届いて....
声にならない声をあげた。
あなたの名前だった。
でも唇の中で潰れて、外には出なかった。
こころはいつもあなたを探してしまう。
どんな景色も、どんな言葉も、あなたでいっぱいになる。
それだけで息が詰まる。
届いてほしかった。
ずっと。
この想いが、あなたの胸に少しでも触れてくれたらって。
でも知ってる。
あなたにはもう、あの人を見つめる瞳がある。
その視線は私には決して向かない。
それでもどうか届いてほしいと願ってしまう。
届かないって、自分でも分かっているのに。
もう、自分を止めることはできなかった。
あの日の景色
もう何度目だろう、心臓が波打って目の前が揺れるのは。
瞳に涙の膜が張っていた私を焦った顔をして、あなたが覗き込む。
でも、その心配そうな表情さえ大好きでたまらなかった。
自分の全てを懸けてもいいくらいに。
気づけば涙が落ちていた。
体の奥から張り詰めていた糸が切れてしまったみたいに、簡単に止めることができなかった。
でも、その涙は悲しいからじゃなかった。
自分の心がちゃんと届いたのだと。そう感じられたからだった。
それから時は過ぎ去っていくもので...
今度はあなたが私の前に立っていた。あの時と同じ景色で。
少し震える手も、声もあの時の私みたいで、愛しくてたまらなかった。
あぁ、これが恋から愛に変わる瞬間なのだろうと思った。
あの日、自分の全てを懸けて告白した私に、今度は君が全てを懸けて応えてくれる。
それがこんなにも優しく、あたたかいなんて。
私はあの日の景色を、あの時の表情を、あの瞬間の思いを
一生忘れることはない、否できないだろう。
願い事
夏の夜は、どうしてこんなに息苦しいんだろう。
熱気を孕んだ風が頬を撫でるたびに、心臓の奥まで蒸されていくみたいで、息をするのが妙に苦しかった。
街灯に照らされた舗道に立ち尽くしながら、空を見上げる。真上には月も星もなく、ぼんやり霞んだ闇だけが広がっていた。
せめてもう一度だけ、君の瞳に私が映ることがあれば。それだけでいい。他には何も望まないのに。それさえ届かない。
鈍く光るアスファルトを見つめる。
そこには私の影だけが細長く伸びていて、どこにも君の姿はなかった。
あの頃、もっと近くにいればよかった。照れくさいなんて言わずに、笑って、話して、触れていればよかった。暑苦しいほどの季節に、思い切りぶつかっていけばよかったのに。
夜空には虫の声が響いている。草むらから、小さな生き物たちの気配がやけに賑やかに届く。
なのにこの胸の中は、あの時からずっと静まり返ったままだ。
どれだけ願っても過去は戻らない。叶わぬと分かっているのに、それでも願い続けてしまう。
君が、もう一度だけ私を見つけてくれるようにと。
そして、ふと自分の心に問いかけた。
君が思い出になる前に、私はどれだけ君を想えばいいのだろう。
湿った夜風に吹かれながら、どこにも行けずに立ち尽くす。
願いが報われなくても、それでも心が向かうのは、やっぱり君だった。
空恋
空を見上げても、あなたがいるわけじゃないってそんなこと分かりきっている。けれども、空を見て恋しくなるのは、きっと晴れた空があなたの笑顔に似ているからだと思う。
雨空でさえも、どこかあなたが見せた少し寂しそうな顔と重なってしまう。
もう隣にはいないのに、空を見るたび嫌になるくらいあなたを思い出してしまう自分が、どうしようもなくて少しだけ苦しい。
波音に耳を澄ませて。
砂浜に並んで座っていた。
潮風はやわらかく頬を撫で、暮れかけた空は溶け合うように茜から群青へと移ろっていく。
砂粒が指の間を滑るたび、どこか現実じゃない場所にいる気がした。
波が寄せる音がする。
ザーッ、ザーッ、と繰り返し聞こえるその響きが、胸の奥で脈打つ何かとそっくりに思えた。
少し触れただけで壊れそうなものを、そっと胸に抱えたまま黙っていた。
隣にいるそのぬくもりが愛おしくて、でも手を伸ばせばきっと、今の静けさが崩れてしまう。
小さく息を吸った。
潮の匂いと一緒に、どうしようもなく膨れ上がった気持ちも肺に入ってきて、胸の奥がきゅうっと苦しくなる。
寄せては返す波の音。
その間に入り込むように、自分の心臓が高鳴っていた。
ザーッ、ザーッ、そのリズムにそっくりだ。
もしも今、この音に気持ちを紛れ込ませることができたら。
それはやがて、波にさらわれて届くかもしれない。
そんな淡い願いだけを抱えて、またひとつ、波が引いていくのを目で追った。