なんだこれ。督促状だ。
「10年前の私へ」と書かれた封筒が、未来の消印の押された封筒がポストに届いて、わくわくして開けてみたら督促状である。夢もへったくれもない。
誰かのイタズラかと思ったが、確かに私の筆跡だし、それにとても言いにくいが、心当たりがある。
……
【お題:10年後の私から届いた手紙】
今日、バレンタインだったのか。
起きたら午後の4時で、狭い4畳間からは夕焼けが見えた。布団に横になったまま、日が暮れるのをぼんやり眺める。
子供の頃はモテたのにな。
中学生の頃は、登校して靴箱を開けるとチョコと手紙がたくさん入っていて、カバンに隠しきれずに持ち物検査で引っかかっていた。
夕日がビル街の向こうに沈んでいく。街がガスっているせいで、太陽の光はにじみ、溶けていくチョコレートのようにも見えた。
どこで道を間違えたんだろう。
「ねえまだ?」
「やっと起きた」
「ごはんごはん」
「はいはい、今やるから」
声にせかされて、ようやく布団から起き上がる。
枕元には、白玉みたいにもちもちした生き物たち。台所に向かう俺の後ろを、ぴょこぴょこ跳ねてついてくる。
「おいしごはん」
「たのしいごはん」
「やったやった」
冷蔵庫から昨日作ったチョコを取り出す。小分けにして皿に盛り付けて床に置くと、白玉たちはわーわー言って飛びついた。
こんなパティシエ崩れの作ったチョコでも、喜んで食べてくれるんだな。
この部屋に越してきたら出てきた、謎の白玉たち。
なんなのか分からないが、大の甘党の彼らの腹を満たすのが、なんの取り柄もない俺の、日々のささやかな楽しみだった。
【お題:バレンタイン】
お冷の氷が溶けて、カランと寂しく鳴った。
あの人は「待ってて」といって出て行ったきり、帰ってこない。急ぎの電話みたいだったから、話が長引いているのかもしれない。
すっかりぬるくなったホットミルクをすする。
ふと窓の外を見れば、スマホを耳に当てて頭を下げる彼の姿。
やれやれ。
こんなんじゃ、魔法から冷めちゃう。
美味しいものを食べさせてくれるって言うから、ついてきたのにさ。
ミルクの残りを飲み干す。
私は猫の姿に戻ると、あくびをひとつして店から出て行った。
【お題:待ってて】
「ズボンのチャック開いてるよ」って伝えたい。
平日昼間、春の公園はのどかであたたかく、ブランコでは幼児がキャッキャして遊んでいる。
だからこそ彼に伝えたい。でも。
彼はまっすぐ私の目を見てこう言った。
「やっぱり俺たち、別れた方が良いと思う」
こんな別れ話の最中に言うのもなあ。
でも早く言わないと、恥ずかしい思いをするのは彼なんだし。こういう時は多少空気を読まない方が良いかもしれない。
「あの」
「分かってる。俺だって辛い。でもこれ以上好きになったら、どうしていいか分からなくて」
「あの、チャック」
「もう一度友達に戻らないか。それくらいの関係の方が、きっとうまくいく」
「チャック〜」
さりげないチャックをあげる動作をしてみるも、彼は話に夢中で気づかない。
今日は水玉柄だなあ。
まあ別れ話だからな。でも1ヶ月前もこんな話をして結局こうしてよりが戻ったんだから、たぶん大丈夫。
どこかでウグイスが楽しげに鳴いている。
【お題:伝えたい】
荷造りが終わり、がらんとした部屋に寝転ぶ。
思えばここに引っ越してきた日も、こうして何もない床で寝転がったっけ。
大学から徒歩15分の、静かな6畳のワンルーム。ちっぽけな部屋だけど、実家を出て一人暮らしを始めた私にとっては初めて手に入れた自分だけの城で。
初めて自分でご飯を炊いた日。炊飯器の蓋を開けた時の喜び。あの感動が忘れられず半年ぐらい料理にハマり、最終的にクックパッドでご飯からアイスクリームを作るレシピを見つけて試したら大失敗して、その後一週間くらい料理をやめたこと。
キッチン用のでかいゴミ箱を隣町のホームセンターへ買いに行き、買ったはいいもののどう持って帰ればいいか分からず担ぎ上げて電車に乗ったこと。
アパートの廊下に見事な蜘蛛の巣が張られ、朝露できらきらしたそれが美しくて壊すことができず、しゃがんで通り抜けたこと。
ここから出ていくんだなあ。
掃き出し窓の外の木が、風にそよいでいる。
この木ともお別れだ。
次はどんな子がここに住むんだろう。
【お題:この場所で】