、僕は一人だ。嗚咽、呻き声、先程とは打って変わって、伽藍堂は伽藍堂。白璧は冷たく聳え立っていた。
 部屋は暗黒に包まれる、部屋の隅から。軈て明かりは消え、陰翳だけが充満する。視界も、思考も闇に包まれた。意識を掴む手の力は自然と弱まった。
 目を覚ますとそこにあったはずの陰翳も、夜さえも何処かへ去ってしまったようだった。辺りには明かりが広がり、カーテンを開けるとより顕著になった。昨晩の続きを考えた。これは必然ではなく、朝御飯の支度をしながら片手間に考えたのであって偶然に過ぎない。たまの朝ごはんだ、自然と心は弾んだ。
 そもそも僕が留年するに至ったのは文学部、三年生、弱冠二十一歳の僕には宮沢賢治は難解過ぎたからだ。様々な文献、資料を読み漁った。けれども、賢治への理解は一向に深まらず、成人の肉を食べるとクールー病になる、食べるなら生後間もない赤子の肉が良いなどといったつまらない豆知識ばかり増えていった。
 賢治の詩には名状しがたい力強さと繊細さそして独自の哲学が散りばめられている。これは間違えようのない事実だ。然し、僕にはそれを言語化する力はなく、また、あらゆる文献も何処か作者の恣意的な、こじつけのような解釈がなされているように感じて受け付けなかった。賢治の詩は素晴らしい。僕が詩へ興味を持ったのは賢治がきっかけだった。受験期、過去問を解いた時に読んだ評論がとても好みだったので、塾が図書館に近かったこと、まだ春だったことも手伝って、その原本を読んだ。そこで賢治の詩に出会った。賢治の詩の解釈、そこから理解する賢治の哲学、そして現代を生きる私達というような内容の本だったと記憶している。そこから詩を書くようになり文学部を志した。しかし、大学生になり、賢治の作品に触れれば触れるほど得体の知れない、勘違い程の大きさの違和感を感じるようになった。賢治の言わんとしていることは本当にこんな事なのか、本当はもっと。喉まで出かかっていた。けれどもそれを書き上げることが出来ず留年した。一年あれば流石に結論の一つや二つ降りてくるだろうと考えていたが、入れども入れども、藪の中だった。
 今は、学校に行くことも無く、せめて趣味の創作を週に三日ほど続けながら無味な生活を続けている訳だ。けど、とうとうネタも尽きた。そもそも、大したことの無い人生だ膨らませに膨らませたものの書く内容は突拍子もなく欠陥だらけの、自分でさえ駄作だと気づいてしまうような粗末なものを書いては、作家の真似事をしていた。最も調子が良かった時に出版の声がかかったが、こんなものを世に広めるなら死んだ方がマシだと本気で思い、断ってしまった。今はその軽薄な行動のせいで本当にくたばってしまいそうだ。
 俗な言い方をすると金がなかった。それも切実に。バイトをしようと思った。思わずには居られなかった。

#狭い部屋

6/3/2023, 2:34:16 PM

素敵な笑顔で笑うきみ
お洋服がよく似合うきみ
ちょっと抜けてる所があるきみ
たまに何かに真剣に取り組めるきみ
ずっと憧れてたきみ
少し驚いた表情のきみ


自分だけに向けられる笑顔のきみ
一緒にご飯を食べるきみ
一緒にお出かけをするきみ
一緒にお泊まりするきみ

一緒に起きるきみ


ささいな言い合いになるきみ
なきながら出ていったきみ
ラインを送るきみ
通話をするきみ

朝、隣にいるきみ


時間が合わなくなってくるキミ
夜遅くに帰ってくるキミ
お酒の匂いがするキミ
誤魔化すように笑うキミ


キミの笑顔が嫌いだ。

#失恋

6/1/2023, 11:20:37 AM

ぽつりぽつりと空から雫がたれる。

1粒、また1粒と落ちてきたかと思うと、

それまでの均衡が崩れてしまったかのように

ざあざあと音を立てて沢山降ってくる。

ああ、土砂降りだ。


この季節はあまり好きじゃない。

春と夏の境い目、梅の実が育つ季節。

雲は重たく膨らみ、今にも落っこちてしまいそうな、

どんよりとした天井。厭になる湿気。

子供の頃は雨も嫌いじゃなかった。

自然の鏡みたいな水溜まり。傘、窓、屋根を叩く雨音。

非日常がそこら中で音を立てて呼んでいた。


慣れというのは感覚を鈍らせる。事象の源泉を見つけなくとも、

ただそうあるということをありのまま受け入れてしまった時点で、

それは日常となってしまう。

いつの日か雨は髪を、服を、何か大切なものをびしょびしょに濡らしてしまう敵となっていた。

意識的に避けねばならぬ存在になっていた。


ある夢を見た。田舎暮らしをしていた、子供の頃の夢だ。

家にはこじんまりとしているが、しっかりと手入れのされた庭があった。

そこには立派な梅の木があり、春先には美しい花弁を飾り、梅雨には綺麗なまん丸の美をつけた。

大人たちは綺麗になっている梅の実をいくつか持って行き、梅酒にするんだというのだからこんなに綺麗な実をとるなんてといつもどこかもやもやしていた。

雨が屋根を鳴らし、梅の実が雨を浴びている。

僕は縁側で少し雨を顔に浴びながらそれを眺める。

家族に雨が入るからやめなさいと制されても微動だにしない。

家族もそれを割って入って止めることはない。

素敵な時間だけが存在している。

空間には私と雨と梅しかいない。

3人だけの時間が空間を形成し、それぞれをそこに留めている。

いわゆる杭みたいな存在こそが梅雨だ。

僕は梅雨が好きだった。


夢から覚めるとほとんど何も覚えていない。

雨と片田舎の実家と、気分の悪い夢を見たようだ。

昨晩少し飲みすぎたか。

ふと外を見やると立派な梅の木が立っていた。

ああ、君もそうか。

雨が屋根を鳴らす。

窓越しに梅の木を眺める。

あの時間が、

あの空間が、

確かに今だけはここにあった。

ざあざあと。

#梅雨

5/31/2023, 5:27:15 PM

「いいお天気ですね。」

「ええ、あなたはどうしてここに?」

「いいお天気ですね。」

「はい?たしかにいい天気ですけど。」

「いいお天気ですね。」

「だから、」

彼は同じ問答を3回繰り広げた後に形相を変えて耳打ちをする。

「天気の話なんてどうでもいいんだ。僕が話したいことは、」

彼はそう口走った瞬間、ふらっと白目を剥き泡を吹いて倒れてしまった。空から無数の人の手が伸びたと思ったら彼の生気を失った身体を持ち上げて回収して言ってしまった。

ふと空を見上げると雲だと思っていたものは無数の人の集まりだった。じっと見つめるとそれは確かに雲であることは間違いないが、ぼんやり見つめると無数の虚が私に視線を送ってくる。

空は青く澄み切っている。

「ああ、まさにこれは」

ソレに気がついた時、私は雄大な自然と悠久の時をそこに見つけた。人によって作られるものでありながら、人工物ではない。まさに自然が人を使役した結果なのだ。なんとまさしく美しい。

自然は本当にー

などと考えているとまた人がやってくる。

「いいお天気ですね。」

私は問いかける。


#天気の話なんてどうでもいいんだ。僕が話したいことは、

5/30/2023, 11:07:13 AM

何に追われる訳でもないのに、いつも逃げてきた。

小学校、嫌いな給食の時間。いつも最後
中学校、合わない部活の時間。そっと帰宅する。
高校、難しすぎる勉強。机に向かう時間が減る。
浪人、社会からの視線。自分自身に目も当てられない。
ただ、嫌なことから、半歩、1歩と歩みを遠ざけた。

そして今、社会人。
閉鎖的な都会のワンルーム。
在宅ワークなのにも関わらず、
居心地の悪さから地元を離れ、
あれほど援助をしてくれた親とは絶縁した。

あの時、何かを変えれば今が変わったのだろうか。
小学校、好き嫌いを悪として完食を強いる担任教師。
中学校、下卑た表情で身体をべたべたと触ってきた外部コーチ。
高校、授業のたび難しい問題だけを当ててきた数学教師。
誰か1人でもぶっころせば何か変わったのかな。

どうしてか、いてもたってもいられなかった。
仕事でくたくたになった身体に自然と力が入る。
就活の時にお母さんが買ってくれたスーツ。
お母さんが私にくれた最後の贈り物。
包丁で滅多刺しにした後に床に放り投げた。

後悔と快感とが指先を伝って身体に流れ込んでくる。
強すぎる刺激に頭がくらくらする。
こんなに感情が揺れ動いたのはいつぶりだろう。
私は泣きながら笑っていた。
ただ一つの行動で未来とも過去とも決別したんだ。

ごめんなさい。一言つぶやく。
玄関のドアを勢いよく開ける。
鍵はもちろん、もうかけない。
最後に思いっきり走りたかった。
走るのが嫌いになった中学生の頃以来だ。
こんなに気持ちよく走るのは。
少し走るだけで息は乱れ、肩が揺れる。
でも、もう気にしない。
私は人生で初めて、思いっきり階段を駆け上がる。
走る。逃げる。逃げる。
初めて、こんなに気持ちよく逃げたんだ。
逃げた。ちょー逃げた。
生きることから。

月明かりは素知らぬ顔で真っ赤に染まった私を照らしている。

#ただ、必至に走る私。何かから逃げるように

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