「もうすぐ卒業だなぁ」
高校三年の三学期。なんとか受験も終わり、久しぶりに登校した登校日。彼と二人きりの、放課後の教室。
いろんな想いが籠もっているのか、それとも何も感じていないのか。彼がぽつりとそう呟いた。
「そうだね……」
私はバッグから小さな花束を渡した。
「あげるよ」
青い小さな花。
私の好きな花。
「おー。さすが園芸部。ありがとう」
嬉しそうに受け取ってくれた。
「これ、知ってる。あれだろ、よく外で見る……オオイヌノフグリ!」
全然違い過ぎて笑った。
オオイヌノフグリって、たしかに青くて小さなかわいらしい花だけど。それに対して名前が酷過ぎる花だけど(犬のピ――)。
「違うよ。勿忘草」
「あ、聞いたことある。『私を忘れないで』って花言葉のやつだ。へーこれが」
彼は笑いながら私の頭にぽんと手を置いた。
「安心しろよ。ぜってー忘れねえって」
その言葉に、私も笑顔になった。
……でもね。
勿忘草の花言葉は確かに『私を忘れないで』だけど、青い勿忘草の花言葉は『真実の愛』や『誠の愛』なんだよ。
『勿忘草(わすれなぐさ)』
「ブラコンが欲しい」
息子がそう言った。
ブラコン?
ブラザーコンプレックス?
いや、さすがにわかってますよ。
ブラコンじゃなくてブランコね。子供特有の言い間違いね。
一生懸命作ったよ。
庭にある木に、ロープと板を括り付けて。パンダが遊ぶようなあんなものじゃない。ちゃんとした、立派なブランコだ。
息子に自慢気に見せた。
どうだ。これがお父さんが作ったブランコだ。君の為に作ったブランコだ!
「違う! ブラコンなの!」
違う!? ブラコンなの!?
あれか? 兄弟が欲しい的なことだったのか!?
よくよく話を聞いてみれば、ブラックコンテンポラリーという音楽のジャンルがあるらしく、その音楽が聴きたい。という意味だったらしい。どこで知ったんだそれ。
わかるかぁー!!
顧客が本当に必要だったもの。
その通りのものを用意するのって、本当に難しい……。
『ブランコ』
昔々世界を支配しようとする悪い魔王がいました。
人間達は力を合わせ戦いました。
しかし、魔王は強く、なかなか倒せません。
ある日、人間の中でも特別な力を持った勇者が魔王を倒す為に旅に出ました。
そして見事、魔王を討ち取ってくれました。
旅路の果てに見た景色は、それはとても美しかったと言います。
こうして、世界に平和が訪れました――……
と思う?
力を合わせていた人間達は、その目的がなくなった途端、敵対し始めました。
自分の土地以外も欲しくなってしまったのです。
醜く殺し合い、人間達こそが魔物になってしまいました。
勇者が見た旅路の果ての、その先にあったものは、醜い世界でした。
その後、世界に新たな魔王が現れました。
それは、元来勇者と呼ばれていた人間でした。
世界に平和を取り戻す為に、人間達の気持ちをまとめる為に、勇者は魔王であり続けることを誓ったのでした。
『旅路の果てに』
い、言っちゃったー!
彼と離れた後、私は自室のベッドに潜り込むと、真っ赤になった顔を枕に埋め足をばたつかせた。
いつも一緒に歩く学校からの帰り道。まさか彼が告白してくれるなんて思ってもいなかった。
だって、最初はあまりにもタイプが違うと思っていたから。きっと好きになったり、好きになってくれることなんてないと思っていた。
「好きだ」
彼の言葉が頭の中でリフレインする。
嬉しい。
でも上手く言葉が出てこなくて、ようやく返した言葉が「月が綺麗ですね」だった。「好き」という直接的な言葉を口に出すの恥ずかしかった。どちらも意味は同じだけど。
――待って。
ばたつかせていた足をぴたりと止めた。
――あれ? 彼、「月が綺麗ですね」の意味知ってるかなあ!?
最近一緒に勉強するようになって彼も成績は上がってきたけど、でも、この言葉にこめられた意味なんて知らない可能性は大いにある。
もしかしたら突然関係ないことを話し始めるやばい人って思われたかも! しかも今日は曇ってて月も出てないし。
一抹の不安を抱え、その日は眠りについた。
そして翌日。
登校直後、下駄箱で彼にばったりと出くわした。
「あ、お、おはよ……」
そう挨拶をしようとしたが、彼は顔を逸らすと逃げるようにすぐさまどこかへ言ってしまった。
――やっぱり伝わってない!? やばい人だって思われてる!?
逃げられたことによるあまりのショックに、私はふらつきながらもなんとか教室に辿り着いた。
しかし、同じクラスのはずの彼は教室にいなかった。
そしてそのまま朝のHRの時間になっても、彼は戻ってくることはなかった。
どこ行っちゃったんだろう……。やっぱり、私のせいなのかな?
居ても立ってもいられなくて、HRが終わると同時に、私は教室を飛び出した。
一つだけ心当たりがあった。
私達が初めて出会ったのは、学校の屋上だった。
ある日の昼休み。サボっていた彼は屋上で寝ていて、私はその日友達と喧嘩してしまって、一人でお昼ご飯を食べる場所を探していた。
気が向いた時くらいしか学校に来ないような不良だったし怖い人だと思っていたのに、話してみれば面白くて。気付けば、友達と仲直りした後でも、時々屋上で一緒にお昼を過ごすようになっていた。
そのうち彼はちゃんと学校に来るようになって、私はそんな彼に勉強を教えてあげたりして、教室でも一緒にいるようになった。
そんな毎日が楽しかった。
彼が好き。
この気持ちを、あなたに届けたい。
屋上のドアを開けると、彼があの日のようにそこで寝ていた。
そっと彼の横に座り、顔を覗き込む。
彼がゆっくりと目を開けた。
「わっ!?」
驚いた彼は慌ててその場から離れようとした。
そんな彼に向かって尋ねる。
「夏目漱石って知ってる?」
「え?」
彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしながらこちらを振り向いた。
「えっと、昔の千円札の人?」
あ、それは知ってるんだ。私達が産まれた頃くらいまでしか発行してなかったみたいだけど。
「小説家の、本を書いてた人なんだけど……」
「わかった。銀河鉄道の夜だ」
「それは宮沢賢治」
彼が私の横に座り直した。
「そろそろ授業始まる時間だけど、ここにいていいのか?」
「そっちこそ」
「俺はいいんだよ。よくあることだし」
「よくないよ。一緒に戻らないと。でも、それよりも、どうしても伝えないといけないことがあって」
昨日の言葉の意味を、ちゃんとこの気持ちを伝えないと。
「あのね、夏目漱石には逸話があって……」
「イツワ?」
「夏目漱石が昔、英語教師をしてた時にね、翻訳した言葉があって……その……あいら……っ!」
そこまで言って急に恥ずかしくなり、真っ赤になって逃げ出した。
――だって、これって完全に告白じゃん。いや、元々そのつもりだったんだけど! それは、そうなんだけど!
「私死んでもいいわー!」
「死ぬな!?」
きっと余計に訳がわからないだろうな。
「月が綺麗ですね」も「私死んでもいいわ」も、全部全部……!
屋上を飛び出したところで、すぐさま彼に背中から抱き締められるように捕まった。
「今、スマホで『夏目漱石』『いつわ』って調べたんだけど……」
「調べるの早いね……」
「……『月が綺麗ですね』って、あ、『I love you』の訳だって、本当?」
「え、えっとね、本当はそんなこと言ってないって説もあるんだけど……!」
振り返るとそこには、真っ赤になりながらも真剣な顔をした彼がいた。
それを見て、私も真っ赤な顔のまま、観念して頷いた。
『あなたに届けたい』
俺は単純な奴で、よく一緒にいる彼女のことを、いとも簡単に「好きだ」と思ってしまったんだ。そう思ったらまっすぐにその言葉を伝えたくてしょうがない。本当に馬鹿で単純なんだ。
彼女は俺とは反対に成績も上位の賢い人。こんな俺のことをどう見てくれてるかなんてわからないけど、たくさん話すし、いつも一緒に帰るくらいには仲良くしてくれてる。……ねぇ、俺、これ、いける?
ある日の帰り道。
空はどんより曇り空。いつもなら綺麗な夕焼けが見えていて、きっともうすぐそれも終わってしまうくらいの頃。
俺は意を決して告げてみた。
「好きだ」
だって、それはたった三文字の、簡単な言葉だ。
俺はただそれをすぐに伝えたかっただけで。伝えたかったのは、その三文字すら俺の心には収まりきらなかったからで。彼女のことなんてまったく考えてない、自己中心的な行動かも。
俺は自分のことばっかりで、都合のいい考えをしてしまって。でもさ、だからさ、やっぱり少しは脈はあるんじゃないかって期待してしまってたりもするわけだ。君だって俺のこと好きなんじゃないかって。自信過剰?
そんな風にぐるぐるぐるぐる、頭をいろんな想いが巡る。
彼女は何も言わない。歩みだけを進めてく。
静寂が続く。この空気、耐えられない。いつもなら会話がなくても一緒にいるだけで楽しいのに。まぁいつもすぐ俺が喋り出してしまうんだけど。
でも、だって、恥ずかしい! この三文字を伝えるって行動は、思ってたよりもずっと恥ずかしかった。全身が火照っている。
「あー……」
沈黙に耐えられなくなって、会話を再開させたのは結局俺からだった。
「えっと……あの……」
とはいえ、何か言おうと思いつつも、全く言葉は出てこなかったんだけど。
そんな俺に、彼女は一言だけ、俯いたまま言った。
「月が綺麗ですね」
…………はい?
なんだそれ? 月とか、今はそんなことどうでもいいだろ。俺が言った言葉はスルー? スルーなの? 返事は!? いや、別に俺だって深く考えずに言っちゃって、付き合ってくれ! とかまで言ってないけど。でも、さすがにちょっと寂しいだろ!? 俺のこと、好きなの嫌いなの!? どっちなの!?
「あの……っ!」
思わず抗議でもしようとした時、彼女の家に着いてしまった。
彼女はもうこっちすら見ず、何も言わずに家の中へと入っていった。
え、えー…………?
これって、まさか失恋? やべ、ちょっと涙が……。
俺は涙が零れないように、空を見上げた。
空は曇っていて、今にも雨が降り出しそう。まるで俺の心を表しているかのようだった。
『I LOVE...』