誰よりも、ずっと前からここにいた。
誰よりも、ずっと前から君たちを見てきた。
鬼ごっこで、君がずっと鬼で、夜まで私のそばにいたことも。
学校の宿題で、大きな画用紙に、私の姿を一生懸命描いていたことも。
夏の暑い日、涼やかに通り抜ける風を求めて私の根元に座っていたことも。
台風の夜に、心配して、びしょぬれになりながら、私のもとへ駆けつけてくれたことも。
都会へ行った君が久々に帰ってきて、
可愛い彼女に、私のことを紹介してくれたことも。
その彼女が奥さんになって、
小さな君の息子を連れて、遊びに来てくれたことも。
君と、君の友達が、近くに大きなコンクリートの建物を建てた時、
まわりの人たちとケンカしてでも、私を切り倒さずに、守ってくれたことも。
足腰が弱って、私のところまで登ってくることがつらくなっても、
天気のいい日は、私と一緒に遠くの空を眺めるために、来てくれたことも。
君が来なくなって、しばらく経って、
君の息子の息子が、私を切り倒そうと言った。
コンクリートの建物を、大きく、新しくするそうだ。
私も以前のように大きな枝に、青々と葉を茂らせることもできない。
花を咲かせることもできない。
かつて私とともに過ごした他の木々たちも、
もう遠くに数えるほどしか残っていない。
私は幸せな樹だ。
ここに根を下ろして、君と、君の息子たちを見ることができて、
楽しい時を過ごすことができた。
私の後に、この地に根を下ろす木々たちも、
私のような幸せな風景を、君の子孫とともに築いてほしかった。
これからも、ずっと
朝6時。
最近は、この時間に目が覚める。
薄明るい外の光がカーテンの隙間から差して、
静まり返っていた街に、人や動物たちの息づかいが聞こえ始める。
急いで起きなくてもいい、この時間帯が好きだ。
少し眠いカラダに無理強いせず、
布団の中のぬくもりを感じたまま、
今日一日のこと、昨日のこと、少し先のことに思いを馳せられるのは、実に貴重だ。
一日が始まる前に、こんなに静かでフラットな気持ちになれるのは、私が幸せだからなのかもしれない。
もう一年になる。
ごくありふれた出会いではあったが、会話が心地よく、
自然と笑顔になれる彼女との恋愛は、
仕事を覚え、夢に見切りをつけ、
日々の生活をルーチンワークとして
これからも、ずっと続けていくんだと思い始めていた自分にとって、優しい彩りを添えてくれた。
…と、隣で寝ていた彼女がもぞもぞと動く。
私が起きると、だいたい彼女も数分もせずに起きてくる。
「起こしちゃったかな?ごめんね」
「ううん、大丈夫。最近、このくらい時間に目が覚めるんだ。なんか、まだ起きなくていいこの時間にゆっくりできるの、ちょっと好きなの」
この生活が続くといいなと思う。
これからも、ずっと。
金曜の夕方。
初夏に差しかかると、仕事が終わるころもまだ明るい。
珍しく定時に会社を出ると、周りはまだ日暮れになっていなかった。
金曜がまだ半日残っているような錯覚に陥る。
金、土、日の二日半、自由を得た僕は、
早々に帰宅すると、シャワーを浴び、休日モードになる。
スーパーにでも行こうか。
車に乗って、食料の買い出しに向かった。
週末の夕方、国道はひどく混む。
普段ならイライラを募らせるが、今日は余裕だ。
カーラジオからは、週末の催し物を伝えるアナウンサーの声。
数週間後の父の日に贈るプレゼントの商戦が始まっているようだ。
ふと、父親のことを思い返した。
定年を迎え、悠々自適に余生を過していた父が、ガンで亡くなったのが、3年前。
葬儀の後、母と共に実家で遺品を整理していたら、
たくさんのキャンプ用品が残されていたのが印象的だった。
定年後に趣味として始めようと買ったのだろう、
使い込まれていないまだ新しい品々に、胸が締め付けられる思いだった。
あのキャンプ用品、そのままにしてたな…
気がつくと、高速の乗り口へ。
実家方面へとハンドルを切っていた。
沈む夕日を背に、一路。
週末は、ソロキャンプと洒落込むことにした。
有名になりたい。
たくさんの人に歌を聴いてもらいたい。
キレイな服を着て、キラキラした世界で生きたい。
ドライブで来た夕暮れの海辺で、
君はそう話していた。
それから2年。
チャンスをつかんだと君は言った。
決して明るい笑顔ではない。
決意を込めた、まっすぐな目。
この世界には、悪どい人も多い。
夢見る若者を、笑顔で食い物にする。
俺もその一人だった。
「夢を叶えるためには、下積みが必要なんだ」
「みんな必死に頑張っている」
「泥をすする思いをして、みんな表舞台に立つんだ」
成功者の苦労話は、
みな、美談にすり替えられ、若者の忍耐を試す。
たくみな言葉選びで、若者たちの夢を弄ぶ。
この2年、俺は心を削ってきた。
君にまで、この毒牙をかけたくはなかった。
君の目を見つめると、声が出なかった。
何も言えなかった。
もう二度と、この海には来ない。
実家に帰ってきた。
大学に進学して以来、18年ぶりに、またこの家に住む。
都会で戦って、
傷ついた負け犬にとって、
実家のベッドは、以前と変わらないはずなのに
優しく、やわらかで、暖かかった。
夜中にLINEの通知。
見ると、地元の友達。
「帰ってきたんだって?
また、時間ある時、飲もうよ。」
他愛のない内容だが、
今の自分には染み渡るほど暖かく、
胸をじんわりさせてくれた。
気持ちが軽くなったおかげで
顔をあげられた。
電気もつけてない自分の部屋。
夜中なのに明るい。
立ち上がって、窓を開けて、空を見上げた。
星空って、こんなに明るかったっけ。
都会の強い明かりだと、掻き消えてしまっていた
たくさんの小さな輝きが、見守ってくれている。
この家を出る時は気が付かなかった。
当たり前に照らされてた控えめな光たち。
ゆっくり、癒していこう。
また、ここからだ。
星空の下で、涙をふいた。