お題「歌」
遠くから歌声が聞こえた。
僕は森の中で足を止める。
優しい声で彼女は歌う。
いつもは怒ってばかりの彼女だが、歌うときの声は嘘みたいに穏やかできれいだった。
彼女の歌声は、森を抜けた先の湖の方から聞こえてきた。
僕はそちらに向かって進む。ズボンのポケットからオカリナを取り出し、口元に持っていく。それから、そっと息を吹きかける。
透き通った音を紡ぐ。
オカリナを吹きながら、僕は湖に向かっていく。
ふと、彼女の声が一瞬途切れる。しかし、すぐに再開する。今度は僕のオカリナに合わせるように。僕が彼女の歌声に合わせていたように。
二人で同じ曲を奏でる。
次第に彼女の歌声が大きくなっていく。
そうして、森が途切れ、湖のほとりで歌う彼女が見えた。
彼女は歌いながら、振り返り、僕を見て微笑む。その間、僕もオカリナを吹き続けた。
僕は彼女の隣に立つ。
さざなみ一つ立たない静かな湖に、彼女と僕の曲がただ響いた。
(了)
お題「ふとした瞬間」
「なに?」
視線を感じて振り向けば、彼がダイニングで珈琲を飲みながら、こちらを見ていた。片耳だけイヤホンを外して、彼にそう尋ねた。
だが、何も言わない。
向こうは両耳ともイヤホンを付けたままだ。
「だからなに?」
「いや別に」
イヤホンを外さずに彼は答えた。
ならこっちを見るなと言おうとして諦める。無視して、自分のパソコンの画面に目を戻す。彼はダイニングのテーブルで、こちらはリビングのローテーブルで、それぞれ仕事をしていた。ちなみに、同じ会議にリモートで参加していた。スピーカーモードにするとお互いの音がハウリングするから、こうなっている。
そもそも、同じ部屋から接続していることは同僚たちには内緒だ。
『高木さん、C社からの返答来ましたか?』
「まだです。今週末来るそうです」
彼がそう答える。
『まだです。今週末来るそうです』
遅れてイヤホンからも彼の声が聞こえる。
ふとした瞬間、彼はいい声だということを思い知る。でも、生の方がいい。
そのあと幾つかやり取りがなされ、会議が終わる。
彼の方を向くと、イヤホンを外し、こちらに来た。ローテーブルの向かいのソファに座る。仕事しろ。
「なに?」
「何でもない」
そう言って彼はにこにこと笑う。
*****
ふとした瞬間に見せる真面目な顔を見るのが好きだった。
まあ、いつもあんまりにも腑抜けた顔だからかもしれない。
(了)
お題「春恋」
春は嫌いだ。別に花粉症だからではない。
溶けた雪は汚いし、ぬかんだ土を踏む感触は気持ち悪い。
なにより、春はあの人が旅立つ季節だ。
あの人は雪が降る前に私たちの村を訪ね、一冬を過ごし、春になれば去っていく。
今年も、あの人は雪がまだ残るうちに村を出ていった。私は猫のミーコと、あの人を見送った。
あの人がいない家で、今日も私はぼんやりと本を読む。ミーコが私に身体をぐいぐいと押し付ける。そういう季節だ。あの子は、子供を作ることは出来ないのだけど、習慣だけが残っている。
春は確かに恋の季節だが、私とミーコにとっては限りなく他人事だった。
冬が、待ち遠しい。
(了)
お題「cute!」
通学路の途中にある一軒家の前を通るのが私の楽しみだった。
取り立てて立派でも、面白い形をした家ではないが、道路に面した窓が広かった。その窓からほとんど毎日見えるのが。
「シロちゃぁんー!!」
私の隣にいたミカコが呆れた顔をした。しかし構わず私はキャットタワーに座る真っ白な猫に向かって手を振る。
「あの子シロって言うの?」
「さあ。私が勝手に呼んでるだけ」
「おまえ……」
「シロちゃんが今日も見れた。生きててよかった」
「大げさすぎ」
シロちゃんはとってもきれいでかわいい白猫で、瞳が左右違うところもたまらなくキュートだ。
私は力いっぱい手を降って、後ろ髪引かれつつも、学校に向かった。
あんずの毎朝の日課は塔の上から、外を監視することである。きなこが恨めしそうに見上げているが、無視した。文句があるなら己の力を示せばいい。あんずはこの家で一番強く偉い。ゆえに塔の上を独占するのである。
今日も毛があまりない愚鈍で大きいだけの猫たちが前を過ぎ去っていく。それを眺めるのがあんずの楽しみであった。
中でもやたら威勢のいいのが一匹いる。自分に対して心酔しているのが見て取れる。同じ家にいる毛の少ない大きな猫たちほどではないが。
大きな猫が飛び跳ねんばかりに、けれどのろのろと手を振るのは愛らしい。
あんずは目を細めて今日も、毛のない大きな猫を眺めた。
お題「記録」
記録。
人類絶滅からカウントして412497日目。
今日も火星は平穏無事である。