冬になったら
「早くこっちおいでよ」
電話で少しだけ不機嫌そうな声がエコーを掛けた。
「スノータイヤ履いてるんでしょ?」
「履いてるけど、でも雪道の運転慣れてないし」
「だから今こないとでしょ。本格的に冬になったら絶対来ないんだから」
「いや、そしたら帰り雪道になって帰れないかもしれないじゃん」
一瞬の間。
「だからそれでいいじゃん。」
むう、と頬を膨らませたのが電話越しでもわかる。
「帰らなくていーじゃん。」
窓の外は寒そうな風が葉を落とした枝を揺らしていて、
きっともう1ヶ月もしないうちにその中に白いものが混ざるんだと思う。
「…いっか。帰らなくて」
「ウン」
素早い切り返しで相槌を打ち、
「ん、待ってそれどっち?」
慌てたような次の句が追いかけてくる。つい笑ってしまった。
壁に掛けたカレンダーは本当はもう明後日から予定を書き入れていない。
「明日行くよ。そっち」
一拍の間。
「えっほんと?」
電話越しでも明るい表情が見えてこっちも笑ってしまう。
冬が来る。
眠りにつく前に
画面を見ると今日1日で貯まったメッセージ
今日1日で知り得たきみの情報
おやすみ で終わったやり取りが
明日への活力を秘めている気がして
不意に暗くなった画面ににやけた顔が映って慌てて指紋を滑らせる
だめだだめだもう寝よう
理想郷
世界の殆どの人は
いや
すべての人はその場所を持っているはずだ
戦争も悲しみも涙もない
時間も重力も相対性理論もそこでは意味を成さない
そこではすべてが叶う
そこでは害を及ぼすものがなにもない
どこにもない善き場所
もう会えない死んだ友がいて
もう会ってくれないかつての友がそこで笑っていて
わたしはこの使い物にならない脚を何でもないかのように翔けさせて彼らの方へ走っていく
この手に抱きしめた温もり
頬に触れる息
耳を劈くような電子音にわたしは目を開ける
頭の中から薄れ始めた今朝のユートピアを完全に消し去る
「あの中で生き残れたんだから、本当に感謝しなくっちゃね」
ああそうだそのとおり、
このすべてがあるディストピアを生きられることを今日も感謝しようじゃないか。
懐かしく思うこと
夕日が当たる廊下を歩く。
あなたがわたしに笑いかけてくれたあの日を思い出す。
あのときに思いを伝えておけばよかったと、何度でも思い返す。
忘れたくても忘れられない
自分の記憶を思い返すと消したい思い出は恥ずかしい思い出とかそういうものかもしれない
だれかの記憶を思い返すと忘れられないのは笑えたりせつなかったりそういうものかもしれない
記憶ってたまにあやふやで不確かで
鋭くて悲しくて
温かくて穏やかで
それだけで頑張れる気がしたり
それだけで外に出るのが怖くなったりもする
ふしぎだよね
ただ時間が流れた
文字にすればそれだけのことなのに