お題「さぁ冒険だ」
主任が上機嫌になっていくのにつれて、俺は気が沈んでいった。
『前方に所属不明の船隻あり。こちらからの呼び掛けには答えないニャ』
操作盤の上に座って喋るキジトラの猫、もといこの船のメインコンピュータがそう告げる。ふわふわの猫の姿は仮の姿で、猫好きの主任が選んだアバターだ。あざとい語尾設定なのは、これでも妥協の産物である。主任はコンピューターのUIの選択言語になぜかあった猫語を選択したいとごねたが、何とか思い止まらせた。おい、猫語は本当に言語か?
「救難信号とかは出てない?」
『出ていませんニャ』
主任と猫の会話を聞きながら、俺は前方のスクリーニンに表示された、宇宙空間にぽっかり浮かぶ一隻の宇宙船を眺める。その船についてわかった情報を猫が表示はしているが、あまり情報がないらしく、不明、不明、不明のオンパレードだった。
「あの船、僕たちの進行方向にいるよね?」
『はいですニャ』
「じゃあ、ちょーっと寄ってもいいよね?」
「いいわけあるか! じゃない、何考えてるんですか主任!」
初めの頃と違って主任は俺に怒鳴られても動じなくなっていた。俺は見た目は相当厳ついのだ。自分で言うなという話だが、肉体の八割を機械化していて、機械化していることを隠しもない装いだからだ。見た目に気を遣う金は俺にはない。
「いやー、だってさ、謎の宇宙船だよ! ワクワクしない!? あと僕のことは船長って呼んでよね」
「しません。ただの不法投棄か、海賊のカモホイホイでしょう。あと主任は船長ではありません」
そもそもこの船は主任のものではなく、会社のものだし、そもそも船をコントロールしているのはそこのキジトラである。
「いやいやいや。生体反応はないんだよね、タマちゃん?」
一瞬、キジトラはその顔を人間みたいに歪めた。ちなみにタマとは、主任が勝手に呼んでる名前だ。
『ないですニャ。船自体数百年前に造られたもののようですニャ』
「絶対幽霊船でしょ!」
「何言ってるんですか、ただのスクラップでしょう。しかもそんなオンボロに乗り込むんですか?」
「乗り込むのは君だよ」
親指を立てて、白い歯を見せ主任は笑っ
「そもそも僕たちの仕事はサルベージなんだから、業務業務」
「何でもかんでも漁るのがサルベージじゃないんですが……」
「細かいことは気にしない!」
「しろよ!!」
「タマちゃん、それじゃあ、あの船に接舷してね」
『了解しましたニャ』
そう告げるとキジトラは消えた。
「おい!」
「さぁ、冒険の始まりだ!」
高らかに主任は告げた。
そして案の定、俺たちはろくでもない目に巻き込まれるのだった。
私の家の近くに小さな沼があった。
それは底なし沼で、子供は一人で近寄ってはならないと言われていた。
ある日私は言いつけを破り、一人でそこに行った。
理由は特にない。禁止された行為をしてみたいというよりは、自分は落ちるような不注意な行動は取らないし、そもそも、もうそんな子供ではないと思っていた。
私の住んでいるところは田舎で、三方を山に囲まれ、田畑ばかりが広がっていた。そこには、神さまが剪定し忘れたような小さな森が点在していた。底なし沼はそういう小さな森の中にあった。
天気の良い昼下がり、私は森に入り、沼にすぐ辿り着く。
沼自体は私の子供部屋よりも小さいくらいだった。底は見えず、どろが混じっていた。
私はほとりにしゃがみ込み、じっと見つめた。
なんだ、大したことないな。そう思った。
どのようなものなら、大したことがあるのか、当時の私はそこまで勿論考えていなかった。
しかし、ふと違和感に気づく。
沼の真ん中に何かがあった。
よく見ればそれは一輪の花だった。淡いピンク色で花びらが沢山ある花。
どちらかと言えばきれいではあるが、なぜかいい気持がしなかった。
私は急に一人であることが怖くなり、ゆっくり立ち上がると、じりじり後ろに下がっていった。背中を向けるのがなぜか恐ろしく、また花から目を逸らしたら、沼に落ちてしまいそうな気がした。
森を抜けた途端、私は背を翻して、走った。
家に着くまで一度も止まらず、振り返りもしなかった。
その後、沼へは二度と行かなかった。
そうして月日が経ち、私は進学を機に故郷を出た。
あるとき、大学のサークル仲間たちと、学校そばの桜並木を歩いていたあるとき、ふと一本桜の話になった。
一本だけ植えられている桜が、その下に死体が埋まっていそうで気味が悪い、というものだった。桜並木がほとんどない北国生まれの私にはよくわからない感覚だった。でも、その話を聞いて、私はあの沼に咲く花のことを思い出した。
大学を出て故郷に戻らず就職してしばらくした頃、開発のためにあの沼があった森が潰されたという。
(了)