Morita

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1/10/2024, 2:07:32 PM

砂時計のガラスが割れると、パキリと小さな音がして、それから甘いような苦いような不思議な香りが立ち上った。

「この香りは?」
「砂ですよ。熟成するんです」

マスターは砂をコーヒードリッパーにあけた。
砂は一見灰色だが、よく見ると色々な粒が混ざっている。金や銀、青やピンクまである。

「この粒ひとつひとつが、あなたの生きてきた時間ですよ」
「生きてきた、時間」
「そう、生まれてから今日までの20年間。長い時間をかけて混ざり合って、こうして独特な香りになる」

お湯が注がれると、砂が柔らかく膨らみ、温かな湯気が立ち上った。

20年か。思い起こせば、辛いことも悲しいことも、色々なことがあったけれど。

「本当に美味しいんですか?」

あまり自信がない。

「それは、飲んでからのお楽しみ」

砂を通過してドリッパーの下に落ちてきた液体は、夜の色をしていた。

骨のように白いコーヒーカップに、私の生きた20年の時間が注がれる。

「どうぞ」

恐る恐る、カップを手に取る。

「いただきます」

ごくっと飲んでみると、なんだ、そのままの味じゃないか。甘くて苦くて酸っぱくて、色々な時間がぎゅっと詰まっていて。

「どう?」
「美味しくない……でも」

すごく温かい。
そう伝えると、マスターは微笑んだ。

「20歳、おめでとう」

【不思議な喫茶店(お題:20歳)】

1/9/2024, 2:36:53 PM

海のしぶきを浴びて、三日月岩が夜に光る。

「母さんの機嫌が悪い時は、よくここに来るんだ」

服が濡れるのも構わず、彼女は岩へ歩み寄る。
右頬にできたばかりのアザが痛々しい。

「風邪引くよ」

もう帰ろう、とは言えなかった。
私にも彼女にも、心休まる家なんてない。

彼女は慈しむように三日月岩をなでる。

「この岩はね、長い間波にさらされて、柔らかい岩盤が削られてできたんだって」

闇色の地平線から、私たちを誘うように波の音が押し寄せる。

「ねえ、削られた岩はどこに行ったと思う?」
「海の中、かなあ」

彼女は、岩をなでた手のひらを見つめる。

「私、母さんの子供じゃないの」

岩から剥がれたカケラが、彼女の手の上できらきら光っている。

「私は三日月岩から生まれたの。長い間削られて、海でばらばらになって、もう一度陸に上がっても良いかなって思ったから、寄せ集まっていのちになった」

指で押すと、カケラはあっけなく砕けた。

「だからもう、海に帰ってもいいかなあ、って」

彼女の声に涙が混じる。
私は涙ごと彼女を抱きしめる。心が砕けてしまわないように。

【みかづきの子ども(お題:三日月)】

1/8/2024, 10:47:18 PM

「全部ください! 選べないから!」
花屋の店員さんは、目をぱちくりさせた。

【お題:色とりどり】

1/7/2024, 10:28:57 PM

(※GL表現あり)

気味の悪い手だと言われたことがある。
雪のように真っ白で冷たくて、骨張っているから。

だからいつも制服の袖で覆って、人を不快にさせるこの手が見えないように隠してきたけれど。

「ゆきちゃーん」

夏香はにこにこ笑って手を差し伸べてくる。こちらも手を差し出すように求めてくる。

「ひゃーつめた! こう暑い日は、やっば雪ちゃんの手に限るわあ」
「人を保冷剤扱いするな」
「むしろドライアイス?」
「もっと嫌」

同じ生き物とは思えないほど、彼女の手はいつも温かくて、油断すると心までとろけそうになる。

すると今度は、私の手に頬ずりして「きもち〜」と笑う。
彼女の汗はシトラスの香りがする。道を踏み外してしまいそうで、私は彼女から目をそらす。

「ほら、もう良いでしょ」
「雪ちゃんの手ってさあ」

夏香は私の人差し指をつまんで、

「美味しそうだよね。砂糖菓子みたいで」

人の気も知らないで。

「食べてみたら」
「えっ」
「そんなに言うなら、食べてみなさいよ」

我ながら氷のように冷たい声。
気がつけば彼女の口元に指を差し出していた。なんてことを。変なやつだと嫌われる。でももう、後にも引けなくなってしまって。

「いいの?」

熱を帯びた声。初めて聞いた声色。
赤い唇が、私の人差し指をとらえる。

「じ、冗談だって……」

彼女の舌は熱く、思わず手を引こうとするも、彼女は私の手を離さない。

駄目だ。離して。このままだと私までとけてしまうから。

1/7/2024, 4:10:20 AM

もうじきホームに電車がやって来る。16時15分発横浜行き。隼斗が乗る電車。

結婚式場を出た時はみんなでわいわい歩いていたのに、学生時代の話に花を咲かせていたら、私たち二人きりになってしまって。

一つしかないホームの、西側が下りで、東側が上り。
スーツでキメて、あの日よりずっと大人びて見えるのに、西日に照らされてまぶしそうな彼の顔は変わっていなくて。

「なんだよ」
「いや、なんかね。十年ぶりに会ったのに、ずっと一緒にいた気がしちゃって」
「十年は十年だよ。俺がウイスキーならとっくに熟成してるわ」
「まずそう」
「まずそうとか言うなっ」

でも、やっぱり目は合わせてはくれない。
卒業式の日に私の気持ちを伝えてから、「ごめん」と断られてから、ずっと。
ひんやりとした風が吹く。

「結婚式、良かったね」
「予定あんの?」
「え?」
「遥香はさ、なんだ、結婚する予定とかってあんの?」

本当のことを言おうとして、でも、少しからかってみたくなった。

「実は付き合ってる人がいまーす」

隼斗が息を呑んだけど、私は気づかないふりをした。
ホームにアナウンスが流れる。間もなく横浜行きの電車がまいります。
電車が走って来る音に負けじと、私は声を張り上げる。

「もうね、ラブラブなんだから! そろそろ一緒になろうか、なーんて」

真っ赤な嘘をついている自分がおかしくて、なんだか涙が出てきて、でも隼斗には見せたくなくて、前髪を直すふりをして。

ホームに電車が滑り込んでくる。私は隼斗の背中を押して、

「ほら、これじゃないと終電間に合わないんでしょ、乗った乗った!」

彼は動かない。こちらをじっと見ているのが分かる。馬鹿だなあ私、振り向かせようとしたのはこっちなのに。

電車のドアが開く。

「行って!」

お願いだから。
発車ベルが鳴る。

「……ごめん」

大きくて温かい手が、私の頬を包む。手が震えていた。

「ごめん、やっぱり俺、遥香のこと」

顔を上げると、隼斗と目が合って、その眼差しから離れられなくなった。

彼が乗るはずだった電車は行ってしまった。


【お題:君と一緒に】

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