影絵
「ちいちゃんの影送り」。
僕らの世代は小学校の時にみんな教科書で見たお話だった。
そしていつも、それを見た学級は影送りをしてた。
青い青い空に浮かぶ自分の形をした雲もどき。
それが面白くて仕方がなくてよくやっていた。
思うに、当時の僕らにとってそれは空想を描く友人でありながら
決して手の届かない、触れることの叶わない神聖なものだった。
それに、擬似的ではあるけれど触れて、その上穢す事が出来たのがあまりにも至福だったんだろう。
僕だけは、大人になってもそれがやめられなかった。
通勤中、買い物中、ドライブ中。
いつだって暇を見つけては影を送って穢し続けた。
送った影ばかりが溜まった汚い空が愉快で仕方がなかった。
醜い影絵が空を覆ったように見えて。
思わず足を踏み外せば送った影に僕も覆われるのだろうな。
静かな情熱
もう辞めてしまおうと思った。
こんなに続けてたって生きてけないって、もう意味ないって。
それでも辞めらんなくて、こき下ろされても諦められなくて。
でも、それでもようやく踏ん切りついて全部全部、
今までの分を纏めて潰してぐちゃぐちゃにして。
やっとの思いでも捨て切らん無くて、
残ったもんは忘れたふりした。
それでも。
そんなになっても。
心の奥底で燃えている。
焔が煌々と、赤より熱く、青々しく蒼炎となっている。
もう道具もない。
さきを示す光もない。
だから、そうなったから。
今尚煌々と焚き付けられている。
この逆境を薪に、静かな情熱が火の粉を吹いた。
未来図
明日は早く起きようね。
明日は絶対ご飯を食べきってね、
明日こそは電車に間に合わせてよ
明日は、明日は絶対、明日こそは、明日だけは。
どうにも間に合わないことばかりで、
とうとう親に定められた未来図というものは破綻した。
逃げ出した俺はとうとう行き倒れて、道路に横たわった。
決めつけられてきた人生で、一人で生きる術など知る由はなかった。
霞む視界にぼやける景色。
なんとなく死ぬんだなって思った。
皆に囲まれて死になさい。
決められた人生の最後の図。
蔑まれて囲まれて、ふざけて撮られる写真達。
それだけ守れたことに安堵した。
ひとひら
神秘・崇高美
ガーベラの花びらが落ちていく。
茎を切られ、傷を冷水に晒されたあれらは何を思うのだろうか。
ガーベラは群れでは咲かない。
一つ一つ、花の一欠片ずつが崇高に、気高く咲き誇る花だ。
硝子の瓶に差し替えられたガーベラ。
葉は切り落とされ、花だけが顕となっている。
その美しさを女の裸体のようだと言ったものが居る。
サモトラケのニケの様な、損なわれたゆえの美しさであると。
尊く生まれ、花を迎えては胴を切り落とされ民衆に晒される。
その上で、しかし美しさは損なわれていない。
尊厳も命も刈り取られ、ひとひらの儚い姿がある。
まるで朝露のようだ。
醜く雁字搦めにされて尚、貴方は神秘性を保っている。
内に秘められたそれを凪いだまま、
ただ花のひとひらになるまで、
そうなっても貴方はまさしく神秘であった。
塗り替えられることのない崇高美。
ガーベラは、花びらが落ちきった。
風景
曇天の空が広がっている。
今のも泣き出しそうな貴方と空が目の前を占領している。
このクソ寒い冬だと言うのに貴方は半袖で、
しかもシャツ以外は下着だったから驚いた。
涙を堪えて声を出せない貴方を取り敢えず家に上げる。
暖房をちょっと強めて、意味不明な場所にしかないケガの手当てをして風呂に突っ込んだ。
着替えを適当にほん投げて、
すぐにドライヤーをしてやって飯を食わせた。
何があったのかは別に聞かなかった。
なんとはなしに何があったかを察していた。
ご飯を食べ終わった後、貴方は堰を切ったように泣き出した。
嗚咽ばかりで、何を言っていたかは覚えてない。
できる限りの全力で、できる限り優しく抱きしめた。
そんなんがあったのが確かえ3,4年くらい前だったはずだ。
憔悴した貴方は何処へやら、今は私より稼いで家に金を入れてくれている。
そんなに元気になったならもう一人でもいいんじゃないか
とも思うし言うがそれはまだ別問題らしい。
まだってなんだまだって。
まぁ幸せそうならいいか、とあの日と同じ曇天の空に目を向けた。