大きなヒビがいくつも入ったワタシは、突然大きな音をたてて形を保つ事をやめた。
ドロドロと“ジブン”が溢れだし、ワタシの中にはもうわずかしか残っていなかった。
ここはどんな形だったんだろう。こんな形だっただろうか。
ワタシをどうにか直そうと試みる。
地面に広がり染み込んでいってしまいそうな“ジブン”を泥ごとワタシに戻す。
わずかに残った“ジブン”は戻した泥混じりの“ジブン”と合わさって今まで見た事もない色になっていく。
ワタシはどんな色だっただろうか。“ジブン”はどのくらい入っていたんだろうか。
ワタシがこんなんになるなんて考えてもいなかった。
だからワタシがどんな様だったかなんて詳しくは覚えていなかった。
知ろうともしなかった。
元通りになっていない事だけが確かな醜いワタシを見ながら泣いた。
ワタシがどんなだったか、きっと覚えているどこかの誰かにこの声が届くように、
力の限り大きな声で、
意識が無くなるまでいつまでも、
大きく、永く、 泣き叫んだ。
天から“負”が降ってくる。
地面を叩く無数の音が鳴り続く。
人の造った物が揺られ、それに耐えようと歯ぎしりの音も聞こえる。
大きな天に抗うべく私はカサを差す。
しかし、横に流された“負”は無情に背中を刺し続ける。
逃げるように前に走れば今度は正面からぶつかってきた。
カサは“負”を防ぎきるにはあまりにも小さくもろかった。
すぐにカサは役立たずになった。
私が少しずつ削られ、えぐられ、溶けてゆく。
私はそれでも“負”に耐え天の下、強い光を待っている。
我々は精鋭部隊だ。
鍛錬を重ねた優秀な兵が3億。もちろん全員が成果を上げられるわけではない。だが、我々が勝利を勝ち取るには十分すぎる兵力であろう。
司令部より侵攻せよとの命が下る。
我々は早急に基地を出立。もちろん、準備は全員万端である。
我々は精鋭部隊。全員が屈強で俊敏である。戦地まで全員が駆け足で向かう。勝利を疑うものなどいないであろう。
戦地に向け、我々は長い洞窟を抜ける事になった。だが我々は精鋭部隊。勢いに任せ駆け抜ける。
光が見えてきた。さぁ戦いだ。
我々は精鋭部隊。指揮が上がる。全兵がその勢いを更に増し、一気に戦地へ。
気づけばそこはティッシュの上であった。
我々は精鋭部隊。しかしまさかの敗北に終わるのであった。
「小説?実はちゃんと読んだことないんだよ。はっはっは」
叔父さんは油でテカった髪をわしわしとさせながら笑っていた。
叔父さんは売れない小説家だった。
「漫画なら沢山読んだけどねぇ。小説なんて小学校のときの読書感想文くらいかなぁ。」
「それで小説なんて書けるの?」
僕は叔父さんといるのは気が楽で好きだった。今思えば見下していたところもあっただろう。
「書けるさ。なんたっておじさんは漫画も書いてたからね。」
「漫画と小説は全然ちがうじゃん。」
「見た目はな。でも物語なのは一緒だ。」
「その顔、疑ってるなぁ?いいだろう。おじさんが小説の書き方を教えてやろう。」
「大事なのは読者にいかに伝えるか、だ。楽しいお話をわかりやすく伝えるために絵を使うのか、文字を使うのか。違いなんて結局そのくらいなんだよ。」
「ふーん。なんでよく読んでた漫画は書かかなくなったの?」
「そりゃあおじさんは絵が下手だったからな。伝えたい事を伝えられる絵が描けなかったんだよ。」
「小説はそれに比べていいぞー。文字は絵より簡単に書けるし早いからな。」
「へぇー。」
「お前も書いてみたらきっと楽しいぞ〜。」
叔父さんがにかっと笑う。
「ま、売れっ子になりたいって話になるとそれだけじゃないかもしれんけどな…。」
叔父さんのそんな言葉をふと思い出し、僕はこっそり小さな物語を書きはじめた。
まぁ、確かに、、楽しいかも。
大皿にからあげがひとつ。
これが「日本人」だ。
その横の皿にはキャベツが一口分。
反対の皿には刺身がひと切れ。
「次何飲まれます?」
はす向かいに座る同期が先輩に明るい声で気を利かせている。
そう、何を隠そう私は「気が利かない奴」である。
でも本当の心を言えば、私は気の利かない人間ではない。ただスピードが人より遅いのだけなのだ。
そういう心がそもそもないのなら私が冷えていくからあげを放って置くわけがないのだ。
誰かが手を付けていないかもしれない、実は狙ってる人がいるのかもしれない、気が利かない私が食べるのは忍びない。
しっかり考えているのだ。許してほしい。そう心の中でつぶやいた。
目線のやり場に困らないよう、ジョッキに唇を付けるだけを繰り返していると、先輩はお手洗いに席を立った。
先輩が奥の扉に消えると同期2人からこちらへ冷たい視線が送られる。
「お前ももう少し気を使って行動しろよ」
返す言葉もない。私がどんなに考えていようと行動として見えていなければ考えていないと同じなのである。わかってはいる。
だが、同期らから送られるあまりに冷たい軽蔑の視線に怒りを募らせてもいいではないか。私をそんなに否定するな。
私はこの怒りを爆発させるべく、ついに口を開いた。
「ごめん…そういうの苦手で…」
心の中の私は大声で泣いた。もうボロボロだ。帰りたい。これ以上長引いたら私がもたない。
すると先輩がお手洗いから帰ってきた。
同期の方を見るやいなや、二本指を立てた手を口元に当てるジェスチャーをして合図を送った。
同期らはそそくさと席を立ち店の外へと消えていった。
大きなテーブルと周りの喧騒が私の孤独を強調するようだった。
暗闇へ落ちていく心を引き止めるべく、私はキャベツと刺身を口に放り込み、最後にからあげでフタをした。