「届かないのに」
大好きだった祖母が亡くなった。
私よりも祖母のことが大好きだった姉は私より比べ物にならないくらい絶望して泣いていた。
数日後、すぐに祖母の葬儀が執り行われた。
相変わらず姉は泣いていた。
出棺前の納棺式で祖母の生前の服や持ち物、思い出の品を入れ棺のフタを閉めようとしたその時、それまで一言も発さなかった姉が口を開いた。
「…あの。最後にこれを。」
バックから封筒に入った手紙を取り出し、祖母の手の上に手紙を置き、それから棺のフタは閉じられた。
火葬場へ向かうバスの中で、私は姉に尋ねた。
「いつの間に手紙なんて用意してたの?…もう、おばあちゃんには届かないのに。」
「これは生きてる人間のエゴだよ。…届かなくてもいいの。私から、おばあちゃんへの感謝だから。手紙を送れるだけで満足!」
涙で赤く腫れた目を細めて満足気に笑った姉がなんだか無性に愛おしく思えた。
「記憶の地図」
頭の中には記憶の地図がある。
ある記憶を思い出そうとすると、その記憶に辿り着くための地図が出てくる。
頭の中は迷路のように入り組んでいる。
幼い頃から培われた膨大な知識が頭の中で折り重なり巨大な迷路になる。
その迷路の中から答えに辿り着くため記憶の地図を開いて、記憶を探る。
それを人は思考という。
「マグカップ」
大学生の頃付き合っていた彼から、とあるプレゼントを貰ったことがあった。
少し小さめで可愛らしいマグカップだった。
なぜかソワソワしている彼に「ありがとう、大切に使うね。」と告げた。
彼はおそるおそる「男が女性にマグカップをプレゼントする意味……知ってる?」と聞く。
私は「わからない。」と首を傾げると、彼は
「…帰ったら、意味を調べてみて。」と少し顔を赤らめた。
家に帰って調べてみて、私も顔がポッと熱くなった。
それは、いつも控えめな彼の精一杯の愛情表現だったから。
「もしも君が」
もしも、仮に、万が一、ひょっとして、
こういう言葉が嫌いだった。
掴みどころがなくて曖昧で、そんなあるかないか不確かな事を考えても時間の無駄だと。
君は僕とは真逆で、よく「もしも」「もしも」と心配事の多い女性だった。
ある日、僕はそんな君にうんざりして酷いことを言ってしまった。
「起こってもいないことをウジウジ考えるな。…鬱陶しい。」と。
彼女はそんな僕に反論せず、ただ肩を落としてどこかへ消えてしまった。
それから彼女とは連絡が取れなかった。メッセージを送っても既読もつかない。
僕は心配になって「もしも君が──」と、ふと心の中で呟いた。
そして理解した。大切だからそういう言葉が出るんだ。あるとかないとか不確かとか関係ない、ただ大切に想っているから。
僕は彼女にメッセージを送った。
「酷いことを言ってごめん。君のおかげで理解したよ。もしも君に何かあったらと心配になった。…君のことを大切に想っているから。」
「君だけのメロディ」
小学生の時クラスにピアノが得意で絶対音感がある子がいた。
家がお金持ちで平凡な家の私からすると、なんだか独特な子だった。
クラスのみんなも同じで、あの子のことをどこか一線を引いて見ていた。
お昼休みになると必ず1人でどこかへ行くので、ある時思い立って私は彼女を尾行してみることにした。
こっそりついて行くと、音楽室に到着した。
入り口の前でぴたりと立ち止まった。
「…なに?」
振り向いたあの子と目が合った。私は「しまった」と思い咄嗟に
「い、一緒に遊びたいな〜と思って。」
そう答えると、「入って」と音楽室に促された。
慣れた様子でピアノの椅子に座り、残り半分のスペースに私を招き入れた。
「私って…みんなに馴染めてないよね。変人だから。」
少し悲しそうに話すあの子。
「そんなことないよ?…少なくとも私はあなたのこと気になるし、できたら、友達にもなりたい。」
私がそう言うと、あの子はパッと閃いたようにピアノを奏で始めた。
短い演奏が終わると、
「これは、たった今閃いた、君だけのメロディ。…友情の証?ってやつ。…私もあなたと友達になりたい。」
そう言ってあの子は初めて笑顔を見せてくれた。
彼女は今でも私の大切な親友だ。