砂時計のガラスが割れると、パキリと小さな音がして、それから甘いような苦いような不思議な香りが立ち上った。
「この香りは?」
「砂ですよ。熟成するんです」
マスターは砂をコーヒードリッパーにあけた。
砂は一見灰色だが、よく見ると色々な粒が混ざっている。金や銀、青やピンクまである。
「この粒ひとつひとつが、あなたの生きてきた時間ですよ」
「生きてきた、時間」
「そう、生まれてから今日までの20年間。長い時間をかけて混ざり合って、こうして独特な香りになる」
お湯が注がれると、砂が柔らかく膨らみ、温かな湯気が立ち上った。
20年か。思い起こせば、辛いことも悲しいことも、色々なことがあったけれど。
「本当に美味しいんですか?」
あまり自信がない。
「それは、飲んでからのお楽しみ」
砂を通過してドリッパーの下に落ちてきた液体は、夜の色をしていた。
骨のように白いコーヒーカップに、私の生きた20年の時間が注がれる。
「どうぞ」
恐る恐る、カップを手に取る。
「いただきます」
ごくっと飲んでみると、なんだ、そのままの味じゃないか。甘くて苦くて酸っぱくて、色々な時間がぎゅっと詰まっていて。
「どう?」
「美味しくない……でも」
すごく温かい。
そう伝えると、マスターは微笑んだ。
「20歳、おめでとう」
【不思議な喫茶店(お題:20歳)】
海のしぶきを浴びて、三日月岩が夜に光る。
「母さんの機嫌が悪い時は、よくここに来るんだ」
服が濡れるのも構わず、彼女は岩へ歩み寄る。
右頬にできたばかりのアザが痛々しい。
「風邪引くよ」
もう帰ろう、とは言えなかった。
私にも彼女にも、心休まる家なんてない。
彼女は慈しむように三日月岩をなでる。
「この岩はね、長い間波にさらされて、柔らかい岩盤が削られてできたんだって」
闇色の地平線から、私たちを誘うように波の音が押し寄せる。
「ねえ、削られた岩はどこに行ったと思う?」
「海の中、かなあ」
彼女は、岩をなでた手のひらを見つめる。
「私、母さんの子供じゃないの」
岩から剥がれたカケラが、彼女の手の上できらきら光っている。
「私は三日月岩から生まれたの。長い間削られて、海でばらばらになって、もう一度陸に上がっても良いかなって思ったから、寄せ集まっていのちになった」
指で押すと、カケラはあっけなく砕けた。
「だからもう、海に帰ってもいいかなあ、って」
彼女の声に涙が混じる。
私は涙ごと彼女を抱きしめる。心が砕けてしまわないように。
【みかづきの子ども(お題:三日月)】
「全部ください! 選べないから!」
花屋の店員さんは、目をぱちくりさせた。
【お題:色とりどり】
(※GL表現あり)
気味の悪い手だと言われたことがある。
雪のように真っ白で冷たくて、骨張っているから。
だからいつも制服の袖で覆って、人を不快にさせるこの手が見えないように隠してきたけれど。
「ゆきちゃーん」
夏香はにこにこ笑って手を差し伸べてくる。こちらも手を差し出すように求めてくる。
「ひゃーつめた! こう暑い日は、やっば雪ちゃんの手に限るわあ」
「人を保冷剤扱いするな」
「むしろドライアイス?」
「もっと嫌」
同じ生き物とは思えないほど、彼女の手はいつも温かくて、油断すると心までとろけそうになる。
すると今度は、私の手に頬ずりして「きもち〜」と笑う。
彼女の汗はシトラスの香りがする。道を踏み外してしまいそうで、私は彼女から目をそらす。
「ほら、もう良いでしょ」
「雪ちゃんの手ってさあ」
夏香は私の人差し指をつまんで、
「美味しそうだよね。砂糖菓子みたいで」
人の気も知らないで。
「食べてみたら」
「えっ」
「そんなに言うなら、食べてみなさいよ」
我ながら氷のように冷たい声。
気がつけば彼女の口元に指を差し出していた。なんてことを。変なやつだと嫌われる。でももう、後にも引けなくなってしまって。
「いいの?」
熱を帯びた声。初めて聞いた声色。
赤い唇が、私の人差し指をとらえる。
「じ、冗談だって……」
彼女の舌は熱く、思わず手を引こうとするも、彼女は私の手を離さない。
駄目だ。離して。このままだと私までとけてしまうから。
もうじきホームに電車がやって来る。16時15分発横浜行き。隼斗が乗る電車。
結婚式場を出た時はみんなでわいわい歩いていたのに、学生時代の話に花を咲かせていたら、私たち二人きりになってしまって。
一つしかないホームの、西側が下りで、東側が上り。
スーツでキメて、あの日よりずっと大人びて見えるのに、西日に照らされてまぶしそうな彼の顔は変わっていなくて。
「なんだよ」
「いや、なんかね。十年ぶりに会ったのに、ずっと一緒にいた気がしちゃって」
「十年は十年だよ。俺がウイスキーならとっくに熟成してるわ」
「まずそう」
「まずそうとか言うなっ」
でも、やっぱり目は合わせてはくれない。
卒業式の日に私の気持ちを伝えてから、「ごめん」と断られてから、ずっと。
ひんやりとした風が吹く。
「結婚式、良かったね」
「予定あんの?」
「え?」
「遥香はさ、なんだ、結婚する予定とかってあんの?」
本当のことを言おうとして、でも、少しからかってみたくなった。
「実は付き合ってる人がいまーす」
隼斗が息を呑んだけど、私は気づかないふりをした。
ホームにアナウンスが流れる。間もなく横浜行きの電車がまいります。
電車が走って来る音に負けじと、私は声を張り上げる。
「もうね、ラブラブなんだから! そろそろ一緒になろうか、なーんて」
真っ赤な嘘をついている自分がおかしくて、なんだか涙が出てきて、でも隼斗には見せたくなくて、前髪を直すふりをして。
ホームに電車が滑り込んでくる。私は隼斗の背中を押して、
「ほら、これじゃないと終電間に合わないんでしょ、乗った乗った!」
彼は動かない。こちらをじっと見ているのが分かる。馬鹿だなあ私、振り向かせようとしたのはこっちなのに。
電車のドアが開く。
「行って!」
お願いだから。
発車ベルが鳴る。
「……ごめん」
大きくて温かい手が、私の頬を包む。手が震えていた。
「ごめん、やっぱり俺、遥香のこと」
顔を上げると、隼斗と目が合って、その眼差しから離れられなくなった。
彼が乗るはずだった電車は行ってしまった。
【お題:君と一緒に】