『あの子海外に行っちゃうって!』
仲間からメッセージが飛んでくる。それに『知ってるよ』と一言だけ返す。
続けて、他の人からも同じようなメッセージが飛んできた。
『海外行くってマジ?』
『寂しいね』
『いいの?』
なんでみんな俺にメッセージを送ってくるんだ。本人に送ればいいじゃないか。あと『いいの?』って何が?
少し前にそのことは聞いていた。
一緒に晩ご飯に行っていた時だ。親友である彼女が「海外に行くんだー」と何でもないことのように言った。
「へぇ、いいじゃん。どれくらい?」
「うーん、わかんない。一生……?」
その返答に椅子から転げ落ちそうになった。
そんな様子を悟られないように心を落ち着けて、極めて冷静に――
「『一生』って何!?」
――冷静にできていたかは置いておく。
どういうことかと彼女に問い詰める。
「んー。世界を回って、いろんなところでいろんな経験してみたいなって思ったの。だから、どれくらいかわかんない。飽きるまで!」
「そうなんだ……」
寝耳に水。青天の霹靂。
少なからず――いや、大いにショックを受けている。そりゃそうだ。親友なんだから。親友が遠くに行ってしまったら寂しい。
「応援してくれるよね?」
彼女が笑顔で言う。
「もちろん。応援するよ」
親友だからね――と、なんとか笑って返した。
そして帰り道。
「お土産買ってくるねー!」
「おー楽しみにしてるわ」
終始楽しそうな君。
そんな君に対して「行くな!」なんて言えるはずもない。恋人でもあるまいし、そんな資格はない。
仮に、もしも君を引き止めたとして、きっと君は行ってしまうだろう。知っている、君はそういう人だって。自分の決めたことは貫き通す、真っ直ぐな人だって。
前を歩く君の背中を見つめる。
その背中が、遠くで輝く明かりに滲んで、このまま本当に消えていきそうだ。
君がくるっとこちらを振り返った。
「え、泣いてんの!?」
「泣かねーよ!」
そこで初めて気付いた、涙が零れていることに。
いや違う。これは汗だ。額から流れる汗とかに違いない。まだ冬で寒いけど。
「かわいい奴〜」
君が俺の頭をわしゃわしゃと力いっぱい撫でる。
「泣かないでよ。死ぬわけじゃないんだから。こっちでもやりたいことあるし、飽きたらすぐまたあなたのところに帰ってくる。そしたらまた一緒に遊ぼ!」
「だから泣いてねーって」
涙を拭いながら言う。全くもって格好がつかない。
本当は、笑いながら送り出したい、大切な君を。でも、今はまだ心の整理がつかない。
「じゃあ、次会う時は笑顔で頼むわ」
「おう。任せとけ」
ぐしゃぐしゃな顔のまま、サムズアップで君を送り出す。
こうして、君とこの国での最後の日が終わった。
「今日旅立っちゃうんでしょ? 見送り行かなくていいの?」
仲間にそう聞かれた。
「大丈夫。今はまだ」
大分整理がついたとはいえ、あの日思わず泣いてしまったことへの恥ずかしさは消えていない。だから、今はまだ会うのは憚られる。それに、仕事もあるし、無理して会いに行くこともない。
だって、あの日君は言っていた。「すぐまたあなたのところに帰ってくる」と。だからその時まで、ほんの少しの「さよなら」だ。
次会った時は、絶対に泣かない。約束通り笑顔で迎えるよ。
そう君を想って空を仰いだ。
『泣かないよ』
深夜の廃墟を君と一緒に回る。
「怖い」と言いながら抱き着いてくる君の頭を撫でながら、「大丈夫だよ」と余裕を見せつける。
俺は深夜の廃墟も平気だけど、君は怖がりだね。そんな君がかわいい。
昔は悪友達と廃墟に忍び込んで遊んでいたもんだ。深夜に肝試しもしたりしていた。楽しかったな。誰も来ないし、悪いことをするのにも丁度良かった。
だから、慣れていたし、今まで実際にそういう目に遭ったことがないからなのか、なんでこれで怖いのかわからない。
「怖いよ」
君が震えている。
怖がらせてしまって悪かったな。俺の趣味に付き合わせてしまった。
――そういえば、なんでここに来たんだっけ?
あぁ、そうだ。ドライブ中にたまたま廃墟を見つけたんだった。最近は大人になってしまったからか、廃墟に忍び込むなんてもう随分としていなかったし、懐かしくなってつい「一人でも」と立ち寄ってしまったんだった。
「絶対に離れないでね」
怯える君がかわいいことを言ってくる。
「怖がらせてごめんね」
安心させようと君を胸に抱き締める。手にぬるりとした何かが触れる。手に着いたそれは赤黒く、生臭かった。
そこで気付いてしまい、立ち止まる。
――ところで『君』って誰だっけ?
背筋に一筋の冷たい汗が流れた。
『怖がり』
綺麗な物が好きなその子は、宝箱いっぱいに、きらきらと輝く物を詰め込んでいました。
磨いたコイン、桜色の貝殻、紅葉の葉っぱ、クリスマスのオーナメント、色ガラスの破片、花を閉じ込めたレジン……。
たくさんたくさん詰めて、蓋が閉まらないくらいに。
その大切な物がいっぱい溢れた宝箱を大事に大事に抱えて、嬉しそうに笑いながら駆け回っていたら、足がもつれて転んでしまいました。
宝箱はひっくり返り、中身は零れて、遠くまでばらばらと散っていってしまいました。
その子は悲しくなってたくさんの涙を流しました。
そして、そのきらきら輝く宝物ときらきら輝く涙は、空に広がって星になり、星空を作りました。
その子が好きだった綺麗な物は、人々を楽しませるみんなの宝物になりました。
『星が溢れる』
朝早く起きて、ご飯を食べる暇もなく出勤して、仕事して、理不尽なことで上司に怒られて、昼食取りながら修正して、残業して、夜遅くに会社を出て、コンビニでご飯を買って、家に帰って、買ったご飯を食べて、風呂で寝落ちて、寒くなって目が冷めて、布団に入って、ようやく寝る。
そんな日々の繰り返しで、自分が何の為に生きているのかわからなくなった。
そんな頃、いつもと少し違う日があった。
会社を出て駅へ向かう途中に、怪しげな女の人がニコニコ笑いながら立っていた。女の人の隣にいたおばさんが「あなた、不幸そうね」と私に言ってきた。気分が悪い。
無視をして通りすがろうとしたら、そのおばさんが私の腕を掴んできた。
「何するんですか!」
「あなた、運気が下がっているわ。幸せになりたいでしょ? これ読んでみて」
おばさんが冊子を渡してきた。表紙には『風水で幸せになる』と書かれていた。胡散臭い。
ふと顔を上げると、隣でニコニコ笑っているだけの女の人と目があった。女の人は益々笑顔になった。穏やかな笑顔だ。
「なんと、今ならこちらの先生が直々に風水のことをお話してくださるわ。どう? こんなところで直接お話してくださる機会なんて滅多にないわよ!」
『先生』と呼ばれた彼女が、私の頭に優しく触れた。
「毎日頑張っているんですね。偉いですね」
とても優しい声色で私に語り掛ける。その瞳は穏やかで、何もかも見透かしているような、そんな眼差しをしていた。
頑張ることは当たり前だ。頑張らないと何もできない。それなのに、それだけの私を褒めてくれた。偉いと言ってくれた。それだけで、全てが満たされた気がした。独りでに頬を涙が伝っていく。
「大丈夫。これであなたも幸せになれます、必ず」
全てを包み込むような温かい声が響く。安らかな瞳で、私の心に訴え掛ける。きっとこの人は、疲れ切った私に同情した神様が遣わしてくれた存在に違いない。
そしてこの時から、私は本当に幸せになれたのだった。
『安らかな瞳』
もうどれくらい経ったのかわからないくらい永い時間、ずっとあなたの隣にいる。
あなたの隣は私だけのものだって思っている。きっとあなたも私のことを特別に想ってくれているはず。
あなたに何があっても、私は表の顔だけ見せて、優しくあなたを照らすわ。たとえ姿を見せられない日があったとしても、見せられないだけで、ずっと傍にいるのよ。
だからこれからもずっと隣にいてね。私もずっとあなたの隣にいるわ。
ほら、顔を上げて。今日もここにいるから。ずっと隣で見守っている。
『ずっと隣で』