雨に佇む
女性は残酷だ。もうこの人はムリと思ったら、二度とムリなのだ。
昨日長い春になりそうな位、ダラダラと結局お付き合いしてしまった彼を振った。
結婚するでもなく、ただ流されていく時間と彼の決断力のなさに嫌気がさした。
私も、今年で33になる。世間では晩婚も流行りの一つかも知れないが…。
そんなのどうでも良かった。自分の心に正直になった結果、お別れする道を選んだ。
朝から雨が降り続いていた。ちょうど土曜日の休みだったので傘をさして駅前の馴染みの喫茶店でナポリタンとカフェラテを飲んで、一息ついてからお会計を済ませ外に出た。
通りの真正面に傘もささずに、雨に佇む彼がいた。
これ見よがしにずぶ濡れになって、悲劇のヒロインよろしく捨てられた犬の様な目をしてこちらを見た。
私の気持ちは1ミリも動かなかった。
寧ろ嫌悪感さえ抱いた。
最後の優しさなのか何なのか、傘だけ彼に差し出した。
「傘は返さなくていいから…。」
彼への最後の言葉だった。
私は近くのコンビニでビニール傘を買って、何とも言えない気持ちのまま家路についた。
私が契約者のアパートの玄関に、紺色の無地の傘が立てかけてあった。
燃やせないゴミの日は何曜日だったかな…。
ふとそんなことを考えて玄関のドアを開けた。
雨はもうやんでいた。
私の日記帳
3年日記というものを書き始めて、4年目になる。二冊目に突入だ。日記帳にはその日の心の機微を書き留める方々も多いだろう。
でも、私は殆どその日の行動と食したものなど…。
読み返しても大して面白くないものを、延々とかき綴っている。
理由は簡単だ。忘れっぽくなったと焦り、日々の出来事を書き留めておきたかったのだ。
ちょっとした備忘録。
でも、この日記のお陰で忘れても大丈夫!と前向きな自分になれた気がする。
洗濯をした、とか今日はトイレ掃除とか…。名もなき家事も書き留める。花の水やりっていうのも。
だから私の日記帳は何の変哲もない。
それで良いと半ば開き直って書いている。
今日も日記をつけるだろう。
朝早く起きすぎて二度寝。昨日のおかずで朝食。花の水やり。掃除機をかける。
駅前のスーパーに歩いて買い物…Pokémon GOをしながら。
昼、トーストとインスタントポタージュスープ。ミニトマト5個。夕食は炊き込みご飯。鮭としめじと油揚げの。
おかずはパス。お味噌汁もパス。ちょっと疲れ気味。
徹子の気まぐれTVを観る。読みかけのヘルマン・ヘッセを読む。今日は張り切って歩きすぎた。反省…。
こんな感じで私の日記帳は綴られていく。
明日も代わり映えはしないだろう。
それで良いのだ。
麦わら帽子
小学校3年生の夏。家族3人で海水浴へ父の愛車で出掛けた。
久し振りの家族旅行で私は、とてもはしゃいでいた。
海の家で食べる焼きとうもろこしもラーメンも格別だった。泳ぎの得意な父の背中に捕まって、浮き輪を持ちながら波乗りも楽しんだ。
海の家で借りたパラソルで母だけは、ずっと海を見つめていた。
夜は花火も楽しかった。最後の線香花火で誰が最後まで残るか勝負した。殆ど私の勝ちだった。
母の手元が小刻みに揺れて、目には涙がうっすらと浮かんだのを不思議な気持ちで見ていた。
夜は疲れて私は一番に寝入った。夜中トイレに行きたくなって目が覚めた時、父と母が話し合う声を聞いてしまった。
「これで、家族で出掛ける日も最後だな。荷物はもうまとめたのか?」
「はい。」
「麻帆のことは、心配するな、俺の両親もついてる。家に戻ってから、お前の口から麻帆に話しなさい。」
「わかりました。」
私は、ショックと気まずさでトイレを朝まで我慢した。
味のしない朝食を食べた。母に選んで貰ったお気に入りの麦わら帽子を被って、父の車に乗り込んだ。
私は車に酔いやすいので、クーラーもかけつつ窓は全開だった。
海岸沿いを走ってカーブを曲がったその時、強い風が吹いて私の麦わら帽子が飛んでいってしまった。
私は、感情を抑えられずに声をあげてわんわん泣いた。
「又買ってあげるから。」
と母は優しくなだめてくれた。
その夏、麦わら帽子と一緒に、大好きだった母もいなくなってしまった。
遠く遠く手の届かない場所まで…。
大人になった今でも、麦わら帽子をみると胸がちょっと苦しくなって…優しかった母を思い出す。
潮の香りとともに。
終点
月曜日は憂鬱だ。広告代理店に大学の就活で滑り込みセーフで入社して3年…。
代わり映えの無い単調な仕事に嫌気がさしてきた。
クライアントの要望に答え、自分なりに頑張ってきたつもりだが、ここでも男尊女卑というのだろうか…。
納得のいかない仕事ばかり私にまわってくる気がしてならない。
今日は、サービス残業もした挙げ句…いつものねちっこい上司のめがね親父にさっきから1時間以上も捕まって、文句を言われ続けた。
あーもう限界だ。
疲れた体に、居酒屋のウーロンハイと焼き鳥が染み渡る。
西武新宿の高田馬場の駅近の焼き鳥チェーン店でやけ酒だ。
お一人様上等!今日は終電まで飲んでやる…。
千鳥足で電車に乗り込み、「新井薬師前〜」とアナウンスを聞いたのが最後、うとうととうたた寝をしていた。
かなりの瞬殺で爆睡に入った模様。
田無で降りるはずが…終点の本川越まできてしまっていた。
駅員さんに肩を叩かれるまで、全く気づかなかった。
手に持っていたお気に入りのDEAN&DELUCAのトートバッグも床にストンと落としていた。
慌てて拾い上げて、本川越の改札に向かう。タクシーなんてお給料日前で痛い出費だ。
どうしようか…と悩んで改札を出たすぐのタクシー乗り場でとりあえず並んでいた。
私と同じように、肩を落として並ぶ男の人の横顔に見覚えがあった。
あ!中学3年生の頃、1年間だけお付き合いした元カレだった。
「拓哉?」私はこんな偶然に嬉しくなって思わず声をかけた。
「え?もしかして…美咲?」
結局私達は地元が同じなので、田無までタクシーを乗り合わせた。
タクシーの中で近況報告をし合った。拓哉も今の職場での不満が多いらしい。
たまたま、職場が近いことが判明して、私達は来週居酒屋でストレス発散する約束をした。
あの頃はよく一緒にMacで夜遅くまで勉強したな。お小遣いが出た次の日だけ、スタバだったっけ。優しくて穏やかな人柄が当時のままだった。
憂鬱な月曜日から、華の月曜日(古!)に変わろうとしている。
来週何着ていこうかな。そんなことを考えながら、眠りについた。
終点で巡り会えた奇跡に感謝しながら。
上手くいかなくたっていい
仕事を辞めた。長く大手引っ越し会社で働いてきたが、腰を悪くして治療で通っていた病院の先生にも、「これ以上、無理は出来ませんね。」と。
知り合いのつてで、先月まで飲食店だったお店が閉まり今なら居抜きで安く始められると紹介された。
駅近で立地も良い。
大学生の頃、飲食店で厨房も接客もレジ締めも経験がある俺は、これはチャンスかも知れない…と、妻に相談する前に即決していた。
夜泣きをする長女をあやして、リビングのソファーに腰をおろした妻に冷蔵庫のルイボスティーをグラスに注いで渡した。
「ありがとう。夜泣きも大変だけど…これも成長のあかしらしいね〜あともう少しの辛抱かなぁ。」
実は…と、例の飲食店の話をしたら、少し間があってから「いいと思うよ。あなた昔、自分のお店持ちたいって話してくれたことあったものね。」
倹約家の妻が、コツコツと貯めてくれていたまとまったお金を嫌な顔ひとつせず通帳ごと渡してくれた。
それからが、大変だった。
いくら居抜きとはいえ厨房の掃除やら古いレジの入れ替えや、クロスの総張替え、食器の調達、食材の仕入れ先の確保、スタッフの募集に面接、飲食店に必要な資格は2つとも持っていたのは自分でも幸いしたが、保健所や消防署など行政機関への届け出などでお店のOPENまで、体がふたつ欲しいと何度も思った。
この店が、潰れることになったら…俺達家族は…と不安もよぎった。
青ざめて目にくまもできた顔で、妻に、素直にそのことを話した。彼女は言った。
「そんなに。頑張りすぎなくていいよ。私はいつだってなんとかなると思って生きてる。お店だって繁盛するに越したことはないけれど、上手くいかなくたっていいじゃない!」
ずっと重くのしかかっていたものから、解放されて不覚にも涙を流していた。
妻の優しい言葉が有り難かった。救われた。
この店に人生をかけよう!と意気込んでいたけれど、今は肩の力を抜いて、なるようになるさと失敗を恐れたりしない。
目の前が段々と明るくなる気がした。
最近、ケラケラと大きな声を出すようになった長女の心乃葉がケ・セラ・セラと笑ってるように見えた。
OPENまでは後少しだ。
家族が俺の背中を優しく押してくれた午前3時。
残暑の厳しさからも抜け出して、秋が少し顔を覗かせた。