上腕二頭筋が痙攣する。
この悲しみと怒りと、不安と、絶望と、苛立ちと、哀しみが混ざって、
胸骨の下、横隔膜の上、心臓の表面あたりから競り上がってくるもの、
感情になる前の何か、泣きたくなる何か、
これがたぶん、きっと孤毒だ。
泣きたい。
泣いてしまえれば、流してしまえるのに。
生温い、鈍色の、鉛のように重たい涙に、
溶けて流れてくれるのに。
毒を飲み込む。
(孤毒)
今日という日にはやはり
あの日の話をしなければならないと思うのですけれど
僕は当時はまだ七つか八つで
それもテレビで見ていただけでしたから
何だか大変なことが起こったとは思いつつも
それがどれほどかということがあまりわかっていませんでした。
この頃はようやくこの日付も日常に馴染んできた気がしますが
これを復興の証ととるか記憶の風化ととるかは
やはり当事者か否かで大きく変わってくるのだろうと思います。
さて、暗い話をするつもりもないので
好きな音楽というか、曲の話を少しさせてください。
キミナシビジョンという曲があります。
これはあの日、大切な人を失った恐らく思春期の青年の曲なのですが
この曲の歌詞の一節が好きなのです。
明日の天気予報は晴れのち大雨です
僕は外に出ませんので関係ないですけど
今から君に会いに眠りにつきますから
あの雲と雲の隙間だけは開けておいて下さい
奇遇にも今日は雨でしたから
ちょうどこの青年のことを思い浮かべたという具合であります。
夕方の天気予報では
明日は春の陽気ということで
今晩にも雲は晴れるやもしれません。
もしその雲の隙間から星が覗くなら
それはきっと「君」に違いないでしょう。
亡くなった人はみんな、お星さまになるんだよ、と
僕らはそう教わりましたから。
(星)
鴨川沿いを歩いて下る。
日は暮れ泥んで、
日陰は、その領域を拡げていく。
修道院やら幼稚園やらの影が
河川敷を呑み込んでいって、
やがてその影は
病棟やアパートの影と一体になっていく。
一刻ごとに拡がる日陰は、
まるでひとつのケモノのように、
しかして全く無機質に、
やがて川面の煌めきすらも呑み干していく。
そうして残されたわずかな日向にも
ついには日陰が染み出していって、
とうとうひとつの世界を成した。
ところで今宵は新月であって、
この世界で煌めくものは
今やもはや寒空に浮かぶ
寂しげな金星だけである。
しかしながら
この削ぎ落とされた世界に残った金星の
何と気高く美しいことか。
この夜という世界では
たったその金星の表だけが
唯一の日向なのだ。
あんな輝きが我が手にあれば、
あるいはその一片でも
我が人生が抱擁するというなら、
きっとそれを
幸せと呼ぶに違いない。
(日陰)
晴れた空の 高さに似合うような
そんな言葉を 探していた
貼り合わせた日々の 隙間を縫うように
微睡みが 零れ流れていく
そんな秋の夕暮れ。
この世界から君が消えて
ようやくそれも世界に馴染んできて
でもこの夕景に探してしまう
揺れるバスの窓には逆さまの僕だけ
橙に染まった鱗雲に
二重の虹がかかって
この世界の片隅は
無限の美に引き延ばされているらしい。
この虹の深さを、鮮やかさを、
君にどうやって伝えよう。
この空の高さを、清々しさを
どうやって呑み干せばいいのだろう。
こんな言葉を探しては埋めて、
いつまでも僕は綴るのだろうか。
やがて
秋の葉に誘われて
言の葉が朽ちるまで。
(秋晴れ)
朝、光が差した。
手を握りしめた。
生きている感覚がした。
秋の気配がする。
底冷えの朝六時。
まだ少し早いかな。
いや、起きてしまおう。
小さなテーブルに食パンを並べて
今朝の夢を
紅茶にとかして飲み込んだ。
かけたままの風鈴が
夏の記憶を悼んでいる。
八月のままのカレンダーを
ぼうっと遠目に見つめながら
今日という日を夢想した。
カーテンを透過した木漏れ日が
僕の右手を往復する。
やわらかな光が、あたたかい。
(やわらかな光)