《ただ居てくれれば》
(刀剣乱舞/泛塵)
泛塵には真田の物語がある。
刻まれた銘が泛塵たらしめる何よりの証。
けれども共に戦場に立つ大千鳥には物語しかない。
語り継がれた物語の中の存在。
しかし泛塵にとってはそれは些細な事。
言葉がなくとも通じ合える存在。
側に居てさえくれればそれで十分だ。
足りない真田の物語は己が与えよう。
交わす言葉も書き記された物語も塵芥のようにいずれ消えてしまう儚いものだろう。
だから言葉などいらない。
この瞳に映る己の姿が、大千鳥を真田の槍として在れるようにする。
それが、《真田左衛門佐信繁の脇差・泛塵》の役割だ。
《来訪者は青を纏う》
(刀剣乱舞/南泉一文字)
「少し、君の部屋を貸してくれ」
本丸中が寝静まる夜中。南泉一文字の部屋を一振の刀が訪ねた。
「....勝手に使え...にゃ」
「すまないな」
旧知の仲である山姥切長義だった。
寝間着を纏う彼の瞳は、いつもより青く見える。
それは夜よりも深い。いや、寧ろ彼の青さは空の青ではなく、海の青のような深い青に見える。
顔色も悪いが怪我はない。
(心の方の傷、ってとこかにゃ...)
南泉は彼の手を引き、何も言わず布団に座った。
その手は氷のように冷たく、先程の声も覇気が無かった。
(何があったんだか....)
いつもの威勢の良さが失われると調子が狂う。
けれども、山姥切が自身の弱ってる姿を見せられる相手が自分だけだと思うと、どれだけ嫌味を言われても嫌いになれないのだ。
(いっそ、苦しんでるなら泣き叫んででも吐き出しちまえば楽になれるのに。そうしないのが"山姥切長義"のプライドなのかにゃ....)
南泉は何も話さず、その手を握り続け、彼の心が晴れるのを待つことにした。
《天泣、又の名を》
(刀剣乱舞/小狐丸)
空に雲がないのにも関わらず、雨粒が頬に当たった。
万屋に審神者と共に訪れていた小狐丸は、審神者の手を引いて屋根の下へ逃げ込んだ。
間もなく大粒の雨が降り始めた。
しかし空はやはり晴れている。
「天泣...天気雨...狐の嫁入り、ってやつだね」
と、審神者がケラケラと笑うので、小狐丸は悪戯をしかけたような笑みで、
「狐に嫁入り、されますかな?」と返すと、審神者は「しないよ」と返す。
けれども、佇む審神者の姿を見れば《欲しくなる》のが、この小狐丸だと言うことを審神者は知らない。
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拙い文章となりますが、可能な限り全振りのメイン作品を書けるよう努めて参ります。
これからも応援の程、よろしくお願いします
瑠璃
《観察日記》
(刀剣乱舞/鶯丸)
「今日も大包平は馬鹿やってるなぁ」
鶯丸は、本丸中に響き渡る大包平の声を聞いて、一口お茶を飲み、サラサラとノートに何かを書く。
そのノートは大包平の観察日記である。
もちろん大包平本人は知らない。知れば取り上げるだろうから隠しているのだ。
中身は大包平が天下五剣に挑もうとしてただとか、戦で誉を取っただとか、馬当番に苦戦してたとか。
そんな大包平のことを観察しては書き留める事が、鶯丸は茶を飲むことの次に好きなのだ。
《向かい合わせの己》
(刀剣乱舞/地蔵行平)
地蔵行平という刀剣男士は、腰元に2振りの"己"がある。
一振は常日頃振るう打刀。
もう一振は抜刀出来ぬよう、紐で結ばれた太刀。
その刀について、とある本丸の審神者が一度尋ねたことがあった。
「何故、抜けぬ太刀を持って顕現したのか」
地蔵行平は、「気付けば太刀を吊るしたまま顕現していたのだが....」と前置きをしつつ、続けてこう答えた。
「この太刀は、いわばもうひとつの吾なのだろう。
向かい合わせで吾の中に住むモノの形なのだと思う」
明確な答えではない。しかし審神者にとってはその言葉だけでも十分な答えになった。
それは、《地蔵菩薩と閻魔大王が同一視されること》である。
複数の地蔵行平の存在の示唆の可能性もある。
が、2振りだけではなかったはず。
ならば答えは 地蔵菩薩そのものになろうとする彼の中に、
死者の善悪の裁きを下す閻魔の姿も内包されているということでは無いだろうか。
(あの時代の刀は、皆 大蛇(オロチ)と言ったのは誰だったか....)
地蔵と閻魔。対極の姿を与えられてなお、全てを救わんともがきながら生きるのが、地蔵行平なのだろう。