『手放した時間』
「この魔法を使うと、君の病気はたちどころに治る。」
胡散臭い見た目の自称魔法使いが、病床の私に向かって言った。
「でも、1つ重大な欠点があるんだ。」
「……なに?」
「君は不老不死になるのさ。病気1つしない健康な体になりすぎるってやつだね。」
沈黙。
私の喘ぐような細い息が、静かな部屋に響く。
「良い。それで良いから、病気を治して。」
私にはまだ幼い弟がいる。あの子には私しか残っていないのだ。
だから、死ぬ訳にはいかない。
「弟さんのため、だっけ。」
魔法使いが目を細めて尋ねる。
「そう。私が死んだら、あの子が困る。」
「……。魔法をかけるよ。」
どこからか古びた杖を取り出した魔法使いが、杖の先を私に向ける。
「勇気ある君に1つ忠告だ。不老不死ってのは、思ったより『人間でなくなる』ってことだよ。」
「なんでもいい、から早く。」
「はぁ…。忘れないでね。」
魔法使いがブツブツと何かを唱えると杖が光った。
その日、私は病気が治って、不老不死になった。
「ありがとう、姉さん。」
小さかった弟が何十年と生きて、笑顔で息を引き取った。
「こちらこそ、弟よ。」
私はこのために不老不死になった。
そのことに後悔なんてしていない。
弟が最後の家族だったから、しばらくは彼や彼の家族との思い出に浸ろう。
そう思ったところで、違和感を覚えた。
「思い出ってなんだっけ。」
旅行に行ったり、楽しかったり苦しかった思い出があったはずなのに。
私の中では、いつの間にか『数ある毎日のうちの1つ』として処理されてしまっていた。
「あれ、あれ、?」
探しても、探しても。
頭を辿った先には、沈みかけた『日常』だけが靄のようにたゆたっているだけ。
「なんで、もっと楽しかった思い出があるはずなのに。」
どうして、何も無いのだろう。
不老不死になった私は、何か重要なイベントがあっても『日常の延長』としか思えなくなってしまった。
気づかないうちにとても大事なものを、手放してしまった。
『紅の記憶』
『いつか、いつか!貴女をお連れする準備が整ったら、その時に百本の薔薇の花束を持って貴女の元へ戻ります、姫様!』
そう言ってくれた貴方を、わたくしは今でも待っているの。
彼は、わたくしを守る護衛騎士のうちの1人だった。
わたくしが7つの時から傍で控えていた人。
物静かで、護衛というよりも侍従のような。不思議なほど気を回してくれる優しい人だった。
幼いわたくしは予定調和のように貴方に恋をして、「大きくなったら貴方と結婚するわ!薔薇の花束を百本持って、わたくしに求婚してね!」
興奮で頬を赤く染めながら、そう言って父上や貴方を困らせていた。
状況が変わったのは、わたくしが14の時。
父上や先代達の浪費で、もうこれ以上ないほど財政繰りが悪化してしまった。
近隣の国々に返せないほどの借金を作ってしまって、そして父は見栄っ張りだったから、あろう事か戦争を初めてしまった。愚かにも程があるというのに。
わたくしは、無知で愚かな小娘のまま育ってしまった。
毎日毎日、貴方に「結婚してくれないの?」そう言い詰めて勤務中の貴方を困らせてばかりいたの。
「姫様には、もっと良いお婿がおりますよ。自分のような兵士上がりではなく、貴族らしい方が。」
貴方はそう諭してくれたけれど、わたくしは意地を張って「貴方が結婚してくれなければ、わたくしはお嫁になんていかないもの!」そう言っていた。
鳥籠に囲われた小夜啼鳥。
そんな、いつもと変わりない日常は父上の一言で変わった。
「お前は儂の遠縁の息子と結婚するように。」
父上は戦争をするためのお金が欲しくて、わたくしを売ったのだった。
「いやよ、絶対に嫌!息子と言ったって、お婿になる人はもう40なのよ!わたくしは、まだ14なのに…!」
わたくしは豚のような貴族に売られるのが嫌で、ずっと泣いて、泣いて、泣いていた。
お嫁に行く準備は着々と整っていた。
憔悴し切ったわたくしは、もう反抗期する元気もなくて、目元を真っ赤に腫らしたまま嫁入りの準備に慌ただしく動く侍女達を眺めていた。
「貴方とも今日でお別れね。」
輿入れの日。
貴方とわたくしの最後の日。
勝手なわたくしの片思いだったけれど、それも今日でおしまい。
「貴方は、幸せになりなさいね。」
ヴェールを被っていて良かった。貴方にこんな酷い顔を見せなくて済む。
「姫様。……。」
何かを言いかけて止めた貴方。最後くらい、何か言ってくれても良かったのに。
わたくしを乗せた輿が、ゆっくりと動き出す。
さようなら、わたくしの護衛騎士。
次に会えたら、必ず───
「姫様!!」
「……え?」
貴方の大きな声が聞こえた。どよめく周囲と、貴方を警戒する人達。
「いつか、いつか!貴女をお連れする準備が整ったら、その時に百本の薔薇の花束を持って貴女の元へ戻ります、姫様!」
ああ、貴方は優しすぎる。
わたくしがとても嫌がっていたから、反逆罪になりかねないことを言ってまでも、わたくしに希望を持たせようとしてくれたのだろう。
「……ふふ、嘘つき。」
わたくしに希望をもたせるようなことを言って。
「待ってしまうじゃないの。」
その時に流した涙は、血を絞り出したみたいな痛みがした。
それからわたくしは貴方を今でもずっと、待っているのです。
『夢の断片』
「お前は外へでてはいけないよ。悪い人間に食われてしまうから。」
お前の体は宝石で出来ている。
涙は真珠、血はルビー。肌は石英。瞳はサファイア。
ひとたび外へ出れば、金に目がない連中に捕まって痛めつけられてしまう。
「人間に、良いと悪いがあるの?貴方みたいな人しかいないと思っていたわ。」
純真で純粋なお前。
もしお前の石英の肌が壊れたら、出てくる心は水晶で出来ているのだろう。
「そうだよ。皆が私のような人間とは限らないんだ。」
「そうなのね。じゃあ、人がいない時に外に出てもいい?」
「ダメだ。人がいないなんてことは無いから。いつ、どこでお前を見つけるか分からないんだ。人間は小賢しいから。」
お前が連れ去られるなんて、考えたくもない。
そんなことになったら、私は……。
おじ様は、毎日同じ時間に外に出る。
私は外に出てはいけない、と言われるのに。
私の夢は、いつか外に出ること。
外に出て、おじ様を驚かせるの。
「今日も良いね?お前を食べさせるために必要なんだ。」
本当に?
「外に出てはいけないよ。人間は悪いやつだから。」
確かにそうね。
だって、おじ様は私の肌を割るのだもの。
私の血を抜いて、私のルビーを売りさばくの。
「私が気づいてないと思っていたの?」
私の夢は、いつか外に出ること。
外に出て、おじ様を驚かせるの。
「私は今日まで、お前を殺すために生きてきたのよ!」
そう言うために。
『見えない未来へ』
「ねぇ、本当に行ってしまうの?」
私は今更過ぎる言葉を貴方に投げてしまう。
「うん。君が、そして未来の子どもたちが豊かに暮らせるようになって欲しいからね。だから、僕は行くよ。」
帽子を目深に被った貴方。
目元が見えないのが妙に不安で、私は貴方を引き止めたくなる。
薔薇色の紙。
薔薇というより、血の色にしか見えない。召集令状なんて。
「生きて、帰ってきてね。」
「……うん。分かっているよ。僕が帰ってくる頃には、美枝子、君も随分と大きくなっているだろうね。」
「今でも十分大きいわ。」
「はは、女学校に行く歳になったらもっと大きくなっているよ。」
大きな手が、私の頭を撫でる。
不器用な、貴方の手。
「……お国のために頑張ってください、兄さん。」
さようなら、私の唯一の肉親よ。
「うん。全てを捧げる覚悟です。お国のために。」
そして、美枝子。まだ小さくて、可愛い妹のために。
君が幸せに暮らせる未来のために、僕は征きます。
たとえ、僕の命が尽きようとも。