横浜線に乗って外へ出かける。
仕事の日は町田駅で降りるけど、今日は通り過ぎてもっと遠くへ行く。終点の桜木町まで。
町田の雑多なビル街を通り過ぎると、ぱっと視界が開けた。
線路が高い位置にあるのか、住宅地が眼下一面に広がる。その家の多さときたら、めまいがしそうだ。
人間って小さいんだな。
あんまり悩まなくても良いのかな。
今どきはネットでなんでも調べられるし、遠くの街の観光名所も、美味しいカフェも分かる。マップ機能を使えば、まるでそこを歩いているような感覚になる。
そこで君を見つけた。パソコンの画面に映る遠い街の画像の中に
【お題:遠くの街へ】
初恋の人と名前が同じだ。
名前っていうか、正確には名字だけど。そんなことを思いながら、京急蒲田駅で下車する。
電車が走り去る。
小学校の時、誰にでも優しくて、教室の隅で本を読んでいた私にも声をかけてくれて。
冬の間はいつもPUMAのロングジャンバーを着ていて、それが彼のトレードマークで。
でもそれを脱いでバスケをする姿もかっこよくて。
卒業式の後、胸に花を差した彼が教室から出て行こうとしている時、少しだけ時間の流れが止まった気がした。もし今好きだって伝えたらどうなるんだろうって。
でも、なんの取り柄もない私に応えてくれるわけないと分かっていた。だからこれはエゴだと。
好きだと伝えて、彼を困らせてみたい。この一瞬だけ、私が彼の視野に入れたら、それで満足なんだ。私は。そこまで考えて、自分の考えに嫌気がさして、結局何も言えないまま、彼の後ろ姿を見送ったのだ。
「はあーニンニク食いたい欲がマシマシですよ、もうこれはニンニクマシマシですよ」
今どうしてるかなあ、蒲田くん。
ホームに「夢でもし逢えたら」のメロディが流れて、少しだけ胸が痛くなる。
「あっ!!」
隣にいた田中がでかい声を出したせいで、私は現実に引き戻された。
「なに」
「シュッシュ忘れた!!!」
「シュッシュ?」
「これこれ」
田中は口内にスプレーする仕草をしたが、すぐにやめた。
「まあーいいや。先輩と行くんだし」
「私と行くから、なんだって?」
「別にニンニク臭くてもいいや」
「おいっ!」
蒲田の町は羽根つき餃子が名物らしい。
そんな話を会社でしたら、成り行きで後輩の田中と連れ立って行くことになって。
「ていうか、羽根つき餃子ってそんなにニンニク臭いの?」
「餃子って言うからにはそうでしょうよ」
「えー」
「先輩もシュッシュ禁止ですよ」
「はあ!?」
「びょーどーに行きましょーよ、びょーどーいん鳳凰堂ですよ」
「うん、分からん」
ほんと分からん、この田中という男は。
暖かな春の風がホームを通り抜けていく。
蒲田くんは今、どうしているだろう。
分からないけど、私はなんだかんだ楽しくやってるよ。
【お題:君は今】
同情されているのかなあ。
机の上に置かれた見知らぬ消しゴム。誰が置いたのかは分からないけど、それなりに綺麗で、どうやら悪意から置かれたものではないと分かる。
手に取ってみる。恐る恐る紙のカバーをずらしてみる。真っ白だ。何も書かれていない。呪いの言葉も、切り刻んだ跡もない。
誰かが間違えて置いたのかも。そしたら可哀想だ。私の机はいくら拭いても不潔らしい。机だけでなくて、持ち物も、私自身も。
だから社会科見学の時、私の消しゴムを誰も拾ってくれなかった。代わりに蹴飛ばされて下水処理場の水槽に落とされた。四葉のクローバーが描かれた、お気に入りの。
誰かが私の机に置いた消しゴム。ひっくり返してみると、サインペンで描かれた小さな落書き。不恰好な四葉のクローバー。
同情されているのかなあ。
申し訳ない気持ちになった。
私は大丈夫だよ。いつも通りだよ。だから心配しないで。
【お題:同情】
「別になんとも思ってねえよ」
「ふうん? じゃあなんでいつも持ってるの」
電車待ちの時間。勝也のスポーツバックにぶら下がっている、水色のゾウのぬいぐるみ。
「外すのも面倒だから」
「そんな手間じゃないでしょ。外そうか?」
「いい」
「ほらあ、やっぱり気に入ってる」
「そんなんじゃねえって」
「外そうよ」
「いいって」
「なんで」
勝也は頭をかいて私から目を逸らした。
「……願掛け、みたいな?」
「なにそれ」
「いいよ、こんな話」
「良くないって、目ぇ外れそうじゃん。のっぺらぽうはイヤでしょ。今裁縫セットあるから」
「じゃあ」
勝也はバッグを背負ったまま、駅のベンチに座る。
「お願いしまーす」
「せめてバッグおろしなよ」
勝也は動かない。
相変わらずめんどくせえ男だな。
など思いつつ、そのままゾウのぬいぐるみを繕ってやる私も物好きなのかもしれない。
「もう一個作ろうか、今度はピンクのやつ」
「いいよ別に、これ以上ぶらぶらするのはごめんだよ」
「つける前提なんだ」
線路の片隅で、二輪のたんぽぽが春風に揺れていた。
【お題:お気に入り】