私の家の近くに小さな沼があった。
それは底なし沼で、子供は一人で近寄ってはならないと言われていた。
ある日私は言いつけを破り、一人でそこに行った。
理由は特にない。禁止された行為をしてみたいというよりは、自分は落ちるような不注意な行動は取らないし、そもそも、もうそんな子供ではないと思っていた。
私の住んでいるところは田舎で、三方を山に囲まれ、田畑ばかりが広がっていた。そこには、神さまが剪定し忘れたような小さな森が点在していた。底なし沼はそういう小さな森の中にあった。
天気の良い昼下がり、私は森に入り、沼にすぐ辿り着く。
沼自体は私の子供部屋よりも小さいくらいだった。底は見えず、どろが混じっていた。
私はほとりにしゃがみ込み、じっと見つめた。
なんだ、大したことないな。そう思った。
どのようなものなら、大したことがあるのか、当時の私はそこまで勿論考えていなかった。
しかし、ふと違和感に気づく。
沼の真ん中に何かがあった。
よく見ればそれは一輪の花だった。淡いピンク色で花びらが沢山ある花。
どちらかと言えばきれいではあるが、なぜかいい気持がしなかった。
私は急に一人であることが怖くなり、ゆっくり立ち上がると、じりじり後ろに下がっていった。背中を向けるのがなぜか恐ろしく、また花から目を逸らしたら、沼に落ちてしまいそうな気がした。
森を抜けた途端、私は背を翻して、走った。
家に着くまで一度も止まらず、振り返りもしなかった。
その後、沼へは二度と行かなかった。
そうして月日が経ち、私は進学を機に故郷を出た。
あるとき、大学のサークル仲間たちと、学校そばの桜並木を歩いていたあるとき、ふと一本桜の話になった。
一本だけ植えられている桜が、その下に死体が埋まっていそうで気味が悪い、というものだった。桜並木がほとんどない北国生まれの私にはよくわからない感覚だった。でも、その話を聞いて、私はあの沼に咲く花のことを思い出した。
大学を出て故郷に戻らず就職してしばらくした頃、開発のためにあの沼があった森が潰されたという。
(了)
2/24/2025, 10:48:06 AM