お題『楽園』
「おはよう……フェネス……」
まだ眠い眼を擦りながら、今日も主様は目を覚ましてくださった。
明日もそうであってほしいし、明後日も、その先もずっと……。
だけど俺たちは主様と別の時間を生きている。俺は死ぬことはあれど不老の身だ。いつか主様を見送る日がきてしまうかもしれない。そう思ったら主様の最期が訪れたら、この命も燃やし尽くしたくなる。
——いけない。こんなことを考えていたら聡い主様のことだ。気づかれてしま——
「ねぇねぇ、フェネス。なにかかなしいことがあったの?」
ほら、この通りだ。
「いいえ、主様。何でもありませんよ。
そんなことよりも、今朝はレモンケーキにダージリンです」
主様はテーブルと俺を交互に何度か見ていたが、俺をちょいちょいと手招きして、だっこをねだってきた。
「いかがなさいましたか? 今日はいつになく甘えたですね……って、え?」
俺の髪を撫でながら、主様は幾度となく「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と呟いている。
「わたしも、フェネスもだいじょうぶだから」
はぁ……やっぱり主様には敵わないな。
「そうですね。主様のおかげで俺も元気が出てきました」
そう笑ってみせたら主様も満足そうに笑った。
腕から下ろした主様に本日の予定をお伝えする。レモンケーキを頬張りながら聞いている主様がたまらなく愛おしい。
主様がいてくださるここは、今日も楽園。
お題『今日の心模様』
(今回はいつもの幼女主ちゃんの話から離れます)
*****
本日の私のココロの景色は、【「曇のち曇、一時的に小雨」の中に立ち尽くした丘の上の一本の木】といったところか。
今朝は早くから家を出て、かかりつけの内科へ採血に。眠くて曇。
実はアタクシ、いっぱい病気を抱えています。
リンパ腫を筆頭に、子宮内膜増殖症、脊柱管狭窄症、脊椎側湾えとせとらえとせとら。
直近では風邪をひき、近所の総合病院で検査してもらった結果に納得がいかなくてかかりつけ医に。結果、気管支炎を起こしていたことが判明。
昼間は「あー、いっぱい病気あるなー」と思ってしょんぼりで曇。
夕方、朝採血した検査結果発表。
まず、痩せてください。検査結果に反映されています。
「はい」
心電図は異常ないです。
「はい」
HbA1cが……えっ?
「……身に覚えしかないです、先生」
1ヶ月後にMRIね。膵臓診るから。
「はい……あと先生」
何かな?
「喉にくっつくような違和感があるんですけど」
それは太ったからだね。痩せようか。
「……ふぁい」
会計待ちの間、小雨。
でも俯瞰して診ると、そんなに悪い人生でもないんですよ。不思議なことに。
立ち尽くした丘の上の一本の木は寂しいように見えて、実はさまざまなバクテリアやらなんやらに囲まれていて、それなりにわやわやと楽しくやっています。時には遠くの友達とヤッホーなんて言い合ったりして。
だから、今日はたまたまお天気が悪かっただけ。
待ってろ来月!
ほんのちょっぴり痩せて行くからな!!
お題『それでいい』
朝、屋敷の窓という窓を開けることから俺の一日は始まる。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込めば、ほんのりと薔薇の香りがした。眼下ではアモンが薔薇の手入れをしている。
2階の廊下の窓を開けるために主様の寝室のドアをノックした。相変わらずお寝坊をしているようだ。
「さあ、空気の入れ替えをしますよ」
そう声をかけて部屋に入れば、フェネスは主様の布団に突っ伏して寝ていた。飛び起きたフェネスの顔には布団皺と、口の端に涎の跡が。どうやら昨夜も主様の寝かしつけをしていてそのまま一緒に眠ってしまったようだ。
「は、ハウレス、おはよう……つい眠ってた」
「よく寝ていたみたいだな、フェネス。起きたついでに主様を起こして差し上げてくれないか?」
顔を真っ赤に染めて己の行動を恥じているフェネスだったが、俺はそれでいいと思った。主様はまだ10歳だ。ひとりで眠るのは寂しいだろう。
妹のトリシアが同じくらいの年頃だったとき、身を寄せ合い、寒さを凌ぎながら微睡んだのを思い出した。
お題『三日月』
主様、4歳の頃のこと。
その日はやたらと庭に出たがるので日焼け止めクリームを塗って差し上げれば、ぴょんぴょんぴょん、と裏庭に駆けていく。アモンがいて、お手伝いをしたい、主様にそんなことさせられないっす! という攻防戦をきっと繰り広げることだろう。
近頃の主様は、誰かのお手伝いをしたいお年頃らしい。昨日はナックの隣で主様専用帳簿を作ってもらい、数字を書く手伝いをしていた。その前の日はルカスさんのところで口に入っても安全な染料で着色した水を使い、化学変化について手伝っていらっしゃった。
さてさて、アモンのところでは何をお手伝いしているのだろうか。
様子を伺いに俺もそっと裏庭に行ってみた。
てっきりジョウロに汲んだ水を薔薇にあげているのかと思っていたら、どうやら違うらしい。地面に敷かれたストールの上にぺたんと座った主様はアモンとムーの3人で額を突き合わせて何やら手を動かしている。
「主様、何をなさっているのですか?」
「フェネスにプレゼント」
「え! 俺に……ですか?」
そこでようやく俺の存在に気づいたらしい。
おそらくは作業に夢中でついうっかり口から言葉がこぼれ落ちたのだろう。みるみるうちに目に涙を溜めて、それがまた悔しかったらしく袖でゴシゴシ擦った。
「あーあ、主様。そんなに擦ると顔が土まみれになってせっかくの美人が台無しっすよ。それに……」
アモンはそう言うとじっとりとした視線を寄越して、ヘラっと笑う。
「あ、主様、俺なんかにプレゼントだなんて、そんな……でも嬉しいです。それで、そのプレゼントとは……?」
「っく、ひっく、アモンのおてつだいでつくった、はなかんむり。フェネスに似合うといいなって」
そうか。アモンがよく花冠を作っては主様や他の執事たちに配り歩いているから、その手伝いをしようと思ったのか……。
「さぁ、主様。あとは端と端を繋げれば完成でよ……ほら、できました」
ムーの手作業を観察しながら最後まで作り終えた花冠は、花びらもかなり落ちているしフレームも歪だ。
「主様、こんなに素敵なプレゼントを、俺なんかがいただいていいのでしょうか?」
主様は何やら少し考えて、花冠と俺を見比べた。それから俺にしゃがむようにおっしゃると、それを俺の頭に乗せてくださる。
「俺に……似合いますか?」
それからさらに少し考えて、
「こんどはもっとじょうずにつくるから、まってて」
とおっしゃったが、ムーとアモンは、
「主様! 初めてなのにすごいですよ」
「またいつでもお手伝いに来てくださいね。俺は大歓迎っすから」
口々にそう言っている。
「俺にはこれも十分過ぎるほどもったいないのに……えぇ、次も楽しみに待っています」
俺の言葉に、主様はニコニコと笑い始めた。そう、まるで闇の中に降った雨空に浮かんだ三日月のように。
俺はその日一日を主様からのプレゼントの花冠をつけて過ごし、その後はそれをドライフラワーにした。
お題【日の出】
「日の出が見たい、ですか」
幼い主にそう言われて、ハウレスは困惑した。話をよくよく聞けば『フェネスが意地悪をして日の出を見るのは駄目だと言った』ということなのだけれど。
「主様、フェネスはおそらく遅くまで起きていて生活のリズムが狂うことはよくないと思ったからではないでしょうか」
しかしそんなことを素直に聞き入れるほどできた4歳児ではなかった。どうしても見たいと床を転げ回って駄々を捏ねる主に、ハウレスはこめかみを押さえた。
トリシアが4歳のときはどうだっただろう? そもそも日の出に興味など持っただろうか? それさえもあやふやだ。
主が泣き喚いていると、そこにフェネスが戻ってくる。シルバートレイの上には主の好物であるアッサムのミルクティー、そしてラズベリージャムをたっぷりとあしらった白い物体が乗っていた。
「主様、おやつはミルクティーとお餅ですよ」
おもち、という単語に、主はバタつかせていた手足の動きを止めた。
「早く召し上がらないと固くなります」
フェネスがテーブルにセッティングをしていると泣き腫らした目を擦りながら起き上がった。
「おい、フェネス」
部屋の片隅にフェネスをごく小声で呼んだハウレスが、なぜ主がそこまで日の出にこだわっているのかを訊ねた。
「前の主様の世界には『初日の出を拝むとその一年が良い年になる』という言い伝えがあるらしいって、読み聞かせていた本に書いてあったんだ。それで興味を持ったらしいんだけど……主様がそんな時間まで起きているのがそもそも無理だし、それに風邪をひいてしまったら大変だからね。だから変に期待を持たせるよりもいいかなって」
なるほどと、ハウレスは納得した。それにしてもフェネスにしては手厳しい気がする。
「お前がそこまでムキになるのも珍しいな」
「え……そうかな」
「いや、気のせいだったらすまない。
主様、それでは俺はここで」
ハウレスはムニョーンと餅を伸ばしている主の額に口づけをひとつ落として退出して行った。