これで最後
幾度となくあなたさまへ会いにこの土地へ来ました。
あなたさまはいつでもそこにいてくださいました。
夕暮れでも、丑三つ時でも。
凛として、背を張って。
己が己を恥じることなど一切なく、誇らしげに。
だというのに嫌らしさはなく、
頼らしいその背を見つめるばかりでありました。
わたくしはもうここへは来られません。
あなたさまも、もうこの土地にはいられませんでしょう。
あなたさまは、ソメイヨシノ。
中を虫に食い破られて、朽ちることただ待つのみ。
わたくしは、そんなあなたさまに一目惚れをした愚かな鶴。
実らぬ恋を侍らせて、独り身を貫いた愚の骨頂。
己のことですから、もう死期が近いのはよくわかります。
ずっとお側にいた身ですから、あなたさまの死期が近いのも。
ですから、どうか。
これで最後にございます。
あなたさまの側で、永遠に、共に眠らせて頂きたいのです。
歌
真夜中、昼間の明るさが嘘のようにとぷんと沈んだその時。
当たり前のように眠れない。
私はヘッドホンを引っ張り出してプレイリスト再生する。
何度も聴き続けて火傷のようにこびりついた曲をまた再生する。
曲目が増えることはない。
今までもこれからも同じ曲ばかりを焼き付けるのだ。
一曲目。
二曲目。
三曲目。
四曲目。
五曲目。
繰り返す度に思考は奥へ沈む。
流れに身を任せて頭は役割を放棄する。
まるで切れてしまった電球のように。
後悔ばかりが浮かぶ時間に、
その重みに潰されてしまわぬように。
俤ばかりに囲まれぬように。
心臓を掬い取って、死んでしまいたくなるから。
水のように流れて消えてしまいたくなるから。
溺死した思考に両手を組んで冥福を祈って眠るのを待つ。
光り輝け、暗闇の中で
己の輪郭だけが薄らと浮かび上がっている。
辺りは真っ暗で上も下も分からない。
水が張り巡らされているように感じる無重力。
取り残されている。
解けない問題を飛ばしたときみたいに。
上手くできなくて辞めたギターみたいに。
やらなくなったゲームみたいに。
ひとりぼっち。永遠に?
それでも手が動く。
足が藻掻く。
目は前を見据える。
頭が回る。
心臓が、鼓動をやめない。
ひとりぼっちで生きている。
いつの間にか地に足がついていた。
手は固く握りしめられている。
目は進むべき道をとらえた。
思考は生きるために巡っている。
心臓が、孤独であることを諦めさせてくる。
もう進めないわけじゃない。
取り残されない力を思い出した。
解けない問題は解けなかった問題になった。
ギターは楽しかった記憶とともに寄り添っている。
ゲームは目の前で起動している。
薄らと浮かび上がっているだけだった己の輪郭は、
生きていることを主張するように。
暗闇の中で光り輝くように、存在を肯定していた。
酸素
学校の一角。
なんの変哲もない、授業が行われているだけの教室。
騒がしい教室。
窘める教師。
聞かん坊の高校生たち。子供たち。
その中で一人息を張り詰める。
大きな声が上がるたびに体はビクついて強張る。
逃げ場はなかった。
大きな声とともに怯えで跳ね上がる体。
気づかれないで良かったとその度に胸を撫で下ろす。
騒ぐことが正義のような彼らの前で、
大きい音が苦手だなんて言えるはずもなかった。
目の前で合唱される大声。
笑う、私以外。
顔を顰める教師。
途方もない騒ぎ声。
何でもいいからこの場を離れようと、
一言断りを入れて御手洗いに向かった。
コンタクトを直している先客にも気づかれないように、
静かに足早に個室へ閉じこもる。
どうして。
どうして!!!!!!!!!!!!!
あんなにも傍若無人に騒げるのか。
その声が人を傷つけている事が分からないのだろうか。
その声のせいで授業が聞こえない人も、
具合を悪くする人だっているのに。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
個室の中で空気が張り詰める。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
惨めだ。
自覚しないうちに涙が止め処なく流れていた。
惨めだ。
惨め。
惨めだ。
惨めだ。
惨め
惨めだ。
惨めだ。
惨め。
惨め。
惨めだ。
惨め。
惨め。
息ができなくて、酸素が肺に回らなくて。
惨め。
惨め。
惨め。
惨め。
惨め。
惨め。
私だけに酸素が足りない。