2周目LIFE

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3/2/2024, 11:18:22 AM

たった一つの希望


希望とググると…
1 あることの実現をのぞみ願うこと。
また、その願い。
2 将来に対する期待。また、明るい見通し。

とのこと。

たった一つだけ…
と言うなら
今の私なら、君の完治を迷わず願う
(「君は今…」参照)

既に関係性は変わってしまったけれど…
今でも
君にとって唯一
弱音の吐ける存在が私だけであるように
今でも
私にとっては唯一
生きる意味を、生きる強さを与えてくれたのが君だった

だからそもそも
君自身が私にとって
「たった一つの希望」なのだ

君は唯一の私の味方だった
みんな鬱病になった私を悪人扱いし
私がなにを言ったって信じてもらえない
私の居場所はどこにもなかった

でも君だけはずっと私の味方でいてくれた
それがどれほど
私にとって心強く感じたか…
私が生きていて良いって
私に生きて欲しいと
繰り返し、繰り返し伝えてくれた君

だから
君には誰よりも幸せになって欲しいんだ
そして
君に繋いでもらった私の命を
ちゃんと最後まで見守っていて欲しいのだ

だから
どんなに完治が難しいと言われようとも
私は必ず治る!と言う
私が出来ること
君が繋げてくれた命を大切に生きること

そして…
君がまだやり残したことを最後まで見守ること

たった一つ?
されど一つ…
「たった一つの希望」を私は今日も願う
どうか…
この願いが、期待が、君の明るい見通しとなりますように…⭐︎
君はこれまでも、これからも、
まだ、沢山の人に希望を与えなけらばならない使命があるんだよ

「神は乗り越えられる試練しか与えない!」

「ね?そうなんでしょう?
私にだけは嘘ついたら許さないんだからね」

たった一つの希望
たった一つでいいから…
だから
お願い…
彼はこの先も幸せでいられますように…

3/1/2024, 11:36:35 AM

欲望


欲望とは…
ほしがる心。不足を感じて、これを満たそうと望む心。

「三大欲求」として日本で最もポピュラーなのが、「睡眠欲」「食欲」「性欲」。 人間の生理的な欲求。
またアメリカの心理学者が提唱するERG理論では「生存」「関係」「成長」を「三大欲求」とするという説もあります。

とのこと

私の人生の半分は
この欲望というものを感じることを禁じられてきた
それは「恥」だと親に教わったのだ
だから欲望は私にとって悪いことなのだと思って生きてきたのだ

だから欲望のままに生きるのは許されないことだと思ってきた

そう…
鬱病が発症するまでは…

欲望を抑え込むと心が病むんだ

人に何かを望むことも
自分に何かを望むこともしないと
人間は壊れる

それに気がついた時
私は1度目の人生を終えた

実際は死んだわけではない
まあ…そうしようと思ったし
そのために行動に移したこともあったのは嘘ではない


わたしは人生をリセットした

だが
いざ、欲望というものは何なのか?
と思った時
欲を出すことは恥だと洗脳されて育つと
わからない
なにが好きなのか…
それすら思い浮かばないのだ

だが
親はまだいるけれど
私の中で消した瞬間
次々に欲望が溢れてきた
今まさに、人生の折り返し地点まで到達しているのにも関わらず
欲望が溢れ出て止まらない
あれもコレもしたい!

リセットした時思ったのだ
いつまで親にとってのいい子でいなくてはいけないのか?
もう私の人生を私自身が選んでいいはずだ!

その瞬間
人の目が一切気にならなくなった
人にどう思われようが関係ない
この溢れ出てきた欲望をもう止められなくなっている

だから
好きな髪色
好きな服
好きな物
好きなこと
好きな人にだけ囲まれていたいと思う

今までの欲望が溢れ出て止まらないのだ

だから好きなものは好き
嫌いなものは嫌い
ちゃんと言える人間になれた

性欲も恥だと教わったから
幸い子どもを産むことは出来たが
行為自体は子を産むための手段
子孫繁栄のための手段であり
この歳になるまで苦痛なものでしかなく
これが欲望になることは知らなかった

色々ややこしいので割愛するが
今、この性欲というやらも止まることを知らない


幸い、
わたしの周りには今の私を受け入れてくれる仲間が出来た

でも本来、欲望は適度にあり続けるべきで
規制してはならない

そうでなければ
俗に言う寿命平均年齢の折り返し地点にきている私のように
気が狂うほど毎日欲望を満たしたいとは思わないはずだ

わたしが叶えたい欲望を満たし切るまで
生きていられるだろうか…?
時間が足りない
今更遅い?
いや
遅くはない
いつからでも
何かを始めることに遅いことはない!

二周目の人生…
私は今
この恐怖と共に
抑えきれない欲望と今日も生きている

2/29/2024, 11:00:10 AM

列車に乗って


車に乗るのが当たり前になると
列車に乗る機会はめっきり減る(特に田舎はね)

列車と聞くとなんかほんわり感じるのだけれど
実際は
電車に乗る人々が憂鬱で溢れている気がするのは私だけだろうか?
通勤、通学の人々が殆どを占めていて
朝は朝で、出勤、通学の憂鬱さ…
夜は夜で、帰宅に着くまでの最後の力を振り絞った感の疲れ果てた顔…


鬱病になってから、踏切、列車は私の最後の手段だと感じていた
それまでは多くの人に迷惑をかけてまでなぜ列車なのだ?
と思っていたが
病気になるとこれが1番確実な方法であるかのように思えた
だから
車に乗っていても、いつ、自分がこの踏切に、列車に、飛び込むためのアクセルを踏んでしまうのではないか?
という恐怖が湧くのだ…
因みにこれは、今でも気持ちが落ち込むと湧いて出てくる
だから踏切が降りる時、どうか最前列になりませんように…
そう願うしかない

パニック障害の私にはそもそも列車に乗るのは相当の覚悟が必要だ
すぐに降りられない恐怖
負のオーラの中にギュンギュンに押し込まれている身体…
助けてーって叫びたくなる

だから列車には十数年一人で乗ることが出来なかった


なのに…
気になる人に「愚痴聞いてあげるから最寄りの駅まで来られる?」と言われた
鶴の一声でなんと私は列車に乗ったのだ
ちょうど一年前だ
それまでは会社の同僚だったが、配属が変わって私の愚痴は溜まりに溜まっていた

戸惑ったが…
すぐさま列車の時刻を調べていた
今なら、彼も私もなかなかのチャレンジャーだ
彼はパニック障害の私を知っていたのにだ

彼「来れそう?」
私「行けるに決まってんじゃん!」と強がる

切符の買い方すら忘れていたが何とか乗った
乗ったものの息苦しくなる…
たった5駅?いや、5駅も?
とにかく人を見ない
そして彼のことだけ考えて
心配した彼が
「乗れた?大丈夫!すぐ着くから」

着いたらついたで、人混みに流される
もうもう、限界だ
「もう、無理だよ。助けて…」
「今すぐそこ行くから、もうちょっと頑張ってw」

人が見えないように
下を向いて立っていた私の服を引っ張って
「こっちw」って彼が笑う
無意識に
「何であんたのために、私はこんなに思いしてまで会いに来なきゃいけないの?」
って言った瞬間、気がついてしまった自分が恥ずかしくなった…

こんな思いしてまで彼に会いたかったんだ…♡

「ごめん、なるべく待たせず、早く会うために来てもらいたかったw 帰りは車で送るから」

お互い、愚痴も溜まっていたが、それよりも
お互いにお互いのロス感が半端なかった

これは恋なのか⁈
お互い愚痴を言いながらの探り合いだ…(笑)

結局のところ…
恋になった♡

そして今も尚、この関係は穏やかに続いている
あの時の気持ちは間違いではなかったようだ(笑)

列車に乗って…
彼に逢いに行ってよかった

そのおかげで彼に支えられ、今私は穏やかな日々を送れている

列車に乗って…
今度は2人で遠出したいね
いつもありがとう♡
大好きだよ!

2/28/2024, 11:35:06 AM

遠くの街へ


私の人生は割と近場で済んでいた
そのお陰で安心感はあった
だが
田舎特有の人の「目」が怖かった

どこに行っても知ってる人に会う
自分が知らずとも、相手は知ってることもある
異性と話しているだけで浮気だ、不倫だと噂になったり
夜の仕事をしていると冷ややかな目…
別に悪いことをしているわけではないのに
いつも自分が悪いことをしているかのような
そんな感じ…


学生の頃はあんなに居心地が良かったはずなのに…
大人になるとその「目」が怖くて仕方なくなった

コンビニで何を買っていたのかも筒抜けになるくらいだ
大人の私には絶えられなくなっていった

鬱になったらなったで
今の時代皆、知識はそれなりにあるだろうに…
気が狂った奴
危ない奴
とされた
そして誰一人として私の味方はいなくなった
まるで悪人かのような扱いだ
病気になってさらに責められる
意味がわからない…


その後、たまたま転勤で住んだことない遠くの街に運良く越した

田舎暮らしの私は、誰も知らない「遠くの街」に住むのは恐怖しかないと思っていたが
あんなにも嫌だった外出の恐怖も消えた
人の目を気にすることがなくなって
こんなにも自由に外出出来る自分にも驚いた
隣の家の人の名前も顔も知らないし
知らなくても困らない

こんな世界があったのか…
それはそれで衝撃だった
田舎は田舎でいいものはあるかもしれないが
大人になった私には合わなかった

人それぞれ、合う街、合わない街があるだろう

でも「遠くの街」は私にとって人生をリセット出来るチャンスとなった

昔の私を知っている人ではなく
今の私そのものを見てくれる人達に出会えたことがこんなにも嬉しいものなのかと感じている

人は成長し、老いる
けれど全部曝け出さずとも、今の私を理解してくれる人がいることがなによりも幸せなのだ

リセットしたくなったら
是非旅行でも構わない
遠くの街へ行ってみて欲しい

未知なる世界にとびこむことは怖いけれど
新しい出会いや発見が何かしらあるはずだ

だから私は時々今でも遠くの街へ足を延ばすようにしている

でも出来れば目的は特に決めないことをお勧めする
ふらっと入った古びたラーメン屋が、実はめっちゃ美味しかったりしたときの喜び(笑)

大人になると冒険するのが怖くなる
でも大人だからこその冒険も出来る
それって素晴らしいことじゃない?

遠くの街へ
次はどんなワクワクが待っているのか楽しみで仕方ない私なのである

2/27/2024, 11:46:25 AM

現実逃避


「現実逃避」
と聞くと何だか悪いことのように聞こえるのは私だけだろうか?
これがいい意味で使われることはあまり無いように思う。

意図的に意識や行為から目を逸らすことの何がいけないのか?

現実から逃げることはそんなに悪いことなのか?

ちなみに私は
恐らく発達障害であり、パニック障害、うつ病、境界性パーソナリティ障害、社交不安…
恐らく調べたらキリがないほどの障害と生きている

その中の心理学療法で
今ある現実をそのままにして
他のことに目を向けることで、その苦しみや悲しみが軽くなると教わった
時間が解決するとも解釈されるだろう
「森田療法」と呼ばれるものだ
これは
「現実逃避」とは何が違うのか?

私は同じだと思うのだ
療法と呼ばれるくらい、精神科では当たり前の治療法の一種だ
すなわち
「現実逃避」が悪いことのように表現されること自体が私は納得がいかない

辛いことに向かうことで力を発揮するものもいるだろう
けれど辛いことに向かうことすら怯えるものがいる
みんな同じ人間でも
考え方自体はみんな違う

そもそも私が障害を持っているからなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない

誰にも他の誰かの心の奥底まで知ることは不可能だ

結果
多数決社会?
「現実逃避」とは…

現実逃避(げんじつとうひ、英語: escapism)は、現実に求められたり、何かしなくてはならない物事から意図的に注意や意識をそらすための行為や心理状態。 困難な状況から目をそむけ、不安から逃れようとする機制。

なんか感じ悪く伝わる
常識だと思う多数決が勝ちなのか?

結局のところ
私からしたら一般常識などどうだっていい
ただ
私は
「現実逃避」は悪いことではないと思う
現実から逃げてもいいじゃないか
それが出来ないから
みんな苦しいんじゃない?
じゃあ
逃げなよ!

うつ病になってからでは遅いのだ
なぜなら、他の病気なら完治という言葉が存在するが
うつ病には完治というものは存在しない

全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること。
これがうつ病の最も良いとされる回復の表現である「寛解」だ。

そしてこれは多くの場合、繰り返し訪れる
私は発症して14年だ
状態がいい時もある
だが、事実何度も繰り返し再発している
常にこの恐怖と向かい合わせで生きていかねばならない
再発を最も繰り返す病気でもあるのだ
それがどんな意味をもたらすか…
穏やかではあるものの、完治ではない
この意味が君はわかるだろうか?
一生繰り返すかもしれないし、そうでないかもしれない
このなんとも言えない歯痒さ

誰にも君の奥底に眠っている苦しみはわからない…
逃げるか?
闘うか?
君が決めていいんだよ

逃避行も悪くない
私はそれを知っている
傷が癒えた頃に…
また考えればいいじゃないか?
それでもいいんだよ!
誰も許してくれないなら私が許してあげるよ
大丈夫!
君も
「現実逃避」しようぜ(笑)

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