『手放した時間』
「この魔法を使うと、君の病気はたちどころに治る。」
胡散臭い見た目の自称魔法使いが、病床の私に向かって言った。
「でも、1つ重大な欠点があるんだ。」
「……なに?」
「君は不老不死になるのさ。病気1つしない健康な体になりすぎるってやつだね。」
沈黙。
私の喘ぐような細い息が、静かな部屋に響く。
「良い。それで良いから、病気を治して。」
私にはまだ幼い弟がいる。あの子には私しか残っていないのだ。
だから、死ぬ訳にはいかない。
「弟さんのため、だっけ。」
魔法使いが目を細めて尋ねる。
「そう。私が死んだら、あの子が困る。」
「……。魔法をかけるよ。」
どこからか古びた杖を取り出した魔法使いが、杖の先を私に向ける。
「勇気ある君に1つ忠告だ。不老不死ってのは、思ったより『人間でなくなる』ってことだよ。」
「なんでもいい、から早く。」
「はぁ…。忘れないでね。」
魔法使いがブツブツと何かを唱えると杖が光った。
その日、私は病気が治って、不老不死になった。
「ありがとう、姉さん。」
小さかった弟が何十年と生きて、笑顔で息を引き取った。
「こちらこそ、弟よ。」
私はこのために不老不死になった。
そのことに後悔なんてしていない。
弟が最後の家族だったから、しばらくは彼や彼の家族との思い出に浸ろう。
そう思ったところで、違和感を覚えた。
「思い出ってなんだっけ。」
旅行に行ったり、楽しかったり苦しかった思い出があったはずなのに。
私の中では、いつの間にか『数ある毎日のうちの1つ』として処理されてしまっていた。
「あれ、あれ、?」
探しても、探しても。
頭を辿った先には、沈みかけた『日常』だけが靄のようにたゆたっているだけ。
「なんで、もっと楽しかった思い出があるはずなのに。」
どうして、何も無いのだろう。
不老不死になった私は、何か重要なイベントがあっても『日常の延長』としか思えなくなってしまった。
気づかないうちにとても大事なものを、手放してしまった。
11/23/2025, 12:20:26 PM