あれです、あれ。なんて言ったっけ、ほら……名前忘れちゃったんですけど、あそこのパン屋に置いてあるチョコのやつ。いや、いつも買ってるやつじゃなくって、生地にチョコが練り込んであって、なんかこう、マーブルみたいになってるやつっす。トングでとる感じじゃなくて、食パンみたいに袋に入れてある、大きいやつ、そうそう!入ってすぐんとこのやつです!そうそれ!それそれ、それっす!
お気に入り
きわまって可憐で野百合のように愛らしい人間がいる。僕である。
誰よりも
走馬灯は天井の染みになりそうだ。
墨田区の隅にあるアパートの一室。中古のワンルームが狩賀の自宅だ。
飛行機の音がした。飛行機じゃなかった。耳の裏側を飛んでいた虫の羽音だった。虫は目の前をしばらく旋回して部屋の隅の暗がりへ見えなくなった。
狩賀はみすぼらしい布団に仰向けで横たわっていた。枕に頭を預けると、何の形に思える訳でもない染みが丁度真上に見える。
「ああ」
叫んだ。幽かに。特別な意味もない、だけど近所を気にして小さくなった声と、ただそうしたくなった衝動を捻り出した。声はトタン屋根を叩き付ける雨音に押し潰された。
狩賀の音吐を拾ったのは狩賀だけだ。それで十分だ。と考えてみた。確認できた。それ以上望めないさ。
狩賀は生きている。
この場所で
死体は目立たない小部屋に安直されていた。死んだのは自分である。累々と横たわる自分の顔を少し離れたところから見ていた。
葬式は人知れず行われた。火葬場で形ばかりに遺影や供花が並べられた、参列者のいない、形だけの弔いを自分はまた、離れたところから見ていた。
へらへらと締りのない口元で笑う遺影をみる。ああ、自分の写真だ。SNSで使っていた写真だ。
仕方ない。家出してから関わる人間は、すべてSNSで出会った。両親は自分を探さなかった。一度も家に帰らなかったし、知らないままでいたかったのもあって、自分も両親の現在は分からない。
そんなだったから、死体で見つかった自分の名前を、結局警察は突き止められなかったみたいだ。自分を司法解剖した法医学者が参列したとき、彼女は自分を〝カナリヤさん〟と呼んだ。SNSで使っていた名だった。
その日検死に現れた遺体は、素性の分からない家出少女のモノだった。彼女は殺されていた。捜査を経て出会う彼女の知り合いたちの中に、彼女の本名を知る人は一人もいなかった。
誰もがみんな
スズメがいなくなった。
スズメとは雀のことではない。六郎が飼っていた三毛猫の名がスズメという。
庭に缶詰を置いた。新しく開封したものだ。
軒下で放心していた。しばらくそうしていたのだと思う。気がつけば缶詰は乾いていた。日も傾いている。空が不穏に曇りはじめた。
湿った空気に溶け合うペトリコールが匂う庭。通り雨は過ぎた。スズメは帰ってこない。
花束