かんらんしゃ

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 俺が小さかった頃、できなかったことがある。それは今もできなくて、もう二度とやるつもりはないと思っていた。やりたくもなかった。
 にもかかわらず、今日見てしまったのだ。会社から帰る途中、息子が必死に練習していたのだ。俺の苦手な逆上がりを。
 地面を蹴っては黒い棒にしがみつき、落ちてもめげずに歯を食いしばる息子を見てしまったのだ。何度も、何度も。
 俺は仰天した。
 何が衝撃かって、俺が子どもだった時は、吹っ切れて逆上がりを全く練習していなかった記憶があったからだ。むしろ必死に練習していた奴を馬鹿にしていた記憶がある。今考えると相当悪ガキだったと思う。
 視界が潤んだ。こんなにも心が動かされるとは思わなかった。悔しい。ただとても悔しい。俺はハンカチに顔を押し付けた。
 その日から、俺はいつもより30分早く出勤した。誰もいない公園で、スーツ姿のまま、錆びた棒にしがみついた。毎日欠かさず、練習を続けた。
 ある日、いつものように公園へ向かうと、誰かの姿があった。確信した俺は、恐る恐る声をかけることにした。
「なぁ、逆上がり、教えてくれないか」
 振り返ったのは、目を輝かせた息子だった。息子はニカッと笑って棒を握った。
 次の瞬間、小さな背中が滑るように美しく回った。見事だった。
 そして、イタズラな笑みを浮かべて言った。
「お父さんにも、できないことってあるんだ」
 俺はフハッと笑って息子の背中を叩いた。
「もちろん。逆上がりに関しては、俺の方が下だ」
 朝日が徐々に空へと昇っていくのが見えた。息子が棒を握り直して言った。
「逆さまだね」



 お題「逆さま」

12/6/2024, 1:42:11 PM