スノー
空から淡い光が落ちる日が来るたび、君が胸に戻ってくる。
あの冬の午後が、透明なガラスの中で永遠に回りつづけているように。
机の上に置かれたスノードームを手に取る。
君が最後にくれたもの。
「永遠って、こういうのを言うんだよ」
照れたように、でもどこか確信めいた声で笑った君の表情が、まだ指先に触れるみたいに鮮やかに蘇る。
けれど、どうしてだろう。
永遠をくれたはずの君は、私の隣で雪を見る側ではなくそのものになってしまった。
手のひらに舞い降りては、私の温度に触れた瞬間、静かに形を失っていく、儚い結晶のように。
窓の外で、ふわりと雪が落ちた。
粒を受け止めるように、そっと手を伸ばす。
白い粒はほんの一瞬だけ、冷たさと重さを主張して、それからあっけないほど簡単に溶けて消える。その瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
こんなふうに、君を思い出すたび、私の中で君は溶けて、また形を変えて降り積もる。
スノードームを軽く振ると、きらきらと結晶が舞う。
閉ざされた世界の中で、雪は永遠に降り続ける。
そこには君の気配があって、声があって、笑い方があって、私が知っているすべての君がゆっくりと漂っている。
もしも永遠が本当に存在するなら、きっとこんなふうに、止まらない雪のなかで呼吸しているのだろう。
君はもう触れられない場所に行ってしまったけれど、雪が降る日は、どうしてかすぐ近くにいる気がする。
まるで、白い世界のどこかで君が立ち止まり、私のほうを見ているみたいに。
だから今日も窓辺に座って、静かに雪を眺める。
降り積もる記憶と、溶けてゆく痛みと、手の中に残った温もりと。
雪が降るたび、私は君に触れる。
そして、触れた瞬間、また君を失う。
君が残した静かな光のなかで、私はまだ歩くことを許されている。
夜空を超えて。
河川敷に立つと、夜の風がゆっくり頬をなでた。
街の灯りが川面に揺れて、星よりも先に光っている。
君は空を見上げて、少し肩をすくめた。
「星、ほとんど見えないね。雲、多いからかな」
僕も同じ方向に視線を向けた。
確かに空は厚い雲に覆われていたけれど、それよりも、君の横顔の方がよく見えていた。
「ねぇ」
君がポケットに手を入れながら言う。
「もしさ、私がどこかで迷って、誰にも見つからなくなったら……どうする?」
冗談にも本音にも聞こえる、不思議な問いだった。
少し吹いた風が草を揺らす。僕はその音が止むのを待ち、静かに答えた。
「探しに行くよ。どんな場所にいても」
「たとえ暗闇に紛れても、きっと見つけると思う」
君は驚いたようにこちらを向いた。
その視線が触れた瞬間、夜の冷たさが少しだけ薄れた気がした。
「どうしてそんなに言い切れるの?」
僕は迷いの消えた声で続けた。
「君は僕にとっての一番星なんだよ。
空が曇ってても、他の光が全部消えても、君だけは分かる。
ずっと、導くみたいに光ってたから」
その瞬間――
君の頬に雫が流れて、冬の名残りが残る季節なのに、僕には春の暖かい気配がした。
そして、僕の中に何かがやわらかくほどけた。
君は俯いて、足もとを見つめた。
「そんなふうに思われてたなんて……知らなかった」
僕は一歩近づき、声を落とした。
「君がそこにいるってことだけが大事なんだ。
これからは……同じ方向を見て歩けたら、嬉しい」
雲の切れ間からこぼれた光が、君の瞳を淡く照らす。
君は少しだけ笑った。
「あなたがそう言うなら、迷う理由なんてないよ。
ずっと……あなたの光を追いかけてきたんだから。
これからは、隣で見ていてもいい?」
胸に広がる温度が、風よりも確かだった。
僕は静かにうなずいた。
夜空に星はほとんどなかったけれど、
二人の影は寄り添い、見えない光の方へ同じ歩幅で進み始めた。
届いて....
声にならない声をあげた。
あなたの名前だった。
でも唇の中で潰れて、外には出なかった。
こころはいつもあなたを探してしまう。
どんな景色も、どんな言葉も、あなたでいっぱいになる。
それだけで息が詰まる。
届いてほしかった。
ずっと。
この想いが、あなたの胸に少しでも触れてくれたらって。
でも知ってる。
あなたにはもう、あの人を見つめる瞳がある。
その視線は私には決して向かない。
それでもどうか届いてほしいと願ってしまう。
届かないって、自分でも分かっているのに。
もう、自分を止めることはできなかった。
あの日の景色
もう何度目だろう、心臓が波打って目の前が揺れるのは。
瞳に涙の膜が張っていた私を焦った顔をして、あなたが覗き込む。
でも、その心配そうな表情さえ大好きでたまらなかった。
自分の全てを懸けてもいいくらいに。
気づけば涙が落ちていた。
体の奥から張り詰めていた糸が切れてしまったみたいに、簡単に止めることができなかった。
でも、その涙は悲しいからじゃなかった。
自分の心がちゃんと届いたのだと。そう感じられたからだった。
それから時は過ぎ去っていくもので...
今度はあなたが私の前に立っていた。あの時と同じ景色で。
少し震える手も、声もあの時の私みたいで、愛しくてたまらなかった。
あぁ、これが恋から愛に変わる瞬間なのだろうと思った。
あの日、自分の全てを懸けて告白した私に、今度は君が全てを懸けて応えてくれる。
それがこんなにも優しく、あたたかいなんて。
私はあの日の景色を、あの時の表情を、あの瞬間の思いを
一生忘れることはない、否できないだろう。
願い事
夏の夜は、どうしてこんなに息苦しいんだろう。
熱気を孕んだ風が頬を撫でるたびに、心臓の奥まで蒸されていくみたいで、息をするのが妙に苦しかった。
街灯に照らされた舗道に立ち尽くしながら、空を見上げる。真上には月も星もなく、ぼんやり霞んだ闇だけが広がっていた。
せめてもう一度だけ、君の瞳に私が映ることがあれば。それだけでいい。他には何も望まないのに。それさえ届かない。
鈍く光るアスファルトを見つめる。
そこには私の影だけが細長く伸びていて、どこにも君の姿はなかった。
あの頃、もっと近くにいればよかった。照れくさいなんて言わずに、笑って、話して、触れていればよかった。暑苦しいほどの季節に、思い切りぶつかっていけばよかったのに。
夜空には虫の声が響いている。草むらから、小さな生き物たちの気配がやけに賑やかに届く。
なのにこの胸の中は、あの時からずっと静まり返ったままだ。
どれだけ願っても過去は戻らない。叶わぬと分かっているのに、それでも願い続けてしまう。
君が、もう一度だけ私を見つけてくれるようにと。
そして、ふと自分の心に問いかけた。
君が思い出になる前に、私はどれだけ君を想えばいいのだろう。
湿った夜風に吹かれながら、どこにも行けずに立ち尽くす。
願いが報われなくても、それでも心が向かうのは、やっぱり君だった。