「どこまでも」
自分らしく、生きるだろう
きっと、自分では気付かない「クセ」もある
それすら丸ごと
進む。
よく「悩み」の話しを聞く
「悩み」が無くて、なぜソレを「悩み」にしたんだろう?
と
別のアングルから、考えが、始まる。
どこまでも
変わらないのは、変えないと、決めた部分
わぁ
自分っぽい。
そんな風に、思う
色んな事を試す。
「挑戦」や「チャレンジ」など大袈裟ではなく
「クセ」。
データどり、分析、解析、多角的、結論と柔軟と時間。
例えば「絵」
「アナログ」VS「デジタル」
A.「アナログ」
「水彩画」VS「アクリル画」VS「ペン画」
A.「水彩画」
「没頭率」VS「スッキリ度」
A.「没頭率」
と、解析していくと…
A.「今は、本気になれない趣味なので、老後します。」
相変わらず
紙のノートは、3冊か4冊かが、稼働している。
デジタルは、「ここ」だけ。
埋もれている感じ。
評価されない感じ。
いるようで、いない感じが、ここには、ある気がしてます。
あぁ…
詩でもない
まとまらない
そして
抽象画的な言葉達が
公園で
これでもかっ
と、遊び
リビングで
疲れ果て
安心して眠っている犬のようだ。
どこまでも
書いたら(描いたら)
何者にもなれなくても
楽しいが、ひたすら続く
何だか、ドーパミンまではいかないように
オキシトシンや、セロトニンで、続く
貨物列車が良い。
「未知の交差点」
「IF」
もしも
が、溢れている世の中で
今まで、どれくらい、あったのだろう?
特別ではなく
普段通りに生活する中で
知らない人は、沢山
仲が良いのは、少なく。
未知の交差点があったら
出会ってきた数と、すれ違う数が
同じで
「こ、これは」
と、誰かにとっては、逸材
「あ、そうだ」
と、誰かにとっては、必要
小さな「繋がり」は、無く
見えなくて、言わないままの人達だから
すれ違う。
もしかしたら、あの日助けてくれた人かも…
もしかしたら、こうして
あなたが、描いている「文字」が
誰かの涙を癒すだろう
誰かに必要なフレーズで、その人のフレーバーになる。
私は
「一人称」を
「私」「わたし」「あたし」「僕」「ぼく」「ボク」
「あたい」「ワシ」「存在しない物の主体」と
コトバアソビが、好きで
「ポップ」「バラード」「スタンダード」「歌謡」「RAP」
と
私の中で、交差点みたいに
血の通う、交差点の中から
昔も
今も
描いています。
「一輪のコスモス」
秋桜
散る事をしらず
揺れ
みなと、笑い
秋に漂い
そこは、空き地
そこは、都会
そこは、道端
「静寂の中心で」
私は、本を沢山読むし
「知識」が好きだ
ただ、アウトプットするのは、自分自身と、自分の世界
今、こうして
音も、声もない中に「描く日々」に、ありがとうと
読んで下さる方々に、感謝です。
「1」=「2分の1」みたいな、考え方をしたり
「人」+「沢山」×「一人」−「みんな」=「個」かな?
なんて
よく、分からない事を考えたりしています。
そして「影響」を受けやすく、ストレスが分からない日々
「良い」「悪い」に、分けるのが苦手で
初めて出逢う人は、一瞬で全体像を、見抜いてしまう。
語らないけれど…
必要とされた時にしか、返しは、しない
言わないのは
言われたくないかもしれないから
「感受性」
「耳から分かる奥」
「仕草にある奥」
「言葉の奥」
「空間の奥」
「心の奥」
静寂の中心にいながら、静寂でいる事にする事。
いつも、思う
「人」は、違う
「価値観」「固定観念」「今の体調」「感情」「環境」
「普通など、無い」と。
いつも、思う
私は、文章以外でなら
どんな、伝え方をしていこうか、と。
時々、思う
あの頃、捨てた「夢」を、ちょっとやってみようかな?
なんて…。
何も残せないとは、思わずにいれたのは「モノ作り」に
接して、到達し、卒業したから。
すでに、私が携わった「モノ」は、存在している
生き方で、良かったと思う。
「かたち」としては、残せたのだ。
「記憶」としては?
どうだろう…
残らなくても、良いな…
そう、思いながら
何かを、また、次の「新たなカタチ」を
今は、静寂の中
探している。
…長い。
「燃える葉」
秋
枯れ葉を集める
小さな
小さな
手と
体で
枯れ葉を集める
アルミに
芋掘りのお芋をくるみ
少し離れ
枯れ葉が
美味しくしてくれる
(今のご時世では、めったに出来ない経験が出来た事に
感謝しています。)