たぶん、それを言ったらもうおしまいなんだと、目を合わせた時に理解した。
真っ直ぐ前だけを見ていたあいつが、オレを振り返ったことこそキセキ。
「いってらっしゃい」
「うん」
今日も変わらず、跳ねるように駆けていく背中を見つめる。
時々振り返って手を振るのが愛しくて。
まだこちらを認識しているのが嬉しくて。
できれば長く、この日々が続けばいい。
「いってらっしゃい」
「……」
「どうした?」
「んーん、いってきます」
いつも通りのはずだった。
いつも通り、送り出して、そして。
―好きなタイプ?
―ソクバクしてくるのはあんまり……
「……っ」
気付かれたのかな。
敏いあいつのことだから。
感じ取ってしまったのかな。
口に出してしまいそうだった気持ちを封じ込めて、大きく深呼吸した。
〜♪
聴こえてきた電子音は、着信を告げるもの。
誰からの着信なのか確認すると、さっき出掛けていったはずの人間だった。
忘れ物でもしたんだろうか。
軽い気持ちで耳に当てる。
「どうした?」
『何か言う事ないの?』
「…………え?」
『オレ、そこまで薄情じゃないつもりなんだけど?』
「え、と……なに……?」
『言ってよ、あなたの思ってることそのまま』
「……」
だって、それはさ。
おまえが一番嫌うことだろ。
面倒くさい奴だって、思われたくないじゃん。
『あなたなら良いよ』
「……は?」
『知ってるよ。あなたがメンドクサイのも、カッコつけなのも、全部。それもひっくるめて全部好きなオレを信じてよ』
「……な、なっ」
頬が熱い。
変な汗が出る。
どうしよう。
今絶対顔緩んでる。
こんなトコ見られたくない。
「だから、ほら。ね?」
「〜〜〜〜ッッ」
いつの間にか奴は後ろにいて、催促するように首を傾げている。
びっくりして振り返ったら、何故か楽しそうに笑う。
かわいい。
そんな声が聞こえて、身体が跳ねる。
なんて面で、なんて声出しやがる。
「ほらほら、言って言って」
「……」
「ちょっと聞いてる?」
ぐるぐる周りを動き回りだすから、だんだん腹立ってきた。
ぐい。
胸ぐらを掴んで、睨みつける。
「……っ」
けれど、ずっと口に出さないようにしていたことを今更口にするのは普通に喋るよりずっと緊張する。
きゅっと唇を噛んだオレに、奴は笑顔で待ち望んでいる。
胸ぐらを掴む手に力を入れて、大きく息を吸い込んだ。
「ッ行くなよ!今日は、今日ぐらい……オレといて……」
「はい!!」
伸びてきた腕に抱き締められて、目を瞬く。
顔を見られなくて良かった。
絶対見せられない赤さになっている。
頬が擦り付けられた。
「でも今日……誕生日パーティあいつらが開いてくれるんじゃ」
「ああ、それ嘘です」
「は!?」
「どうすれば素直になってくれるか皆で考えたんですよー」
褒めてー、みたいな顔をされて、ぶん殴ったオレは悪くないと思う。
お題「行かないで」
お題「どこまでも続く青い空」
声が枯れたらしい。
なんで?
カスカスの咳をするその人に問いかけたら、言いにくそうに目を逸らされた。
たぶん、風邪とかじゃないと思う。
そういうことを気にするあなたは、風邪気味だと分かったらすぐマスクするしオレに寄り付かなくなる。
寂しいけど、オレの体調を心配してるんだって、嬉しくなるのも本当。
だからマスクもしないでオレの目の前に座ってるのは、ちょっとした異常事態。
「心配させてよ」
―気にしなくていいから
まるで準備してたみたいに差し出されたメモ帳に走り書きされたそれ。
不満ですって顔しながら飛びついたら、やっぱり目を逸らされる。
ぷん、と頬を膨らませて見つめる。
「……」
「……」
「………」
「………」
「…………」
「…………」
顔は逸してるけど、オレのこと気にしてるっぽい。
もう少しで勝てそう。
そんなオレの考えがバレたのか、オレを見る目が不審だ。
別に何かを企んでるわけじゃありませんよ?
「…………ース」
「ん?」
「ケホッ……昨日の夜、中継されてたレース見てた、から」
パチリ。
目を瞬いたら、赤くなった耳が見えた。
「おまえ……出てたろ」
「あー……はい」
「それで、思いっきり叫んじまって」
「…………」
「まさかレース終わってすぐ帰国すると思わなかったんだよ!!げほっ………カフッ」
叫んでしまって喉を痛めたあなたに慌てて飲み物を差し出す。
それを飲んで深呼吸してる姿を見つめて、あれ?と首を傾げる。
「なんでオレが帰ってきたことが関係あるんですか?」
「……おまえの基本ボケボケなのに突然鋭くなるとこ本当にキライ」
それはつまり?
そういう?
もしかして?
「オレが出るレース見ていつも騒いでるの?」
毎回。
声が枯れるまで。
今回は喉が復活する前にオレが帰国したから。
酷使した喉を治しきれなくて。
「……ッ」
真っ赤になったあなたを見て、オレも顔が熱くなってきた。
でも、なんだろう。
「次のレース、見に来てください」
「オレの喉を殺す気か……!?」
それも楽しそうだけど。
口に出したら怒られるから笑うだけにした。
でもね。
あなたが声が枯れるまで応援してくれたら。
テンション落としたオレを叱ってくれたら。
カスカスの声でゴール前にいてくれたら。
なんでも出来る気がするんだ。
お題「声が枯れるまで」
いつか。
記憶の中のあなたの顔ははっきりと思い出せるのに。
その先に何を口にしたのか思い出せない。
なんだったっけ。
その先が、オレはとてもとても嫌だった。
今まで出したことないってぐらいの声で怒鳴った。
たぶん、痣ができるまで腕を掴んでしまった。
大事な話じゃなかったから憶えてないんじゃない。
ありえないって思ったから忘れたんだ。
―そんな日絶対に来ません!!
思い出してきた。
たぶんこれはあの人が口にしたとんでもないことに対する否定。
困ったように笑う顔。
それはたぶん、諦め。
それはたぶん、仕方なさ。
しょうがないなって、幼い子どもを見るみたいな。
全部が気に食わなくて、食い縛った歯が音を立てる。
「…………ぁ」
パシリ。
人が四方八方からやってきて四方八方に離れていくスクランブル交差点。
老若男女関係なくうごめく数多の人間の中、手を伸ばす。
掴んだ手首の先、振り返った顔を見た瞬間、あの日言われたことを思い出した。
「……え」
「予想大ハズレ♡」
『いつかおまえは、街でオレとすれ違っても気付かないよ』
ねえ、ほら。
オレの勝ち。
あなたの予想は外れましたよ。
だから、もう離さない。
「見つけますよ、何度いなくなっても」
お題「すれ違い」
推し選手のインタビュー記事が載っているらしい。
公式SNSのお知らせで本屋に買いに走った私は、残り一部となっていた件の雑誌を抱き締めてセルフレジに向かった。表紙まで彼なんて聞いてない。雑誌コーナーで奇声をあげかけた。
彼のことについて少し説明しよう。
テレビに出ても見劣りしない綺麗な顔立ちと、そのスポーツに対する真摯な姿勢。普段はのんびりとどこを見ているのか分からないのだが、一度集中すれば観客に目を向けることもなく真っ直ぐ前だけを見つめている。試合中は休憩時間にファンサービスなんてしないので残念がられているが、そこが良い。
早速インタビューページを開く。青い椅子に座った彼の全身の美しさを浴びてしまって十秒ほど時が止まった。
ハッ。
意識を取り戻して、文字をおう。
内容は挨拶から始まり、今シーズンの優勝を祝うもの。身体が弱かった幼い頃の話や、高校時代の思い出話。その競技では強豪と言われる高校での生活はやはり普通とは違うもので、本当にそんなことが?と不審に思うような内容ばかり。けれど彼は話を盛るような人ではないので(逆に全てを感じたまま喋りだす)、全て本当のことなんだろう。
「今までで忘れたくても忘れられないことですか?」
―はい
「(熟考)……高校のとき、ですかね?」
インタビューも終盤というところで、インタビュアーが問いかけた内容が目に入った。高校時代、今はプロの選手となり優勝を掻っ攫っているものの、当時は伸び悩んでいたときく。彼がプロとなった後に彼を知った私は、興味本位で過去の戦績を見て、高校三年間夏の大会で一度も優勝していないことに驚いてしまった。あんなに実力のある彼が、と思うと、やはり夏の大会は他とは雰囲気とか全然違うのだろう。
そして、彼のような人でも、敗北は忘れられないことなのだろう。少し、読むの怖いな。けれど怖いものみたさで先に目を向ける。
「キラキラして、オレの視界に突然入ってきて、あれは忘れられないかなあ(笑)」
―どのような状況だったんですか?
「オレ少しメカトラ起こしちゃったんです。その時競ってたのがあの人で。フツー、先に行くんですよ、偶然のキセキで勝てるなら、そっちを選ぶ。でもあの人、待ってて。結局勝ったのはオレだけど、なんだろう、怖かったんですよね」
―試合に勝って勝負に負けた?
「そう!それ!!全然忘れられなくて、ずっとあの背中が離れない」
「もちろん、皆と戦うのは好きですよ。どんなスタイルなんだろう、とか、どんな性格なんだろう、とか、どんな進化を遂げたんだろう、とか。忘れないって意味じゃ、たくさんあります」
「忘れたいこともたくさんありますよ。色々切羽詰まって空回りしたこととか。でもそれは別に忘れても忘れなくてもどっちでもいいな」
「でも、忘れられないのはあの人だけ。あの背中は鮮明で、オレの視線を過去に戻しちゃうから」
「高校のとき競った人の中で唯一二度と本気の勝負しなかったってのもありますけどね(照)」
きっと、カメラマンは咄嗟にシャッターを押したんだろう。注釈はついていないけれど、なんとなく思う。忘れたくても忘れられないものを語る彼の表情は驚くほど輝いていて、それはまるで。
「うわ、✕✕じゃん」
じっくり見ていた私の前に座った同級生の声がする。もしかしてそろそろゼミの時間だろうか。私は顔をあげて目の前の男を見る。あいかわらず線が細いのか中性的な印象の抜けない男。
有名人を敬称無しで呼ぶ人は多いから、そういうやつだろうと軽く考えてインタビュー記事を見せてやる。
「こういう有名人のさ、忘れられない人になるにはどうすればいいんだろうね?」
「ハァ?」
別になりたいわけじゃないけれど。一度の邂逅でここまで思われるなんて少し羨ましくもある。
顔をしかめる目の前の男に、件の内容があるあたりを指差した。文字を追っているらしく目が忙しなく動いている。
そしてどんどん、変な汗をかきだした。
「…………ねえ……どうしたの?」
「…………〜~~~ッッ」
そういえばこいつ、高校時代彼と同じ競技の部に所属していたと言っていなかったか。
…………あれ?
耳まで真っ赤にして突っ伏したやつを見下ろす。
私の予想が正しければ。
忘れたくても忘れられないのは、お互い様なのかもしれない。
お題「忘れたくても忘れられない」