「またね」
先輩はそう言って儚げに笑ってみせたんだ。
桜を見上げていたらぶわっと一瞬にして鮮明に流れ込んできた記憶に目を細める。
…先輩、今年も会いに来ましたよ。
俺ね、先輩。
先輩はもうどこにもいないって事実を突きつけられても不思議と涙が出てくることはなかったんです。
あんなに先輩の前だとぴぎゃんぴぎゃん泣いてたのに。
いざその時になるとびっくりするほど涙出なくて、自分がわけわかんなくて、一時期めっちゃぐちゃぐちゃだったんですよ。
…あ、待って。今のなし。
俺がぐちゃぐちゃだったって知られたら怒られそう。
ちゃんと寝てはいたから、許して。
え?ご飯もちゃんと食べろって?あはは、ごめんなさーい。
…って、そうじゃなくて。
やっと分かったんです。
なんで俺が泣けなかったのか。
多分俺、先輩がどこにもいないっていう事実を上手に受け止めきれてなかったんです。
この前、いろいろなことがあって無意識に先輩を探してる自分に気づきました。
そしたらこの前やっと受け入れたみたいで、泣いちゃって。それはもうぐちょぐちょに。
そう言われれば、ちょっと声掠れてるって?ごめんなさい、そのせいです。
桜舞う、先輩のお墓の前、どれくらいそうしていただろう。
目を開けるとかなり時間が経っていたようだった。
ふわり。桜が舞う。
「じゃあ…またね、せんぱい」
春風が冷たい雫を一筋、俺の頬から攫っていった。
またね! 春風とともに 涙 #202
やばい。
推しとハイタッチしてしまった。
片手を出してくれてる推しのとなりを駆け抜けてしまった。
いや、ハイタッチはしたよ。したけども。
「ありがとうございます」って言われて、「へあ、ありがとうございます…」って返してしまった…。
あの一瞬で幸せで満たされた心はどうしろと。
もう一生の悔いなし、って思ったけど五月にライブあるんでした。それを心の支えに生きてきます。
ありがとうございました…!
小さな幸せは、俺の手によって果てしない幸福へと姿を変えていく。
「おにーたっ」
可哀想な子。
とてとてと覚束ない足取りで近寄ってきた弟は、俺の足がゴールとでもいうように俺の足に飛びついて、ぱっと表情を明るくさせた。
「…うん、お兄ちゃんだよ、どしたの?」
「あの、あのね、えっと…」
まるで言ってはだめ、と囁かれているようにびくびく怯えては、真白い服をきゅっと掴んでいた。
「…またお母さん?」
「っ…!」
優しく声を発すると、びくっと肩が跳ねる。
赤く腫れた頬に、赤黒く滲んだ唇。
その青白くて細い腕には、無数の痣が残っていた。
「お、おかーさんは、悪くなくて…っ。ぼくが悪い子だから…っ」
「…でも痛いんでしょ?」
小さくこくりと頷く可哀想な子をそっと抱き上げる。
「お兄ちゃんはいつでも味方だからね。何かあったらすぐに言うんだよ?」
「…うん、」
俺以外は敵で、俺が一筋の光のような真っ暗な世界。
この子が見えているのはそんな世界。
俺はそこから出すつもりなんてない。
俺という存在である小さな幸せが、この子にとってのすべてになるまで。
小さな幸せ #201
いつからだろう。
世界がモノクロに見えるようになったのは。
「えぇ〜、忘れちゃったなぁ。気づいたら、あれ世界ってこんなに味気ないものだっけ〜って感じでさ」
あはは〜、と笑ってみせる。
隣の彼をちらりと盗み見るもその重い前髪の下は分からない。
「だから虹もちょっと分かんないんだ。せっかく教えてくれたのに、ごめんね」
今さっきのことだった。
俺にとっての世界は白と黒で構成されているのだと知られたのは。
虹が出たって知らせてくれた彼に普通を装って歓声を上げてみるもやっぱり胸の痛みは無視できなくて、普通を振る舞うことを貫き通せなかった。
きみなら信じてくれるんだろう。根拠のない自信。
だんだんと空気が重くなっていって焦る。どうしよう、やっぱりこんな空気になっちゃった。早く次の話題に____、
癖でこの話題をさっさと流そうとした、そんなとき。
「一番上はちょっと怒った奈緒が笑いかけてくるような淡くて儚い赤色。その下は奈緒が喜んでて愛おしいようなそんなはっきりしてて儚い黄色。で、一番下が淋しい苦しいって感情をそのまま飲み込んじゃうときの奈緒みたいな触れさせてくれないけど確かな青色」
雨上がりだからか、空気が澄んでいた。
最初はどういう例えだ、とか半ば呆れていたのだけれど、ぶわっと風に煽られた一瞬。ほんとに一瞬だけ。
世界に色が落とされた。
吸い込まれるように口を開く。
「三色なの?虹って七色じゃない?」
「…ああ、それ国によって違うらしいよ。だから見え方なんて色々あって、どれが正しいとかないんだって。俺の場合は三色にしか見えなかっただけ」
何気なく放ったであろうその言葉に、なぜか急に視界がクリアになる気がした。
「ふ、あははっ。何その例え、ちょっと怖いんですけど」
「え、分かりやすいかなって」
「ふふっ、えー、それでそんな例えになるー?ふ、あははっ」
憂鬱だったはずの灰色の虹がかかる帰り道は、どうしてかさっきよりも足取りが軽かった。
七色 #200
「ただいま〜…あれ、啓じゃん。どしたん」
創がリビングに入ると、ソファで寝転んでスマホをいじっている啓がいた。
啓はこちらをちらりと見上げると、何事もなかったかのようにスマホの画面に戻っていく。
…なんだ?いつもの覇気はどこいった?
「けーい。こっち向いて」
啓の横にしゃがんで目線を合わせてみる。ふい、と音もなく向こう向いた。可愛くない奴め。
「ふーん…じゃあこっちにも考えがあるけど」
「は、うわ、ちょ馬鹿兄貴、」
啓ひとりぶんの重さなんてなんのその。
ひょいと啓を持ち上げて、俺が座ってからひざの上に下ろす。
暴れないでよ、さすがにひざ砕ける。そう言ったら、砕けろ、と即答されました。
「…兄貴さぁ、急に兄貴面すんのなんなの」
「そりゃ兄ですから。兄貴面くらいしますよ」
「…そーですか」
ふい、と視線を逸らしてくる啓はどこまでも可愛くない。
…その、赤くなった耳を隠しきれていたら、ね。
「啓さん。何があったの」
「…別に。あったとしても兄貴にだけは教えない」
「えー」
「…、」
「……え、」
ちらっとこっちをみたと思ったら、ぽす、と埋まってきた。
さすがに予想外すぎてとっさに反応できない。
「…えー、今日甘えたデー?…よしよし」
さらさらの髪に指を通して、頭を撫でてみる。
気に入ったらしく、これといって抵抗はなかった。
…あー…今日の雲り予報大当たりだよ、優。
「ちなみに何があったのかくらい教えてくれてもよくない?」
「…だから無理」
「えー…だからなんで…もしかして俺関連?」
「……ちげえし」
「え、ごめん。俺何した…?まじでごめん」
「…だからちげえって!!この馬鹿兄貴!」
雲り 創啓 #199
(この漢字でのくもりは気持ちが沈んでるときのことも表すらしいね。沈んでるときの啓兄かわいすぎんか。
ちなみにこれらは世界線別のつもりで書いてます)