お題『遠い日の記憶』
コンサバトリーで、赤ちゃん用の靴下やミトンを編んでいらっしゃる主様のお世話をした。
担当執事は俺なのに、よくフルーレを呼んでは主様は裁縫談義に花を咲かせていた。時々ナックも立ち寄って刺繍の話をしていくこともあった。
俺だって裁縫関係の本に目を通したことがある。でも、実際に針を持つことはほとんどないし……。これが嫉妬という感情だと気づいた時には居た堪れなくなって「少し席を外します」と言いかけた。しかしそこで主様に呼ばれた。
「ねぇ、フェネス」
「……なんでしょうか、主様」
感情を押し殺した笑顔でお応えすれば、ちょっとこっちに来て、と手招きされた。一歩二歩と近づいたところで右手を取られ、そのまま主様は自分のお腹にあてがった。
「あ、ああ、主様!?」
「ふふふ、そんなに慌ててたら赤ちゃんがびっくりしちゃう」
手のひらに、ぽこん、ぽこん、と何かが当たった。
「今日は相当ゴキゲンなのかしら。よくお腹を蹴ってるの」
そのままくすくす笑いながら、この子は幸せ者ね、とおっしゃった。
「生まれた時からとんでもないイケメンがいるんだもの。しかも博識でこの上なくやさしいときた。他の男なんか目に入らないわね、きっと」
「そ、それは……」
まさか俺のこと? そんな馬鹿な! でも主様は俺に向かってにっこり微笑んだ。
「とんでもないお転婆母娘だけど、よろしくね」
ああ、主様。今あなたの掴んでいるその手の持ち主は、とんでもなく矮小で、醜い感情の塊なんです。なのにそんな風に……。
「そんなことはないです。俺の方こそよろしくお願いいたします」
嫉妬の塊を飲み込んで、俺は今日も和やかな仮面を貼り付けた。
「……さん、フェネスさん」
過去の日記を読み返しながら、やはり俺はあの頃と何も変わっていないと凹んでいたところだった。
そこに今の嫉妬の対象が書庫にやってきて俺のことを呼んでいる。
「どうしたの、アモン」
咄嗟に笑顔を貼り付けて、何でもないかのように振る舞う。こういう癖がついてしまったのは一体いつからだろうか。
「主様が呼んでるっすよ」
「え……主様が? 俺を?」
一方的に俺に休みを出し、アモンにべったりだった主様が、今更何の用だと言うのか。
俺の心中に気づいているのかいないのか、アモンはへへっと笑っている。
「早く行ったほうがいいっすよ」
「え? あ、うーん?」
事態が飲み込めない俺の背中をアモンがほらほらと押してきた。
「いいっすか、フェネスさん。これで貸しひとつっすからね」
よくわからないけれど、俺は急かされるがままに主様の部屋へと向かった。
7/17/2023, 12:05:27 PM