私は、鏡に映るわたしを愛せない。
完璧でないアシンメトリーな目、頬を踊るそばかす、上がらない睫毛、かさついたくちびる、嫌な色の瞳。どれもが世間の定める「美」からずれている。
自分の理想像を鏡に向かって語りかければ、願いが叶うらしいと、聞いたことがある。人間の脳は単純だから、自分の姿を見て偽りの褒め言葉を浴びせ続ければ、その勘違いを現実にしてくれるのだ、と。村の娘はいつだって、そういうウンザリするようなおとぎ話に敏感だ。
へぇ、そうなの。
すごいじゃない。
あなたなら大丈夫よ、きっと。
女の会話に必要なのは、テンプレートみっつだけ。
毎日同じような噂話を同じ場所で同じ作業を繰り返しながら、だなんて呆れちゃう。私はあなたたちみたいにはならないんだから。
だから、私は今日も暗示をかける。
「わたしは醜いシンデレラ。わたしはちいさな農村の娘。」
鏡の前で口角を引き上げたわたしはきっと、世界の誰よりかわいい娘。
No.14【鏡】
思い出になってしまった「あの日」を抱えて生きていた。過去に縋りつき、未来を見ないふりして後ろ歩きで進んでいた。過去の栄光は私をにせものの光で飾り立ててくれたし、私を好いたともだちは今だって私を友達と呼んでくれるはずだった。
あのとき輝いていた夕焼けや、たいせつに拾い集めた貝殻や、貴方と交わしたちいさな約束は、私の不甲斐ないポケットからすぐに落っこちてしまうのに、誰にも効力を示さない虚栄だけはいくら振り払おうとも剥がれそうにない。
わたしはいつも、大切なものを見定め損ねる。
こんなに遠くまで、捨てきれずに歩いてきてしまった。それならもういっそのこと、これを正解にしてしまおうか。否定されたわたしだけの正義を信じ込み、正解にしていく人生だって悪くない、君となら。
No.13【いつまでも捨てられないもの】
犬や、猫や、子供が、誇らしそうな顔を隠しもせずに歩いているのを見るのが好きだ。大切なものを抱えすぎて動けなくなってしまったおとなたちを、びたり張り付いた地面からそっと拾いあげてくれるように思えるから。
金や、家族や、権力や地位や大義や、そのほかいろいろなものを腕いっぱいに抱えて、失くすことを恐れて動けずにいる、あなたたちを。
身軽さと、無垢と純真さをいくつか身に纏っただけの手ぶらの彼らの行進が、私をすくってくれるならきっと。
No.12【誇らしさ】
海の色は空の色を写す鏡だと、聞いたことがある。
割れるような晴天では青に、垂れ落ちるような曇天では灰に、そして、すべてを呑み込む夜の闇の中では黒になるらしい。
それを知ったとき、ああ海は空に恋をしているのだと思った。届かないと分かりきった恋を、ただその深みに隠して生きているのだ。どんなにか苦しい恋だろう。どんなにか大きな痛みだろう。
己の身にさかなたちや、海藻や、貝やさまざまな命を抱えた母のような大きな海が、ただ広くずっとそこにあり続け、万物に恵みを与える寛大で自由な空に恋をしている。
美しい恋だと思った。苦しい恋だと思った。こんな恋を、してみたかった。
No.11【夜の海】
貴方のつくる音が好きだった。あなたの思想が、世界が、脳みそが。貴方が存在しているというだけで、救われるような気持ちだった。貴方のつくる世界が、どれだけ小さくともこの世界のどこかに存在してくれている。それだけでよかった。
貴方は、私がこの星で呼吸を重ねる理由だった。
貴方は、いつだって完璧だった。素晴らしい音を、正解より正解の音を、きたないせかいに美しく産みおとしていた。
ステージが終わると貴方は、やさしく、はかなく、つよく、うつくしく咲き誇った音をいくつか置いて逃げるようにそこを引き上げてしまう。あぁ会いたい。つたえたい。貴方が、貴方の音が、美しかったこと。
楽屋におはなと、プレゼントと、貴方への言葉を抱えて向かうのに、貴方の前に立ってみれば、貴方のために紡いだことばはいくらポケットをまさぐっても出てこなくって。貴方が私を見るじんわりとした焦げ茶色の線がやけに、痛かった。
だらだらとうすっぺらい言葉を並べたてた小さな私に、貴方はことばをかけてはくれないらしかった。
それ、じゃあ。次の公演も、楽しみにしてますね、
貴方の音を、あいしていますから。
泥棒さんはわらって言った。
「へぇ、気づけないんだ 」
No.10【君の奏でる音楽】