「君って好きな人いる?」
人が少しずつ捌けていく放課後の教室、彼女の隣の席に勝手に座って、そう声を掛けてみた。
俺を怪訝そうに見ていた彼女が、途端に顔を薄い紅色に染める。
「あなたには関係ないでしょう?」
「誰か当ててみようか」
彼女のそんな返答など気にせず、笑ってその名を言ってやる。
「五組の坂崎君」
彼女は焦って俺を見る。
その顔はいよいよ真っ赤になって、声を荒らげた。
「ど、どうして……!!」
「あー、マジで当たっちゃった?」
「――~……っ!」
からかう俺が嫌なのか、無言でひたすら鞄に荷物を詰めている。
「でもさー趣味悪いよねぇ。坂崎君ってさ、噂によると何股もしてるっていうじゃない? 君もそのうちの一人になりたいわけ?」
刺激するように続ける。
彼女がこちらを向いた。
「変なこと言わないでよ! あなたがあの人の何を知っているっていうの!?」
「君よりは知っているつもりだけどな。男の間では有名だけど? 女の間ではどう王子様に映ってるか知らないけどさ」
「もういい! 私、もう帰るんだから!」
鞄を持ち上げ教室の扉へと向かおうとする彼女の腕を、掴んだ。
「何……!?」
怒った様子で振り向く彼女の唇を、出し抜けに塞ぐ。
――間。
「……なっ、何するの!?」
「君は、そいつと付き合いたいの? 付き合って何をしたいの? こういうことがしたいの?」
いつの間にか二人きりの教室で、静かに彼女を抱き寄せた。
「――…………っ!!!! ……っ!!」
彼女の抗議の声も耳の奥まで届かない。
ただ、俺の呪縛を必死に振り解こうとする、その表情から伝わってくる。
そう、それでいい。
――あぁ、その君の嫌そうな瞳。
もっとずっと近くで見ていたいんだ。
『欲望』
逃げ出した。
きっと疲れていたんだ。
いつも通り出勤していた。なのに、会社の最寄駅に着いたっていうのに、足が動かないんだ。
「いきたくない」
そのまま、電車のドアは閉まり、こんな自分を乗せたまま進んでいく。
……どこに行くんだろう?
どうしよう。今引き返せばまだ間に合う。でも、体が、心が、行きたくないと言っている。
なら、もういいや。このまま、行けるところまで行ってやろう。電車に乗って、どこまでも。
こうして、初めて無断欠勤をしてしまった。
窓の外の景色は、都会から少し田舎へと姿を変えていく。
終点まで来て、僕は電車を降りた。
さっきからスマホが鳴りっぱなしだ。スマホの電源を切ると、辺りを散策してみることにした。
個人経営だろう店が駅前にぽつんとある。しかし、まだ開店していない。他の店は見当たらないし、少し先は閑静な住宅街といったところか。どうしようかな。
適当に少し歩くと、見たことないローカル線が走っていた。
今度はそれに乗って、行けるところまで行ってみることにした。こんな行き当たりばったりの旅も楽しいね。
列車に乗って、どこまでも。僕の心が晴れるまで。
『列車に乗って』
会社へ向かう電車に揺られる。たくさんの人にぎゅうぎゅうと押し潰される。息苦しさを感じながら窓の外へと目をやる。流れる景色を見ながら「なんでこんなことをやっているんだろう」と、ふと思う。
遠くの建物を見て、あれが何の為の建物なのか想像してみる。答えはわからないけど。
あれは何だろう。近くで見てみたいな。それよりも、もっと遠くへ行ってみたい。この窓の外よりもっと向こうへ。もっと遠くへ。
会社の最寄駅に着いても、このまま乗り続けていたとしたら、一体どこへ行けるんだろうか。そういえば、試してみたことはなかった。
たまにネットで綺麗な風景写真を見ては、行ってみたいなぁなどと思ってみたりもするが、実際に行ったことはない。結局、一歩踏み出す勇気がないのだ。
大人になって、自分で稼いで、行動範囲も広がって。行こうと思えばどこへでも行けるはずなのに。子供の頃の方がずっと自由にどこへだって行けた。その事実が、無性に悲しくなった。
そして、決めた。
気付けば会社の最寄駅。すぐさまスマホを操作し始めた。
この間ネットで見たあの街へ、今度こそ行こう。次の休みに行こう。泊まりたいと思っていたホテルに泊まろう。
自由って、踏み出してしまえば、こんなに簡単なものだったんだと気付いた。
早速予約を終えると、軽くなった心で会社へ向かった。
『遠くの街へ』
いつものように朝を迎えて、出勤の為、アパートの部屋の扉を急いで開けた俺の目の前に、それはそれは美しい妖精が現れた。
そんなことが現実に起き得るわけがない。もしかして未だ夢の中にいるのかと、頬を抓ってみたが……痛い。
突然の出来事に、何が起こったか把握するまで五分ほど。阿呆のように妖精を見つめていると、妖精が口を開いた。
「いつもお仕事にお疲れのあなた。そんながんばっているあなたに、ご褒美として私の国へ連れていってあげましょう」
次の瞬間、辺りが光に包まれ、気付けば見たこともない場所にいた。そこは色とりどりの花が咲き乱れ、この世の物とは思えない美しさだった。
先程の妖精に導かれ、俺は美しい宮殿へとやって来た。
宮殿では、食べたこともない変わった、けれども、頬が落ちそうになるくらい美味しい食事を食べさせて貰い、美しい妖精達の見事なダンスまで見せてもらった。
ふと腕時計を見てみれば、あれから二時間以上も経っている。
「そろそろ帰らなければ。今日も仕事があるんです」
妖精達は寂しそうな顔をして「もう少しだけ待ってください」と私に告げ、どこかへと行ってしまった。
そのまま待つこと十分ほど。
「これは私達からのプレゼントです。どうぞ受け取ってください」
浦島太郎であれば、この箱を開くと老人になってしまう。開けてしまって良いものか。五分ほど悩んでいたが、意を決してその箱を開いた。すると、この世界に来た時と同じように眩い光に包まれ、気付けば自分の部屋に戻ってきていた。
急いで仕事に向かわなければ!
家を飛び出し駅へと向かっていると、なんだか周りの視線が痛い。駅のトイレへ駆け込み鏡を見ると、なんと、私は王子様のようなタキシードを身に纏っていたのだった。
もしかしてプレゼントというのは家に帰してくれることではなく、このタキシードのことだったのかこれが……そんなことを考えながら、慌てて家にとんぼ帰りをし、スーツに着替え、また駅に向かうのに三十分。
ようやく、会社へと向かう電車に乗り込むことが出来たのだった……。
――とかいう出来事が、この三時間近い遅刻の言い訳にならねーかなー。なるわけねーよなー。現実逃避の単なる妄想だしなー。マジでこんな風に誰かご褒美くんねーかなー。
知ってる知ってる。現実は甘くない。
『現実逃避』
君は今どうしているだろうか。
美味しい物を食べている? 外を駆け回っている? ひなたぼっこをしながら眠っている? それとも――?
そこはきっとお日様が近いだろうから、ひなたぼっこするには最適だろうな。駆け回るにはふわふわしていて、やりにくいのかも。
君と離れてしまってもう随分と経つ。
最初は夢に遊びに来てくれていたのに、もうすっかり姿を見せなくなってしまったね。
もしかして、もうそっちにはいないのかな?
だとしたら、またどこかで逢いたい。いつか新しい姿の君と出逢って、笑い合いたい。
でも今は、君がどこでもいいから、幸せでいてくれるならそれでいい。それだけを願っている。
『君は今』