い、言っちゃったー!
彼と離れた後、私は自室のベッドに潜り込むと、真っ赤になった顔を枕に埋め足をばたつかせた。
いつも一緒に歩く学校からの帰り道。まさか彼が告白してくれるなんて思ってもいなかった。
だって、最初はあまりにもタイプが違うと思っていたから。きっと好きになったり、好きになってくれることなんてないと思っていた。
「好きだ」
彼の言葉が頭の中でリフレインする。
嬉しい。
でも上手く言葉が出てこなくて、ようやく返した言葉が「月が綺麗ですね」だった。「好き」という直接的な言葉を口に出すの恥ずかしかった。どちらも意味は同じだけど。
――待って。
ばたつかせていた足をぴたりと止めた。
――あれ? 彼、「月が綺麗ですね」の意味知ってるかなあ!?
最近一緒に勉強するようになって彼も成績は上がってきたけど、でも、この言葉にこめられた意味なんて知らない可能性は大いにある。
もしかしたら突然関係ないことを話し始めるやばい人って思われたかも! しかも今日は曇ってて月も出てないし。
一抹の不安を抱え、その日は眠りについた。
そして翌日。
登校直後、下駄箱で彼にばったりと出くわした。
「あ、お、おはよ……」
そう挨拶をしようとしたが、彼は顔を逸らすと逃げるようにすぐさまどこかへ言ってしまった。
――やっぱり伝わってない!? やばい人だって思われてる!?
逃げられたことによるあまりのショックに、私はふらつきながらもなんとか教室に辿り着いた。
しかし、同じクラスのはずの彼は教室にいなかった。
そしてそのまま朝のHRの時間になっても、彼は戻ってくることはなかった。
どこ行っちゃったんだろう……。やっぱり、私のせいなのかな?
居ても立ってもいられなくて、HRが終わると同時に、私は教室を飛び出した。
一つだけ心当たりがあった。
私達が初めて出会ったのは、学校の屋上だった。
ある日の昼休み。サボっていた彼は屋上で寝ていて、私はその日友達と喧嘩してしまって、一人でお昼ご飯を食べる場所を探していた。
気が向いた時くらいしか学校に来ないような不良だったし怖い人だと思っていたのに、話してみれば面白くて。気付けば、友達と仲直りした後でも、時々屋上で一緒にお昼を過ごすようになっていた。
そのうち彼はちゃんと学校に来るようになって、私はそんな彼に勉強を教えてあげたりして、教室でも一緒にいるようになった。
そんな毎日が楽しかった。
彼が好き。
この気持ちを、あなたに届けたい。
屋上のドアを開けると、彼があの日のようにそこで寝ていた。
そっと彼の横に座り、顔を覗き込む。
彼がゆっくりと目を開けた。
「わっ!?」
驚いた彼は慌ててその場から離れようとした。
そんな彼に向かって尋ねる。
「夏目漱石って知ってる?」
「え?」
彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしながらこちらを振り向いた。
「えっと、昔の千円札の人?」
あ、それは知ってるんだ。私達が産まれた頃くらいまでしか発行してなかったみたいだけど。
「小説家の、本を書いてた人なんだけど……」
「わかった。銀河鉄道の夜だ」
「それは宮沢賢治」
彼が私の横に座り直した。
「そろそろ授業始まる時間だけど、ここにいていいのか?」
「そっちこそ」
「俺はいいんだよ。よくあることだし」
「よくないよ。一緒に戻らないと。でも、それよりも、どうしても伝えないといけないことがあって」
昨日の言葉の意味を、ちゃんとこの気持ちを伝えないと。
「あのね、夏目漱石には逸話があって……」
「イツワ?」
「夏目漱石が昔、英語教師をしてた時にね、翻訳した言葉があって……その……あいら……っ!」
そこまで言って急に恥ずかしくなり、真っ赤になって逃げ出した。
――だって、これって完全に告白じゃん。いや、元々そのつもりだったんだけど! それは、そうなんだけど!
「私死んでもいいわー!」
「死ぬな!?」
きっと余計に訳がわからないだろうな。
「月が綺麗ですね」も「私死んでもいいわ」も、全部全部……!
屋上を飛び出したところで、すぐさま彼に背中から抱き締められるように捕まった。
「今、スマホで『夏目漱石』『いつわ』って調べたんだけど……」
「調べるの早いね……」
「……『月が綺麗ですね』って、あ、『I love you』の訳だって、本当?」
「え、えっとね、本当はそんなこと言ってないって説もあるんだけど……!」
振り返るとそこには、真っ赤になりながらも真剣な顔をした彼がいた。
それを見て、私も真っ赤な顔のまま、観念して頷いた。
『あなたに届けたい』
俺は単純な奴で、よく一緒にいる彼女のことを、いとも簡単に「好きだ」と思ってしまったんだ。そう思ったらまっすぐにその言葉を伝えたくてしょうがない。本当に馬鹿で単純なんだ。
彼女は俺とは反対に成績も上位の賢い人。こんな俺のことをどう見てくれてるかなんてわからないけど、たくさん話すし、いつも一緒に帰るくらいには仲良くしてくれてる。……ねぇ、俺、これ、いける?
ある日の帰り道。
空はどんより曇り空。いつもなら綺麗な夕焼けが見えていて、きっともうすぐそれも終わってしまうくらいの頃。
俺は意を決して告げてみた。
「好きだ」
だって、それはたった三文字の、簡単な言葉だ。
俺はただそれをすぐに伝えたかっただけで。伝えたかったのは、その三文字すら俺の心には収まりきらなかったからで。彼女のことなんてまったく考えてない、自己中心的な行動かも。
俺は自分のことばっかりで、都合のいい考えをしてしまって。でもさ、だからさ、やっぱり少しは脈はあるんじゃないかって期待してしまってたりもするわけだ。君だって俺のこと好きなんじゃないかって。自信過剰?
そんな風にぐるぐるぐるぐる、頭をいろんな想いが巡る。
彼女は何も言わない。歩みだけを進めてく。
静寂が続く。この空気、耐えられない。いつもなら会話がなくても一緒にいるだけで楽しいのに。まぁいつもすぐ俺が喋り出してしまうんだけど。
でも、だって、恥ずかしい! この三文字を伝えるって行動は、思ってたよりもずっと恥ずかしかった。全身が火照っている。
「あー……」
沈黙に耐えられなくなって、会話を再開させたのは結局俺からだった。
「えっと……あの……」
とはいえ、何か言おうと思いつつも、全く言葉は出てこなかったんだけど。
そんな俺に、彼女は一言だけ、俯いたまま言った。
「月が綺麗ですね」
…………はい?
なんだそれ? 月とか、今はそんなことどうでもいいだろ。俺が言った言葉はスルー? スルーなの? 返事は!? いや、別に俺だって深く考えずに言っちゃって、付き合ってくれ! とかまで言ってないけど。でも、さすがにちょっと寂しいだろ!? 俺のこと、好きなの嫌いなの!? どっちなの!?
「あの……っ!」
思わず抗議でもしようとした時、彼女の家に着いてしまった。
彼女はもうこっちすら見ず、何も言わずに家の中へと入っていった。
え、えー…………?
これって、まさか失恋? やべ、ちょっと涙が……。
俺は涙が零れないように、空を見上げた。
空は曇っていて、今にも雨が降り出しそう。まるで俺の心を表しているかのようだった。
『I LOVE...』
田舎の村さ住んでるおらは、都会の街にある高校受験する為さバスさ乗った。
街さ行ぐなんて初めでの出来事。しかも一人だ。もうこれは一づの冒険だ!
わぐわぐど不安抱えでバス降り、電車さ数十分揺られるど、見だごどもねえ高え……何あれ? あれがビル? 高過ぎる。そだ高えビルが建ぢ並ぶ街へど降り立った。
こだ高え建物、倒ぼっこしたらどうなっちまうんだべー。おっかねえ。
そだ風さキョロキョロ辺り見回しつづ、少し歩ぐど良い匂いが漂ってぎだ。どうやら飲食街のようだ。そういえばドキドキしてで朝ご飯食べるのすら忘れでだ。
見だごどもねえメニューが並ぶ店さ入る。そういえば、一人で外食するのなんて初めでだ。ますますドキドキしてぎだ。
「イラッシャイマセー」
なんだが片言の外国人が声掛げでくる。
とりあえずメニュー指差す。暫ぐするど料理が運ばれでぎだ。正直、んめぇのがはわがらねがった。
店出るど、ホテル探し始めだ。
受験自体は明日で、今日はホテルさ泊まり混みで勉強するんだ。あど、受験会場も確認しておがねえど。ホテルの近ぐさあるらしいがら、そらほど見づげんのは難しくねえどは思うげんとも。
親さ渡されだ地図見る……雑でよぐわがらねがった。
仕方なぐ、周りの人さ声掛げるごどにする。
「あのー……すまねえ」
「Ce qui s'est passé?」
「え! えっと……!」
やばい。外国人だ。何言ってるがわがんねえ。
「えっと、えっと……すまねえー!」
おらはダッシュで逃げ出した。名も知らぬ外国人さんごめんなーい!
暫ぐ歩って、余計さ場所がわがらなぐなった。
今度ごそ日本人さ話し掛げっぺ。
「あ、あの、すまねえ……」
「什么? 我现在很忙!」
まだ日本人でねがった……アジア人だげんとも、間違えだ……。
「すまねえでしたー!」
そしてまだ逃げ出した。
なんでこらほど外国人がいんの? はっ! もしかして、都会は外国人さ乗っ取られぢまった!? おっかねえ。
「よぉ、姉ちゃん。なんかお困りかい?」
日本語だ!
振り返るど、そごさはスーツ着でサングラス掛げだ強面の男の人が……。
ヤ、ヤクザだー!
殺される。わがねだ。おらには田舎で待ってる爺さまや婆さまや父っつぁまやおっかさまやポチがいんだ。死にだぐねえよー!
都会おっかねえ。もう都会になんて来ねえ!
ヤクザはおらの手がらひょいど地図取り上げだ。
「ん? このホテル行きたいんか?」
……え?
思わず顔上げ、こぐごぐど頷ぐ。
「ホテルならここだよ」
え!?
気付げば、目の前さホテルがあった。どうやら周辺ぐるぐる回っていだだげのようだ。しょうしい。
「そうかぁ、お客さんか。ようこそ、うちのホテルへ」
えぇ!?
ヤクザでねぐで、このホテルの人!?
「それでは受付へ参りましょう。お荷物お持ちします」
さっとおらから荷物受げ取るど、すたすたど前歩ぎエスコートしてくれる。
何これ、さすけねえ? 騙されでねえ? 本当は悪の秘密結社だったりしねえ?
中さ入るど、受付さ見覚えのある外国人が――。
「Ah! La personne de tout à l’heure !」
「也许你也会留在这里?」
何言ってるがわがんねえげんとも、とりあえず笑ってごまがしておぐべ。
「もしかしてあなたもそこの高校を受験するんですか?」
さっきのヤクザ……でねぐでホテルの人が訊いでくる。おらは頷いだ。
「じゃあこの二人と一緒ですね」
え! この人らも受験生!?
「エ、アンタモ!?」
「ヨロシクネー!」
アジア人が驚いだ様子でこっち見る。白人がおらの手取りぶんぶんと振ってくる。
つーが日本語話せだんかい。
「こちらが部屋の鍵です」
鍵受げ取っぺどするど、白人がそれ横がら取り上げだ。
「え、おらの鍵」
「ジャア、ミンナデベンキョウダー!」
「部屋イクヨ」
「え、え、なんで二人どもおらの部屋さ来るごどに!?」
「受験頑張って」
ヤクザみてえなホテルの人も二人を止めでくれるごどなぐ、笑顔で手振る。おらは半ば引ぎずられるように部屋へど向がった。
都会って、街って、おっかねえ。
早ぐ田舎さ帰りでえ。田舎の村でのんびりしてえ。
なんで村には高校がねえの。街まで出ねえどいげねえって本気で言ってる?
おらの初めでの冒険は、こうして始まったのだった。
『街へ』
私は他人に優しくする。
情けは人の為ならずと言うし、きっと巡り巡って自分に返ってくるはずだから。
今日も他人に親切にした。
一日一善。良い気分。
今日は面倒臭いことに巻き込まれた。
最終的に自分が被害を受けた。
笑える。いや、笑えないけど。
なんで私がこんな目に遭ってるの? 普段助けてあげてるんだから、こういう時は私の力になるべきじゃないの?
結局こうしていつも私が貧乏くじを引く。
優しくしたって意味がないと気付く。
何の為に優しくしてやってると思ってんだ。見返りを求めない優しさなんてあるわけないだろ。綺麗事で生きていけるほど世の中甘くないんだよ。
『優しさ』
深夜に首都高を駆け抜ける。車はまだたくさん走っていて、ランプの光が向こうからこちらへ、こちらから向こうへ。四方八方へと散らばっていく。
適当にラジオをつけると、誰かのトークや人気のナンバーが流れてくる。内容を聞くというよりもBGMとして流す。
真夜中0時丁度。
工場地帯に辿り着き、車から降りる。
近未来を感じさせる建物の光が幻想的な風景を生み出している。
深夜のドライブ。目的地はこの夜景。
冷たい風を感じながら、ただそれを眺める。定期的にやりたくなる趣味だ。
夜景を見ながら、仕事のこと、人間関係のこと、人生のことなんていう、途方もないことを考える。それより、明日も仕事だから、そろそろ帰って眠らないとまずい。いつも最終的にはこの考えに至り、帰り支度を始める。
まだ見ていたい気持ちも勿論ある。離れてしまうのが勿体ない。でもこの場所はなくならない、少なくともきっと何十年かは。だから、また近いうちに来ようと心に決める。
日付が変わってラジオの番組も変わっている。またそれをBGMにして、帰路につく。
『ミッドナイト』