この世には、頃合いをみて手放すべきものと、醜くとも手放してはならないもの、惜しくとも時に手放すべきもの、そして、そもそも持たざるべきもの、つまり手に入れてしまったならすぐにでも手放すべきものがある。
頃合いをみて手放すべきものとは、快楽の為の道楽である。醜くとも手放してはならないものは、自尊心や傲慢さである。惜しくとも時に手放すべきものは、物質的な財産である。そして、そもそも持たざるべきものとは、他人への期待である。
他人への期待ほど質の悪いものはない。そして、ここでの他人とは真の意味での他人、つまり自分以外の全ての人間であり、家族や親友、命の恩人すらこれに含む。それは、己を醜くし、破滅の色を滲ませるだけで、何の益にもならないからだ。
三島由紀夫「金閣寺」より
"小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺めながら、母を殊更醜くしているものは何だと私は考えた。母を醜くしているのは、・・・・・・それは希望だった。湿った淡紅色の、たえず痒みを与える、この世の何ものにも負けない、汚れた皮膚に巣喰っている頑固な皮癬のような希望、不治の希望であった。"
(手放す勇気)
5/16/2025, 1:34:57 PM