『部屋の片隅で』
足りなくて
満たされなくて
そんなことが多々あって
どうしたってそちらにばかり
視点が向いてしまうのです
部屋の真中
不平不満
部屋の片隅
自分自身
きっと見えてないだけで
それ以上の幸福を
自分は得ているはずなのに
『生きてることが証明』と
言われたところでピントはこない
『終わらせないで』 185
フランツ・カフカの名言に、こんな言葉があります。
『人生の意味とは、それが終わるということです』
今回はこの言葉について考察していきまぁぁ……しょうっ! (深夜テンション)
普通に考えれば"人生の意味とは死ぬことです"と、そんな寂しいことをただ言っているように聞こえますが……本当にそうでしょうか?
もしそれが本当ならば、どうして彼は『それが終わるということです』だなんて迂遠な言い回しをわざわざしたのでしょう?
別に『死ぬということです』と言えば分かりやすく済むはずなのに。
ですから自分は、ここに何かしらの意図があるように思うのです。
というわけで、一度それを前提にして考えてみましょう。
『終わる』という言葉を聞いて連想する言葉があります。それは『始まり』です。
終わりがあるのであれば、その因果として必ず始まりがあるものですから。
彼がそのことを含蓄していたのだとしたら、『それが終わるということ』というのは、『それが始まって終わるということ』と解釈しても許容出来ると自分は考えます。
そうしてみると、彼はとても普遍的なことに人生の意味を見出していたことになります。
先にも述べましたが、始まりがあれば終わりがあることなんて、人生に限らず当たり前の話ですから。
まとめると彼は、"人生にだけ付随するような時別な意味など無い"と言いたかったのではないだろうかと思うのです。
それと同時に、森羅万象全てのものが持っている因果関係、それこそに意味があるのだと。
過去が無ければ現在が、現在が無ければ未来が無くなるわけですからね。
以上がこの名言に対する自分の考えとなります。
もちろん異論は認めます!
どうでしたでしょうか……? 少しでも皆さんの暇つぶしになれたなら幸いです!
駄文によって構成される、恐ろしき長文を失礼しましたぁ。(震え声)
『宝物』
キラキラと輝いていた。
太陽にかざせば地面に綺麗な模様が出来て、それを独り占めしたかった僕は"宝箱"を用意した。
無くさないように。
奪われないように。
それを大切にしまい込んだ。
あの頃の僕には、それがとても価値あるものに見えたんだ。
……今なら分かるよ。
こんな物に価値はないんだって。
どんな物にも価値はないんだって。
僕も、君も、誰も、何も。
みんなみんな……どうでもいいんだって。
"ガラクタ入れ"を覗き込む。
汚れてくすんだガラス片が、僕の顔をぼんやりと反射した。
『ススキ』
ススキがこちらに手を振ります
孤独でした
退屈でした
……馬鹿にされ続けた人生でした
愛着のあった人形は
埃を被って落ちています
この手で掴んだ成功も
足枷となって邪魔をします
どうしようもありません
どうしようも無いんです
ずぅっとススキは手を振ります
……決して招いたりはしてくれません
『脳裏』
素晴らしいほど残酷で、悲しいほどにつまらない。
自分で価値があると思っていたい経験ほど、人は無意識にその時の感情を忘れまいとする。
例えそれが悍ましい記憶であり、早く忘れてしまいたいと理性では考えていても、その醜悪な経験が無価値なものであったと、簡単に切り捨てることが出来ない。
……ただの理不尽で終わらせたくないと、もう一人の自分が駄々をこねるのだ。
記憶はいつか薄れていき、織り込まれた感情もそれは違わず。
この原則を遅らせるため、人は記憶の中の感情に少しばかりの色を付け足す。
焼き付いた虚ろな情景は、自分の見えざる矜恃によってのみ創造される。
あぁ……本当につまらない。