バイトの最終日に、出入口で待ち伏せしていた先輩に花束を渡された。
彼女はそれを、作り笑いを浮かべながら受け取った。
家に帰ると、花束を見た母親は「綺麗だね」と花瓶に生けた。娘の恋人が気に入らない父親は「おまえの彼氏よりいいんじゃないか」と言った。
たしかに、先輩の好意は知っている。わかりやすかったからだ。
しかし、必要に駆られ連絡先を交換したところ、すぐに返信を返さないと病んだメッセージを送ってきて、挙げ句の果てにはリストカットの写真を送ってこられ、もう関わりたくないと思っていた。そんな個人的な話を、親に話すつもりもなかった。
だから、親の言葉にも苦笑いだけ浮かべて返した。
花はいつか散るもので、しかしまさか、彼女自身の花を散らすとまではその時は思っていなかった。
『花束』
「スマイルください」
店に入ってきた男はカウンターの前に立つ無愛想な店主らしき男にそう言った。
「スマイルだけですか? 他の商品もいかがでしょうか――」
「スマイルだけでいい」
店主に聞かれ、男は遮るようにそう返す。
店主は一瞬悲しみを含んだような、そんな表情を見せたが、すぐにいつもの無表情に戻ると会計を始めた。「スマイル一つ100万になります」
支払いを終えた男は受け取ったそれをすぐに装着し、嬉しそうに店を出て行った。
その数日後、近所の男が自殺したらしいという噂が入ってきた。
「……いくら笑顔でいれば世の中を生きやすいとは言っても、本音を隠して笑顔だけでいるのは、抱えた苦しみを誰にも気付いてもらえず、辛さは増すばかりなんですよ」
店主は今日も店に立つ。いろんな表情の仮面を並べて。
『スマイル』
どこにも書けないことはどこにも書けないことだからどこにも書けないよ。
『どこにも書けないこと』
俺には時間を止める能力がある。
まだ長い時間を止めることはできないが、たぶん数秒は止めることができる。
なぜわかったのかというと、何気なく時計を見た時のこと。その瞬間だけなぜか、針が、本来は一秒一秒動くそれが、しばらく動かなかったのだ。その時は気のせいかと思ったが、それ以降も、時計を見てみれば必ず針がしばらく止まっていることに気付いた。つまり時間が止まるのだ。
この能力をどうしよう。練習して、もっと長い時間止められるようにしよう。でも、なかなか上手くいかない。もっと止められるようになったら、みんなに自慢しよう。それまでは俺だけの秘密だ。
でも、とうとう我慢できなくなって、母ちゃんに言ってしまった。
母ちゃんは言った。
「それはクロノスタシスだね」
クロノスタシス!
それがこの能力の名前なのか。もしかして、これは我が家に代々伝わる能力なのだろうか。
母ちゃん、俺、頑張ってこの力を使いこなせるようになるよ。
『時計の針』
一滴、一滴。
「うざい」
「きも」
ぽたり、ぽたり、と。
「悩みなさそうでいいね」
「そんなんじゃやってけないぞ」
少しずつ少しずつ、グラスの縁すれすれまで。
「○○って本当に馬鹿だな」
「おい、この××××××」
ストレスという名の雫を溜めながら、気持ちを抑えて。
「△△△△」
「○○、××××――」
表面張力で、溢れるギリギリまで笑っている。
「――」
決壊まで、あと――
『溢れる気持ち』