(※百合注意)
彼女の熱が唇に残っている。
「どう? チョコレートの味した?」
こちらを見つめる彼女の視線から逃れるように、私は顔を逸らす。唇からの熱が頬へ、鼻先へ、耳の先まで広がっていく。
外は今年初めての雪が降り始めている。
「なに、してんの」
やっと絞り出せた声は、びっくりするほど情けなくて。
「かわいい」
「やめて」
再び顔を近づけてくる彼女を押し除けようとする。
「誰か来ちゃうよ」
「来ないよ」
「なんで」
「みんな雪に夢中だから」
昼休み。北校舎隅の生徒会室。校庭の喧騒が遠く聞こえる。降りしきる雪が私たちから音を奪っていく。
「誰も見てないのに、いつまで生徒会長の顔してるの?」
「やめて、城山さん」
「香奈って呼んで。昔みたいに」
彼女が私の頬に触れる。触れた場所が痺れそうになる。
彼女の吐息は甘い香りがする。
【お題:Kiss】
自分の名前と引き換えに、彼女との思い出を忘れずにすむ薬、、
【お題:勿忘草(わすれなぐさ)】
「酔っ払ってブランコ漕いでるとさ、自分が揺らしているのか、世界に揺られているのか分からなくなるよね」と言っていた君はもういない。
児童公園のブランコ、二つ並んだブランコ。行きつけの居酒屋で飲んだ後、いつもそこで女二人でN次会をしていて。
そうして二人で並んで座っていると、まるで子供の頃から親友だったみたいだなって思った。たぶん笑われるから話してないけど。
君と一緒にブランコを漕ぐことで私の世界は回っていたのだ。
でも本当は、私たちは幼馴染ではないし、そもそも君にとって私とこうしてN次会をするのは恋愛でもなんでもなかったのかもしれない。ただ仲が良くて、なんでも話せる同僚ってだけで。
私は一人でブランコに座る。
君はいない。きっと忙しいのだ、結婚式の準備で。今まで何にも話してくれなかったのに。
地面を蹴って漕ぎ出す。夜空を揺らす、頭を揺らす。
冷たい風が、耳と首筋をひゅうひゅう流れる。
もっともっと。意地になって強く漕ぐ。
なんで何も話してくれなかったのとか、私のことなんとも思っていなかったのとか、そういうモヤモヤを、きんと冷えた風ですすぐ。なんにも考えないように、ただひたすらに漕ぐ。
わーって叫んでやりたくなった。でもやらなかった。大人だから。ご近所迷惑になっちゃうから。
ずっとずっと前から、大人になる前から、君と仲良くなりたかったなあ。
【お題:ブランコ】
「そうか、この景色こそが宝だったのか! んなわけあるかー!!」
私は空になった水筒を地面に叩きつけた。
「何が楽しくてこんな砂漠のど真ん中まで来なくちゃいけないんだ!」
「だって、ボスが行けって。行って宝の地図が本物か確かめてこいって」
「分かっとるわ! いたわ私もその場に! 行くよ? そりゃ今まであっちへ行けこっちへ行けって駆り出されてきたけどこんなのって! こんなのってあんまりだよ!!」
気弱なミーミは、耳をしょぼんと垂らして、
「でも仕事だもん。仕事しなきゃボクたちなんて居場所ないんだもん。ボクたちガラクタができる仕事なんて、これくらいしかないんだもん」
「そうだけどさ……」
疲れてしゃがみこむと、膝のネジが軋んだ。こんな体じゃなきゃ、こんな世界の果てまで来られなかった。見捨てられたガラクタだからできる仕事。だけど。
「こんなに」
沈みゆく太陽が、私とミーミの影を長く伸ばす。
世界の果てから風が吹き、生き物のように砂紋が動く。
私の足元で、何かが光った。
「……うん?」
かき分けてみると、それは銀色の小さな箱で。
胸の高鳴りと共に、さらに掘って箱を取り出す。
「これって」
ミーミと顔を見合わせてから、私はゆっくりと箱を開けた。
【お題:旅路の果てに】
「着払いで」
「えっ」
それまで丁寧に対応してくれていた店員さんが、ぎょっと私を見た。
それもそうだ。バレンタインチョコを着払いで送るやつなんかいない。私以外には。
「ち、着払いって、その」
可愛らしい店員さんは、笑顔を取り繕うも動揺は隠せないようで、swimming eyes。そういえば小学生の時にスイミングスクール通ってたな、あいつ。
「届けた相手に送料を請求する仕組みですが、それで宜しいでしょうか」
「よろしいです」
「は、はあ……」
「大丈夫ですよ。本命じゃないし、むしろ縁を切るために送るので」
私は本心からそう言ったつもりだったが、自分の喉から発せられた声は少し硬くてうわずっていて、やっぱり強がっているのかな、なんて他人事みたいに思った。
昨日あいつと通話した時も、私はこんな声になっていただろうか。
だってあいつが、好きな人できたって言うから。
店員さんは一番奥の引き出しをごそごそして、着払いの送り状を持ってきた。
お届け日、2月14日。私があいつに告白した日。3年前、お互い高校生の時に。
お届け先、東京都杉並区。一度遊びに行ったけど、見知らぬ住宅地にあるあいつのアパートは、どこか冷たくてよそよそしく見えて。でも部屋の中の雑多な感じは、あいつらしくてほっとしたけど。
棚には私が生まれて初めて贈ったバレンタインチョコの空き箱が飾ってあって、いつまで飾ってんのって笑ったけれど。
あの箱はもう片付けちゃったかな。
品名、チョコレート。あいつ、お酒飲んでみたらめちゃめちゃ弱かったって聞いたから、この店で一番アルコール強いやつ、度数500%くらいあるやつ、いやちょっと盛り過ぎた、本当は8%、でもこれでもめちゃめちゃ強いらしいんだ、これでも喰らえって、喰らって酔い潰れて新しい彼女とのデート失敗してしまえって。
「お客さま?」
優しく肩をたたかれる。顔を上げると、店員さんがこちらを見ている。
そこで私は、手元の送り状が雨漏りで濡れていることに気付いた。
「お品物、取っておきますので。少し休まれたらどうですか」
ああ。こんな風に、あいつに優しい言葉を掛けてもらえたらなあ。
「そこの向かいのジュースバー、おすすめですよ。よく行くんです。あっ」
店員さんはポケットを探り、他の店員さんの目を盗みながら、一枚の紙を差し出した。ジュースバーの100円割引クーポン。
「飲み終わったら、また来て下さいね」
何か言ったらまた雨漏りしそうで、私は黙ってうなずいた。
べしょべしょに濡れた送り状は文字が滲んで、このままでは届きそうになかった。
【お題:あなたに届けたい】