お題「ふとした瞬間」
「なに?」
視線を感じて振り向けば、彼がダイニングで珈琲を飲みながら、こちらを見ていた。片耳だけイヤホンを外して、彼にそう尋ねた。
だが、何も言わない。
向こうは両耳ともイヤホンを付けたままだ。
「だからなに?」
「いや別に」
イヤホンを外さずに彼は答えた。
ならこっちを見るなと言おうとして諦める。無視して、自分のパソコンの画面に目を戻す。彼はダイニングのテーブルで、こちらはリビングのローテーブルで、それぞれ仕事をしていた。ちなみに、同じ会議にリモートで参加していた。スピーカーモードにするとお互いの音がハウリングするから、こうなっている。
そもそも、同じ部屋から接続していることは同僚たちには内緒だ。
『高木さん、C社からの返答来ましたか?』
「まだです。今週末来るそうです」
彼がそう答える。
『まだです。今週末来るそうです』
遅れてイヤホンからも彼の声が聞こえる。
ふとした瞬間、彼はいい声だということを思い知る。でも、生の方がいい。
そのあと幾つかやり取りがなされ、会議が終わる。
彼の方を向くと、イヤホンを外し、こちらに来た。ローテーブルの向かいのソファに座る。仕事しろ。
「なに?」
「何でもない」
そう言って彼はにこにこと笑う。
*****
ふとした瞬間に見せる真面目な顔を見るのが好きだった。
まあ、いつもあんまりにも腑抜けた顔だからかもしれない。
(了)
4/27/2025, 12:42:19 PM