不条理
必死に働いたのに、ろくに働いていない同僚の方が出世した。
成績優秀なのに、頭が悪くて愛嬌のある妹だけが可愛がられる。
性格も良くて清潔感もお金もあるのに、顔のせいでパートナーができない。
そして、ある日突然誰も予想だにしない大災害が起きて、一瞬にして命を奪われる。
世の中の"不条理"はいつ誰にでも起きて、私たちを苦しめる。
それは逃れることはできない。
ならばせめて、起きた事実を噛み締めて、いつか報われることを信じて生きていくしかない。
その先にまた不条理が待っていても、乗り越えられる力をきっと持っているはずだから。
泣かないよ
昔は泣き虫だった。些細なことですぐに泣いた。
自分でもどうしてあんなに泣き虫だったのかわからないくらい。
大人になって、私は全く泣かなくなった。
いつから泣いてないのか覚えていないほど。
いや、泣かないのではなく、単純に感情が死んでしまったのかもしれない。
大人になって嫌なこと汚いこと辛いこと苦しいこと、たくさんの負の感情に触れて私の心は壊れて涙すら出てこなくなってしまったんだろう。
親友は逆で子供の頃は全然泣かなかった。
大人になってから泣き虫になったと言う。
ドラマや映画を見てよく涙を流すと。
私には理解できなかった。
「きっとあんたは、あたしが死んだら泣くよ。」親友は笑ってそう言った。
「…泣かないよ。だって、私の方が先に死ぬから。」私も笑って言い返す。
まさか、現実になるなんて思ってもみなかった。
交通事故だった。
まさか本当に私を置いて、先に亡くなってしまうなんて。
親友が安らかに眠る棺の前で私は立ち尽くした。
「……泣か、ない。泣かないよ。…グスッ。」
両目からボタボタボタボタ涙が流れていく。
私はその日、久しぶりに泣いた。
怖がり
人間なかなか、恐怖を克服するのは難しい。
わたしは子供の時分から虫がどうしても怖くて見ることすら億劫だった。
昆虫図鑑なんてものはただの地獄絵図だ。
「君は何に対して恐怖を感じる?」
暇つぶしに私の研究室に来ていた学生に尋ねてみた。
「恐怖、ですか。僕は何にも感じないですかね。」
そんな天邪鬼なことを言うからついわたしもムキになってしまう。
「怖いものがない人間なんていないだろう。真剣に考えてくれ。ちなみにわたしは虫が何よりも怖い。そうだな、例えば…霊だとか、狭さや暗さだとか、あとは死とか。」
「ははっ、虫怖いんだ?可愛いですね教授。…ん〜僕は虫平気ですし、狭いとこも暗いとこもなんとも思わない、死に対しても…特に恐怖はないですね。」
今どきの学生は皆こうなのだろうか?どこか達観していて、子供らしさが見当たらない。
無機質な人間だ。
「あ!強いて言うなら。人間、ですかね?」
「人間?」
「だって、人間は平気で裏切るし平気で嘘つくし、何考えてるかわからないし。げんに今、僕が先生に対して何考えてるか分かります?」
彼の目つきが変わりなんだか物々しい雰囲気にわたしは少したじろいでしまう。
「た、確かにわからないな。…ちなみに、今いったい何を考えている?」
「……他の研究室はどこも授業で出払ってる。今ここには僕と先生だけ。今ここで僕が先生を殺しても誰も見てないし誰にも聞こえない。後でこの部屋にトリックを使って内側から鍵をかければ密室殺人のできあがり。……なーんてね。」
確かに、人間も怖い。またひとつわたしにとって怖いものが増えた。
星が溢れる
小さな頃に親に連れられて映画館へ行った。
大きなスクリーンに大画面で映し出され次から次へと目まぐるしく流れていくストーリー。
両親の隣で幼い僕は夢中になって、息をするのも忘れて無意識に涙を流していた。
まるで、僕の瞳の中で爛々と輝いていた無数の星が溢れてこぼれ落ちるように。
キラキラと両目から、たくさんこぼれ落ちた。
安らかな瞳
気難しくて誰にでも厳しくて、いつも不満げだった。
父のそんな所が嫌いで、私は早く実家を出た。
そんな父の元に気が弱くて病弱な母を残して、
私が家を出て間もなく母は持病が悪化して呆気なく亡くなってしまった。
母は、私が殺したも同然。
それから間もなく父も体を壊して入院していると聞いた。けれど、私は父との面会へ行くことはなかった。
言ったことろで、どうせ罵倒されるのは目に見えていたから。
面倒は事情をわかっている親戚が見てくれた。
入院してしばらく経ったある日、親戚から「そろそろ本当に危ないから、1度だけでいいから顔を見せて」と催促があって、渋々行くことにした。
久しぶりに見た父は私の知っている頃とはまるで変わってしまった。
チューブに繋がれて痛々しくこけた頬、骨と皮だけのような腕、声もしわがれて聞くに絶えない。
あまりの姿に目を背けたくなって、病室を出ようとした。
「…来て、くれたのか…。」
目も見えているのか分からないし、私を認識しているのかも分からない、けど声をかけられて私は立ち止まった。
「…私の事なんかわかんないでしょ?」
「俺の…大事な娘だ。来てくれて、ありがとう…。」
まるで、それを言うためだけに生きていたみたいに、言い終えた瞬間心電図から『ピ───』と無機質な音が響いた。
私はずっと、父に背を向けていたが振り返って見た父は今まで見たこともないほど安らかな瞳をしていた。