知ってる人に話し掛けられた。
一方的に話してくる。
挨拶をし損ねてしまった。
「あっ……え……」
挨拶しなきゃ。
「こ、こんにちは!」
「え、急にどした? それよりさ――」
またどんどん話していく。
どうだろう? 僕は何か間違えた?
でも、何もなかったように話していくから、たぶん大丈夫。
タイミング、間違ったかな? って、いつも後で思ったりする。
たまに間違って、相手がどこか行ってしまう。そんなこともある。
それでも、君はいつも気にせず話してくれるから。ただの知ってる人じゃなくて――なんか、そう。一緒にいて、ちょっと楽しい知ってる人。
君と会える日が楽しいって思ってる。
『タイミング』
とても小さな頃、あの虹の麓には宝が埋まっているんだよ。と教えてもらった。
だから、僕は旅に出た。
その宝を見つけ出すために――。
初めて訪れた町で、僕は一人の男と出会った。
彼は冒険家を生業としていて、いろいろな町を転々としている人だった。
僕の話を聞くと、「面白そうだ」と笑いながら言い、同行すると申し出てくれた。
僕としても、冒険に慣れている人が一緒にいてくれた方がいい。
そうして、僕に仲間ができた。
次に訪れた町で、今度は怪しげな格好をした女と出会った。
彼女は魔女の末裔で、最近は魔女に対する偏見が増え、この町では暮らしづらいと愚痴をこぼしていた。
じゃあ僕らの旅についてくるかと尋ねると、彼女は「喜んで」と、笑った。
道中、なぜ宝を求めているのかと尋ねられた。
僕が虹の麓を目指しているのは、病気に苦しむ母を助ける為、宝――お金が欲しかったからだ。
あの虹の話をしてくれた母を、優しい母を、失いたくなかった。
今、空に虹は出ていない。
元々、虹なんて常に出ているものじゃない。
けれど、旅立つ日に見上げた空に架かっていたあの虹の方向に向かっていれば、きっといつかは辿り着けると信じていた。
虹の端を、虹の始まりの、その麓に辿り着ければ、きっと母は――。
雨上がりの青い空に、虹が架かった。
白い鳩が、あの空に向かって翼を羽ばたかせた。
あまりにも幻想的で、僕はきっとこの光景を一生忘れないだろう。
その鳩のうちの一羽が、僕の元へとやって来た。町から送られた伝書鳩だった。
そこには、母が亡くなったことが記されていた。
どこまで行っても、虹の麓には辿り着けなかった。僕の願いは叶わなかった。
でも、宝は手に入れていた。
今、僕には、悲しい時、こうして一緒に泣いてくれる仲間がいる。嬉しい時、抱き合って喜べる仲間がいる。
この旅は決して無駄ではなかった。宝はすぐそばにある。
『虹のはじまりを探して』
カラカラに渇いていた。愛に飢えていた。
遠くに蜃気楼が見える。
そこへ向かって、手を伸ばした。
あぁ。あれは、オアシスだ。
心を潤す水が欲しかった。
甘い密に誘われるように、力を振り絞って、辿り着いた。
でも結局、そこには何もなかった。
蜃気楼は蜃気楼で、オアシスなんて幻だった。
余計にカラカラに渇いた心は、灼けるような陽射しの下で、このまま朽ち果てていくのだろう。
『オアシス』
いつもと同じ。朝の教室。
「おはよー!」
ただ、今日の気分は最悪、ドン底。
それなのに、何も知らない君は、いつものように脳天気な挨拶を向けてくる。
「おはよう……」
あまり相手をする気にもならなくて、適当に手を振る。
そんな様子に気付いているのか気付いていないのか、全く気にする素振りも見せず、君は僕にそのまま近寄ってきた。
「いぇーい! 後ろの髪の毛はねてるぞーおもしろー」
……これは本当に、何も気付いていないのか。
髪の毛をツンツン引っ張ってくる手を振り払い、席を立ち上がる。
「どこ行くんだよ? もうすぐ朝のHR始まるぞ」
「ほっとけよ」
何もかも面倒になって、教室を出ると、誰も来ないだろう屋上へと向かった。
朝のHRが始まると言ったのは君なのに、なぜか後ろをついてくる。一人にしてほしいのに。
「なんでついてくるんだよ」
振り返らず、君に尋ねる。
背中から返事が飛んでくる。
「だって、なんか、泣いてるから?」
「泣いてない」
「泣いてんじゃん」
君が肩を掴んで無理やり振り返らせる。
自分では泣いてないと思っていたのに、どうやら泣いていたようだ。冷たいものが頬を伝っていく。
「ほら。これでも食えって」
突然、手に握らされたのは――バナナ。
「……なんだよこれ」
「バナナ」
「見ればわかるよ」
「美味いぞ」
「もうほっとけって」
「えーほっとけないって。バナナが嫌なら納豆」
「どこから納豆出したんだよ」
「美味いぞ」
「答えになってねえ!」
「でもこんなやり取りしてたら、涙も止まるじゃん」
ハッとして、手を顔にあてる。たしかに、気付けば涙は止まっていた。
……なんだか、全てがアホらしくなってしまい、思わず笑う。
「いいじゃんいいじゃん。笑えるじゃん」
「もう……おまえのアホな顔見てたら笑えてきたんだよ」
「なんだよ。おまえも笑える顔してるぞ。涙の跡でぐちゃぐちゃで、笑える」
「失礼だな!」
そして、二人して顔を見合わせ、また大きな声で笑った。
「何やってんだ、HR始まってるぞ!」
その声を聞いてか、階段の下から先生の声がする。
それでも、僕らの笑い声は止まなかった。
『涙の跡』
「どうして長袖を着ているの?」
真夏の、暑い日差しの中、そう尋ねられた。
その質問が飛んでくるのもわかる。最近の異常気象。到底こんな長袖じゃやっていけない。
「日焼けしたくないので……」
それに対して、いかにもな理由をつけて返す。
相手は納得してくれたようだ。
真夏の、涼しい部屋の中、また同じ質問が飛んでくる。
「どうして長袖を着ているの?」
その質問には、もう慣れている。
「冷房が苦手で……」
一年中長袖を着ている私を不思議がる人はたくさんいる。大抵、こんな理由を伝えれば納得してくれる。
でも本当は、半袖が着られないだけだ。
よくある話だ。長袖の下には、見せられない痛々しい傷痕が残っている。
その時は苦しみから逃れる為に。後先のことなんて考えず、傷を付けた。後先のことなんて、考える必要もなかった。すぐにでも終わらせたかったから。
でも、思っていた以上に、その先は長かった。
そして、夏がこんなに暑くなるとも思っていなかった。
本当は半袖だって着たいけれど、あの時の私がそれを許してくれない。まるで苦しみから逃れるのが罪のように。今の私だけが楽になれると思うな、と。
いつか許される日は来るだろうか?
この傷痕が消えて、また半袖が着られる日を願っている。
『半袖』