僕の家は、いつもベルの音が響いていた。
僕の部屋は、しばしば荒れていた。
僕のパソコンは、稀に君が書いた文字で溢れていた。
僕の懐は、君の頬と同じぐらい温かくて、太陽の匂いで満たされているよ。
もう一度だけ、ぎゅってして、肉球の匂い、嗅いでみたいな。
君はもう、広い空、そう、あの太陽のそばに行っちゃったけどね。
僕は寂しくなったデスクの上で昼寝してから、窓の外を眺め始めた。すると、窓の縁から、光る二つの目がひょこりと現れた。
僕の家は、いつもベルの音が響いている。
お題「ベルの音」
私はこの子に、大きな愛を注いだ。それは、自分が貰ってきた愛よりもずっとずっと多かった。
・門限は5時まで、スマホは危ないから禁止。
・名門校に入れるために4歳から受験勉強。
・お菓子もジュースも飲んじゃダメ。
そうして育ったこの子は、どこか遠くに行ってしまった。生きてるかもしれないし、もうこの世にはいないかもしれない。
こんなに縛り付けてごめんね。お母さん、やっと気づいたの。
全てに勝る愛は、母親の笑顔だったんだって。
お題「愛を注いで」
「いいか、俺と三年一組はみんな 同じ仲間だ! どんなことがあっても、喧嘩なんてくだらないものはせずに、仲良く過ごせ! いいな!」
わたしはまだ小3だけど、何度この言葉を聞いたかわからない。少なくともわたしが出会ってきた大人は、みんな子どもたちを一括りにしようとする。
(仲間ってのは、同じ目標へ向かう人たちが集まってできるものじゃないのかな?)
(みんな違って、みんないいんじゃないの?)
ふとそんなことを考えていると、担任の池田先生と目があった。先生はわたしの心を見透かしたように、ギロリと目の色を変えた。
出た杭は打たれるんだよね。良くも悪くも。大人の世界はそうやって出来てる。そういうものなんだよ。
仲間分けって仲間割れの始まりだからね。
お題「仲間」
わたしの世界は狭い。
ある部屋の、かわいい小部屋に住んでいるわたしは、この世界の大きさを知らない。ちっちゃな窓から見えるのは、黄色いカバーがかかった真っ赤なランドセルだけ。
そんなわたしでも、広い世界が見られる日がある。その日はいつも、温かい手がわたしを知らない世界に連れていってくれるんだ。
「はむりん、おいで」
小さな手が優しくわたしを包み込む。今日は冒険に出られるかもしれない。
「今日はいつもよりふわふわだね。かわいい」
わたしがコロンと転がると、彼女は微笑みを浮かべた。ああ、なんてかわいいんだ。
「今日は雨降ってるから、お外はまた明日ね」
そう言って彼女はわたしをいつもの小部屋に入れた。微かな足音が遠ざかっていくのがわかる。なーんだ、つまんないの。
いいもん、わたしはこの部屋の片隅で精一杯遊ぶんだから。わたしの小部屋にも、トンネルにパイプ、回し車だってあるんだもの……!
ザック、ザック、カランカラン、ザック、ザック
「ふふ、楽しそうね」
声がして顔を上げると、彼女が笑顔で立っていた。驚きで足がもつれる。
「はい、プレゼント。今日誕生日だもんね」
空から降ってきたのは、ひまわりのしずく。
やっぱり、どんなに部屋が小さくたって、わたしは幸せ!
お題「部屋の片隅で」
俺が小さかった頃、できなかったことがある。それは今もできなくて、もう二度とやるつもりはないと思っていた。やりたくもなかった。
にもかかわらず、今日見てしまったのだ。会社から帰る途中、息子が必死に練習していたのだ。俺の苦手な逆上がりを。
地面を蹴っては黒い棒にしがみつき、落ちてもめげずに歯を食いしばる息子を見てしまったのだ。何度も、何度も。
俺は仰天した。
何が衝撃かって、俺が子どもだった時は、吹っ切れて逆上がりを全く練習していなかった記憶があったからだ。むしろ必死に練習していた奴を馬鹿にしていた記憶がある。今考えると相当悪ガキだったと思う。
視界が潤んだ。こんなにも心が動かされるとは思わなかった。悔しい。ただとても悔しい。俺はハンカチに顔を押し付けた。
その日から、俺はいつもより30分早く出勤した。誰もいない公園で、スーツ姿のまま、錆びた棒にしがみついた。毎日欠かさず、練習を続けた。
ある日、いつものように公園へ向かうと、誰かの姿があった。確信した俺は、恐る恐る声をかけることにした。
「なぁ、逆上がり、教えてくれないか」
振り返ったのは、目を輝かせた息子だった。息子はニカッと笑って棒を握った。
次の瞬間、小さな背中が滑るように美しく回った。見事だった。
そして、イタズラな笑みを浮かべて言った。
「お父さんにも、できないことってあるんだ」
俺はフハッと笑って息子の背中を叩いた。
「もちろん。逆上がりに関しては、俺の方が下だ」
朝日が徐々に空へと昇っていくのが見えた。息子が棒を握り直して言った。
「逆さまだね」
お題「逆さま」