お題『今一番欲しいもの』
※多忙につき一旦保留
お題『私の名前』
主様がだいぶ言葉を覚えた頃のお話。
「ねぇねぇ、フェネス」
それまで床にベタ座りをしてお絵描きに夢中だった主様。赤い丸を画用紙いっぱいに描いていらっしゃって、それが俺だと分かったのは数年後の話だった。そのことを知った時には胸がいっぱいになるほど嬉しかったものだった。しかし当時は屋敷中にボスキが飾ったアモンの育てた薔薇だと思い込んでいた。
その日も赤い丸をたくさん描いていたけれど、その手を止めて俺を見上げてきた。
「わたし、なんで***ってなまえなの?」
名前は前の主様、今の主様のお母様がつけたものだ。俺はそのときのことを日記に書き留めていて、一字一句覚えている。
「最初のひと文字はお母様のお名前から取ったものだと聞いています。みのり多き一生を送れますように、という意味だそうですよ。
ふた文字目は希望に満ち溢れた毎日でありますようにに、最後の文字は日だまりのような暖かい人でありますように……とお聞きしました」
説明を聞きながら主様は俺の顔をずっと見ていたけれど、次の瞬間「うーん」と頭を抱えてしまった。
「フェネスのことば、むずかしい……」
ああ、一度にすべては理解できなかったか。俺は主様になるべく視線の高さが近づくように、無駄に大きな身体を折りたたんだ。
「主様が素敵な女性に育ちますように、という意味ですよ」
笑顔で伝えれば、主様もくふくふと笑った。
主様がもう少し大きくなったら、もう一度伝えよう。
……しかし、大きくなった主様はとんでもないことを言い出すのだが……。
それはまた、別の機会に。
お題『視線の先には』
※体調不良につき少し寝かせます
お題『私だけ』
アモンに言われて主様の部屋に行く。
ドアの前に立ち、なぜか緊張していることに気がついた。深呼吸を3回したけれど、俺の手のひらはびっしょり汗をかいている。
意を決してノックをすれば中から「誰?」と主様の声が聞こえてきた。
「俺です、フェネスです」
「どうぞ入って」
今朝まで俺を避けて回っていたのに、どういった風の吹き回しだろう? も、もしかしたら本格的に俺に暇を出すおつもりなんだろうか……だったら嫌だ……。
胸の中にいろんな思いがグルグルと渦巻いていくけど、主様を待たせるわけにはいかない。俺はドアを開いた。開けた途端に濃厚な花の香りが俺の鼻の奥を満たしていく。
「フェネス、早くここに座って」
いつも主様が座っている椅子、その背もたれの後ろに主様は立っていらっしゃる。
「……はぁ……?」
疑問はあったけれど、今は言われることを素直に聞いておいた方がいいだろう。俺は小さな椅子に身体を押し込んだ。
ぽふ、と頭の上に何かを乗せられた。
「ふふ、やっぱりフェネスによく似合う」
手鏡を取り出して覗き込めば、それはピンクの薔薇の花冠だった。
「あの、主様? これは……?」
意味が分からず目を白黒させている俺に主様は「お礼」と言う。
「お、お礼? 何のです?」
「私が生まれて明日で11年。それまでほとんどずっと私のお世話ばかりを焼いてくれたでしょ。だからね、フェネス、ありがとう。アモンに教えてもらってリースと、ドライフラワーをあしらった額縁も作ったの……って、フェネス? どうしたの?」
俺は泣いていた。泣きながら、主様の心根を少しでも疑った自分を呪った。こんなに素敵に成長なさったのに……俺は、俺のことしか考えていなかった。
「すみません、俺、てっきり主様に嫌われてしまったかと思って……うっ、うっ」
すると主様は決まり悪そうに「ごめんなさい」と頭を下げる。
「そ、そんな、主様は何も悪くないです!」
「でも、フェネスを振り回して傷つけた。だから、ごめんなさい」
ああ、主様は一体いつの間に、こんなにも素敵に成長されたのだろうか。
その日から、2階の執事室のドアにはリースを、俺の机には主様をスケッチした絵を入れたフレームを、それぞれ飾った。
それは、俺だけの特別な話。
お題『遠い日の記憶』
コンサバトリーで、赤ちゃん用の靴下やミトンを編んでいらっしゃる主様のお世話をした。
担当執事は俺なのに、よくフルーレを呼んでは主様は裁縫談義に花を咲かせていた。時々ナックも立ち寄って刺繍の話をしていくこともあった。
俺だって裁縫関係の本に目を通したことがある。でも、実際に針を持つことはほとんどないし……。これが嫉妬という感情だと気づいた時には居た堪れなくなって「少し席を外します」と言いかけた。しかしそこで主様に呼ばれた。
「ねぇ、フェネス」
「……なんでしょうか、主様」
感情を押し殺した笑顔でお応えすれば、ちょっとこっちに来て、と手招きされた。一歩二歩と近づいたところで右手を取られ、そのまま主様は自分のお腹にあてがった。
「あ、ああ、主様!?」
「ふふふ、そんなに慌ててたら赤ちゃんがびっくりしちゃう」
手のひらに、ぽこん、ぽこん、と何かが当たった。
「今日は相当ゴキゲンなのかしら。よくお腹を蹴ってるの」
そのままくすくす笑いながら、この子は幸せ者ね、とおっしゃった。
「生まれた時からとんでもないイケメンがいるんだもの。しかも博識でこの上なくやさしいときた。他の男なんか目に入らないわね、きっと」
「そ、それは……」
まさか俺のこと? そんな馬鹿な! でも主様は俺に向かってにっこり微笑んだ。
「とんでもないお転婆母娘だけど、よろしくね」
ああ、主様。今あなたの掴んでいるその手の持ち主は、とんでもなく矮小で、醜い感情の塊なんです。なのにそんな風に……。
「そんなことはないです。俺の方こそよろしくお願いいたします」
嫉妬の塊を飲み込んで、俺は今日も和やかな仮面を貼り付けた。
「……さん、フェネスさん」
過去の日記を読み返しながら、やはり俺はあの頃と何も変わっていないと凹んでいたところだった。
そこに今の嫉妬の対象が書庫にやってきて俺のことを呼んでいる。
「どうしたの、アモン」
咄嗟に笑顔を貼り付けて、何でもないかのように振る舞う。こういう癖がついてしまったのは一体いつからだろうか。
「主様が呼んでるっすよ」
「え……主様が? 俺を?」
一方的に俺に休みを出し、アモンにべったりだった主様が、今更何の用だと言うのか。
俺の心中に気づいているのかいないのか、アモンはへへっと笑っている。
「早く行ったほうがいいっすよ」
「え? あ、うーん?」
事態が飲み込めない俺の背中をアモンがほらほらと押してきた。
「いいっすか、フェネスさん。これで貸しひとつっすからね」
よくわからないけれど、俺は急かされるがままに主様の部屋へと向かった。