時計の秒針をポキリと折る。
ずっと働いてきた古時計は秒刻みで時刻を示すすべを失い、分針がコチと動くのを待つしかなくなった。
そんなことは気に留めず、秒針に糸を通す。
あの子の胸に刺し、傷の谷を挟んだ対岸から針先を出す。再び元の岸に戻り、刺す。対岸から出す。繰り返す。
糸をきゅっと引っ張れば、谷は閉じていく。
谷口が完全に閉じたところで、玉結びにして切る。
施術の線路ができたあの子の胸に耳を当て、音を聞いた。
時を刻む音がする。規則正しく、どくんどくんと脈打つ。
ああ、よかった。
秒針から残った糸を引き抜く。
古時計を見ると、時針と分針が自分の動くタイミングを計っていた。
何秒かは、わからない。
溢れる気持ちは泉のごとく。
こぼれれば、衝動にあらがい難い。
どこかに流さなければならないので、水路を造ることにする。
流れる川の行き先は体の外である。
口から気持ちをさらさらと、しかるべき相手へとそそぐのが良い。
Kiss!
叫ぶ。
それからアルファベットを1文字ずつ刻み込むように発する。K、I、S、S!
あなたはこれまで魚のキスだの、キッシュだのあげつらって誤魔化してきた。
だから英語の綴りまでつけた。
これで最後にする。
あなたは、K、I、O、S、K?
売店?行こっか。何が欲しいの。
呆れた。キスをキオスクだって。無理やり過ぎる。
これで最後だったのに。
嫌ならはっきり断ってくれればいいのに。
あなたに背を向け、帰ることにした。
肩をつかまれる。
つい振り向いてしまう。
あなたの顔がすぐそこにあった。
全身の神経が、感覚が、口に集まった。
1000年先、まだ人類は健在だった。
自然は少し減っている。
森や山にはぽわぽわとした目に見えるか見えないかの物体があちこちに浮かんでいた。
浮遊しているそれらは、自然が減るのに比例して少なくなっていった。
ぽわぽわしたものたちはカラスなどと違って人里に降りることが難しい。
それでも、意図してか、もしくは迷い出てしまったのか、町で何かが浮遊しているのを見る人がいる。
月日がたつと、神社やお寺で目撃されるようになる。
お社や寺院の境内で、ぽわぽわと楽しそうに浮かんでいる。
神様や仏様は彼らを受け入れたみたいだ。
また1000年経つころには世界は緑豊かになって、彼らはこぞって自然に帰っていくだろう。
勿忘草は一本の茎から枝分かれ、無数の花を咲かせる。それらは頭を寄せ合うように咲いていて、常にひそひそ囁き合っていた。
今日は風が強いね。花びら一枚ちぎれそう、どうしよう。
くっつけ合った頭たちの少し下、茎の半ばくらいの位置に、一輪だけ孤独に咲いている。他の花と同じく青い花びらを持っているが、位置が離れているだけに、疎外感はひとしおだった。
その一輪は下から呼びかける。
おーい、混ぜて。
声は風に吹き消される。
羨ましげに上を見上げていると、仲間の花びらがちぎれて風に飛ばされていった。
嘆かわしい声が聞こえたが、それも風に消された。
彼らはこれ以上花びらを取られまいとさらに密集しあった。
風にさらされやすい位置に咲いているが、彼らは身を寄せ合える。
それが羨ましくてならなかった。