『冬の足音』
冬は、猫のような足音をしている。
ほとんど体重を感じさせない音。
ヒタヒタとやってきて、いつの間にかすぐ側まで迫っているのだ。
「冬の精霊が来たぞ!」
「早く玄関にリースを飾らなくちゃ!」
この世界では、精霊と人間が近くにある。
お互いに「隣人」として、人間は精霊に「習慣」を与え、精霊は人間に「結果」を与える。
冬の精霊は、リースを飾るという習慣の対価に、凍える冬をもたらすのだ。
冬の精霊が冬をもたらしてくれなければ、春の精霊がやってこない。
永遠に季節が巡らなくなってしまうので、人々は冬にリースを捧げるのだ。
ヒタヒタ、ヒタヒタ。
今年も冬がやってくる。
リースを見つめて、眷属の馬に跨って。
ふう、と息を吐いたら、そこは冬。
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以前書いた涼風の精霊の話(『落ち葉の道』)と同じ世界観です。
『贈り物の中身』
「やぁ良い子のみんな!1年元気にしていたね?じゃあ贈り物をあげよう!」
拡声器から出たような、僅かにノイズがかった声が部屋を震わせた。
「ほーら、まずはルーシー!君にはこの小さな箱だ」
ルーシーがプレゼントを開けると、中にはルーシーの祖母の入れ歯でできたオーナメントが出てきた。
「メリークリスマス、ルーシー!素晴らしいプレゼントすぎて泣けるね!」
「次は…ジャック!君だよ!ほら、どうぞ!」
ジャックが嫌々ながらピンクと緑でラッピングされたプレゼントを開けると、中から昔飼っていた犬のジョン用の皿で出来たドラムが顔を出す。
「メリークリスマス、ジャック!プラスチックの太鼓は、上手く音が出るのか見ものだね!」
「最後はエミリー!今年1番いい子だった君だ!はいどうぞ!」
エミリーが嬉々として大きな箱を開けると、中には何も入っていなかった。
「君はいい子だから、プレゼントに価値を見出す必要なんてないよね!メリークリスマス!」
では皆様ご一緒に!メリークリスマス!
今年も素敵なプレゼントだって評価ボタンを押しておいてね!
『凍てつく星空』
「おさかなさんはこの下にいるの?」
小さな子が凍った湖の上でしゃがんで、不思議そうにこちらを見あげた。
「そうだよ。表面が凍っているだけで、この下は水がちゃんとあるから、お魚さんもいるんだよ。」
寒さでふっくらとした頬を真っ赤にしたその子は、しばらくうむむ、と悩んでいたがやがてポツリと言った。
「うーん、じゃあ私たちのことも下から見てるってことなのかな。」
「そうじゃないかな。僕たちの影で急に暗くなったから、もしかしたら驚いてるかも。」
「父さん、急に真っ暗になった!」
「くらーいよ父さん!」
僕たちは固い上を見ていた。
悠々と泳ぐのも好きだけど、「夜」にヒレを休めて上を見上げるのも好きだ。
「大きな生き物が上にいるんだろうさ。大丈夫、すぐに見えるようになるさ。」
「そっかー!キラキラ、早くみたいなぁ!」
弟が無邪気に言う。
「僕もみたいな。父さん、寒くなると上が白っぽくなるのはなぜ?」
「それは私たちを覆っている水が凍るからだ。といっても全部凍るわけではなくて、上部だけだから、凍った部分が白く見えるってわけさ。」
「ふぅん。……あ、明るくなった!」
影が去り、また僕たちはキラキラを見ることができるようになった。
氷越しの星空。
『君と紡ぐ物語』
「やだ……また撮ってるの?」
もうよしてよ、と君が言うのを無視してビデオを取り続ける。
「あなた、ずっと撮ってばっかりであたしと一緒に映ってくれないのね?」
少し拗ねたような顔。
でも本気で怒っている訳ではなくて、そのポーズが可愛い。
「もう……。せっかく旅行に来たんだし、機械なんて置いて遊びに行きましょうよ。」
そうやって君が腕を引っ張るから、僕はようやく動画を撮る手を止める。
「そうだな。君との旅行は新婚旅行以来だから。」
「そうこなくっちゃ。あたし雑誌で沢山行きたいところを調べてきたのよ。ほら見て?付箋がびっしりでしょ」
全部あなたと行きたくて調べたのよ、なんて可愛いことを言うからまたビデオを回したくなる。
「またビデオに手が伸びてる。ダメよ、そんなにビデオと一緒にいたいならそっちと結婚したら良かったんだわ。」
妻が本格的に拗ねてしまった。
そんなところも可愛いと言ったら、もっと拗ねてしまうかな。
「違うよ。素敵な奥さんと一緒だからこそビデオに手が伸びるのさ。君がいなけりゃビデオが趣味になることも無かっただろうね。」
「……もう。」
宿屋から見える紅葉のように赤い頬の君。
そんな君を目に焼きつけて、一生の思い出の完成だ。
君が僕の人生に現れてから、僕はずっとビデオを回し続けている。
「まずは紅葉狩りが有名なお寺からね!」
はしゃぐ君を思い出のフィルムに閉じ込めて、君と思い出を紡いでいく。
『失われた響き』
私の兄は「天才」だった。
幼年から家にあった舶来品のピアノを弾き始めた兄は、瞬く間にモーツァルトやらショパンやらを弾くようになった。
初めは「男子がそんなものを」と辞めさせようとした父も、たまたま家に招いた外交官に褒められてからは満更でもなかったようで、止めることはなくなった。
「兄様、なぜそんなに指が動くのですか」
私は、ピアノを弾く時だけ指の本数が増えるのではないかと思うくらい多彩な音を奏でる兄に、よく質問したものだ。
「どうしてだろうか。でも、指の腹が鍵盤に吸い付くんだよ。」
優しい兄はそう言って私にピアノを教えてくれたが、私は反対に全く出来なくて早々に諦めてしまった。
「私は兄様みたいには指が動かないわ。」
「瑠璃子もうんと練習したらできるよ」
「ダメよ、私は練習が楽しいと思えないのですもの。兄様は楽しいって思うのでしょ?」
「うん、ピアノは体の一部みたいなんだ。」
そうやって笑った兄は5年後、ピアノの練習のしすぎで指の健を切ってしまい、二度とピアノが弾けなくなった。
「兄様、ピアノ……」
「瑠璃子。その言葉はもう、出さないでくれないか。」
ピアノが弾けなくなって以来、兄は人が変わったように殺伐とした性格になってしまった。
ピアノという単語を出すのもダメ。
私がポンポンと鍵盤を叩くのすらダメだった。
「見たら辛くなる」というのが兄の言い分で、ピアノが置いてあった音楽室には鍵がかけられた。
私はピアノを弾くのは嫌いだ。
でも、兄がピアノを弾くのを見るのは好きだった。
兄がピアノを弾く姿は、私が習っている舞踊より余程優雅で美しかったから。
兄の指先は、象牙の鍵盤を叩く時運命の乙女に触れたように優しかったのだ。
今はもう、見ることができない。
聞くことができない兄のピアノ。