小学生の頃、よく、お昼休みの数十分を友達と
サッカーをして、遊んだ。
いつのまにか数人ずつの仲間に分かれ
るようになった。
そんなある日、たまたま、いつもより、早く、
グランドに出て行くと、いつもとは違う
集まりに呼ばれた。
なんとはなしに、サッカーを楽しんだ。
気がつくと、いつもの馴染みのメンバーが
僕を見ながら、ヒソヒソ話しをしていた。
次の日から、また、いつものメンバーと
サッカーをし始めたのだか、なんかいつもと
様子が違う。
鳥かごという数人が1人を取り囲み、
その1人がボールを奪うという
サッカーのゲームをしたときだった。
僕がその1人、いわゆる鳥かごの鳥になると、
急に取り囲んでいる輪が広くなり、いくら
頑張って走っても、ボールを奪うことが
できなくなったのだ。
夏の日差しを浴びて、額から流れる汗が
目に入って痛かった。
そのまま、次の授業のチャイムが鳴るのを
聞いた。
数十年前の話しだったが、
今はどうだろうか?
SNSの返信が遅れないように。
仲間のペースやルール、趣味など
少しでも、周りと歩幅がずれないように。
他の友達つくったり、楽しそうに
話しをするのはタブーなのだろうか?
とくに、電子情報通信機器の発展は、すごい
ものがある。
時間や場所に縛られないという利点がある。
が、人とのつながりにおいて、良い部分
だけでなく、悪い部分もある。
その一つが、周りから、見えにくいと
いうことだ。
たまたま目にしたSNSを使ったいじめを知り
とくに、そう思った。
トイレに入っていたら、上から水をかけられ
たり、1人を数人で取り囲んでど突かれる。
そのような昭和のやり方はもうなくなった?
そっちの方が必ずしもいいとは言えないが、
周りから見えやすく、周りからの援助や対策
受けやすいという点ではマシに思える。
SNSのおかげで気がついたら、
いじめの対象になっていた。
あるいは、ならないように
24時間、神経を張り巡らせなければならない。
というのは、すごく息苦しいと思う。
それに、周りの大人の援助を含めた社会の
仕組みをもっと改善しようと思っても、
見えない部分や情報機器特有のの専門性が
あったりして、簡単にはよくならない
ように思える。
いづれにせよ、
今の時代は、時間や空間を超越できる世界に
なりつつあると同時に、実は、誰もが見えない
かごに閉じ込められた鳥になってしまったと
いうということなのだろうか?
あっ、いたの、僕ちゃん、
罰の悪そうにおばさんは言う。
兄弟でわたしだけ、お土産を忘れられた。
じゃあ、僕ちゃんはこれね。
おばさんが咄嗟に取り出した、キーホルダー
ひまわりの中に奇妙な笑みを浮かべた。
ありがとうごさいます。
なんとか調子を合わせた小3の夏。
夏の夜の明け方、
冷たい抑揚のない声が
部屋に響く。
僕は、呼吸するように不自然に光っている
物体を開き、そして、閉じた。
朝、目覚めると、時計針は5時を指していた。
布団の上で仰向けになりながら、部屋の天井を見ながら、今日の仕事の予定を確認した。
その時、起こりそうなトラブルへの対処方法も考えた。
次に、ゆっくりと体を起こした。
お水をコップ1杯、飲んだ。トイレで用をたし、顔をぬるま湯で洗った。
パジャマからジャージに着替え、ランニングシューズを履いた。自宅周辺をジョギングした。ジョギング中は、モーツァルトのピアノソナタを聴いた。
家に帰ったら、シャワーを浴びた。
冷たいシャワーと暖かいシャワーを交互に1分ずつ、11セット浴びた。
スマホのアラームモードを15分に設定し、呼吸瞑想をした。
汚れた衣類をいれ、洗濯機を回した。
目玉焼きと味噌汁を作り、昨日の残ったご飯を温めた。
朝ご飯を食べた。
1口ずつ、20回噛んだ。
舌先に集中し、味や食感に注意を向けるようにしながら、食べた。
食後には、インスタントコーヒーを飲んだ。
食器を洗った。
洗濯物を干した。
仏壇にお水とお線香をあげた。
家の窓とドア施錠をした。
「行ってきます」をした。
他に誰もいなくなった家に返事はなかった。
真夜中の仕事終わりに、部屋の電気をつけると、私の布団に露わな姿をしているアレ。
突然の明かりに、アレは「見ないでよ」とばかりに固まって動かない。
私の心臓は、1分間に180回を超える。
初めて、嫁になった時と同じくらいの衝撃。(実際嫁どころか彼女もいたことはないが、、)
「どうしようか」
一度、見なかったことにして、襖を閉じる。
次に、瞳を閉じて、それしか、でーぇきぃなぁーい↑(自宅の中心で愛をさけぶ!!)
1分後‥‥
再び、そっと、襖を開けて、様子を伺ってみる。
その艶やかで、光沢の細身のボディラインが怪しく誘う。
そして、私が「まさか」と思った瞬間、アレはシルクの透き通ったネグリジェをビラビラさせ、「もう、焦ったい」とばかりに私を目掛けて、抱きつき、押し倒してきた。
私は、泡を吹きながら、畳に大の字になった。
「あっ、あっ」
押し殺すような声が思わず漏れる。
アレは私のメガネの上に跨がり、ゆっくりと動く肢体に、見てはいけないものの衝撃を私は遠のく、意識のなか、拝見した。
🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳🪳
私の体の下の方が生暖かいものを垂れ流していることに気づくのに、どれくらいの時間を要しただろうか?
ふと、気怠い体を起こして、時計を見ると、明け方の4時をうっていた。
アレは、もう、帰ってしまったのであろうか。
まだ、生臭い香りと、私の鼻の上の残った湿った感触は確かに残っていた。
私が、独り身でいるのは、きっと、アレとの一夜が忘れられないからなのだろうか。
もし、私が逆テラフォーミングを受けていたら、結ばれていたであろうか。
そんなことを思い出す今日この頃、、
およそ20年前の
夏の日の思い出である。