お題『空を見上げて心に浮かんだこと』
主様からお休みを申しつけられて三日が経った。主様の部屋の前を通りかかると中から鈴を転がすような笑い声が聞こえてくる。時折アモンが主様に何か言っているようだけど、主様は決まって、
「そーゆーのは本当に大事なひとができてからにした方がいいと思うよ」
といなしている。
ふと室内の音が途切れて、俺は自分が聴き耳を立てていたことに気づいた。
他の執事に主様を取られてしまった、その思いがグルグルと頭の中を渦巻いていて、嫉妬のあまり目眩がしそうだ。
……こういうときはトレーニングに限る。俺は2階の執事室に戻ってトレーニングウェアに着替えた。
屋敷近くの湖まで走り込み、そこで主様とボートを浮かべて遊んだことを思い出してまた凹んだ。こんなことじゃだめだ。自分を叱咤して屋敷まで過去最速のスピードで駆け戻り、そのままハウレスを付き合わせて腹筋、背筋、腕立て伏せ……。
身体を酷使して芝生の上に仰向けに寝転べば、青空にのしかかってくる積乱雲が目に入ってきた。
そういえば、以前、主様は街の子どもたちに読み聞かせるための絵本を作っていらしたな……。
『遠くで雷が鳴った。
大きな、大きな、もくもくとした雲がのっしのっしと近づいてきて、頭の上で泣き出した』
間もなくして雷が鳴り始め、辺り一面に雨の匂いが立ち込めてきた。
……はぁ……俺の方が泣きたいよ……。
お題『終わりにしよう』
※疲労困憊につき、少し寝かせます。
お題『手を取り合って』
パカラ……パカラ……。
書庫にまで響いてきた蹄の音に、馬車が屋敷の前に停まったらしいことを知る。出かけていた主様のお出迎えに行こうと思い、椅子の背に掛けておいた燕尾服に手を伸ばして、そういえば休みを申しつけられていたのだと思い出した。
俺が行くのは不自然かな……でも俺はつい今朝まで主様の担当執事だった。その俺が顔を出したところで別に何も不都合はないだろう。
そう思ってもう一度燕尾服に袖を通してエントランスに向かった。
それはやはり主様の馬車だった。アモンに手を取られて下車する主様の姿に胸の奥がズクリと疼く。
「お帰りなさいませ、主様」
気を取り直して恭しく頭を下げると、主様はなぜかアモンの背後に隠れてしまった。
「フェネスにはお休みしてって言ったじゃない! なのになんでここにいるの!?」
アモン越しに怒っている主様を見て、俺は咄嗟に奥歯を噛み締めた。いけない、泣いては。涙で主様の興味を一時的にでも引こうなんて、それじゃあ俺はますます卑怯者になってしまう。
「主様、その言い方じゃフェネスさんが可哀想っすよ」
「でも……」
「それに、そろそろお茶の時間っす。コンサバトリーにご案内するっすよ。オレのオススメがちょうど見頃なんで」
主様はまだ何か言いたげだったけれど「まぁいい」と言って、またアモンの手に手を重ねた。
主様をリードするのは俺だけだと思っていたのに。
主様がアモンとコンサバトリーに向かうのを見届けると、俺はその場に蹲った。
お題『優越感、劣等感』
主様の担当執事として、これほど身に余る光栄はないと思う。主様は俺があやせばすぐに泣き止むことが多かったけど、喃語を卒業して少しずつお話ができるようになる頃には完全に俺にべったりで、他の執事たちが担当することはまずなかった。
——主様唯一の担当執事——
俺は、ずっとその優越感に浸っていた。
それなのに。
主様が11歳の誕生日をお迎えになる数日前のこと。
「おはようございます、主様」
てっきりまだねぼけまなこだろうと思っていたのに、主様は既に外出用のワンピースに袖を通していて、窓を少しだけ開けて外を見ていた。
「……決めた」
何を決めたというのだろう? 俺が口を開くよりも早く、主様はこちらを振り向いた。
「今日からしばらく担当執事はアモンにしてちょうだい」
あまりにも急なことすぎて思考が追いつかない。一体主様は今何とおっしゃった?
「アモンと街までお出かけしたいの! 今日からしばらくフェネスはお休みしてていいから」
主様は再び窓の外に目を向けた。視線を追うと庭の草花に水遣りをしているアモンの姿があった。
もしかして、これは事実上の更迭というやつなのか?
俺……主様に嫌われるようなことを何かやったかな? 記憶を探ってもこれと言って思い当たることが……うう、ありすぎる。というかそもそも俺なんかを今まで担当にしてくださっていたのが不思議すぎる。
暇を言い渡された俺は書庫の整理をしつつ、ふとバルコニーから外を窺った。
そこには、仲良く馬車に乗り込もうとしているふたりがいて、それ以上見ていられなくて書庫の奥に引っ込んで嗚咽を噛み殺した。
お題『これまでずっと』
他の執事たちでは泣き止ませることができなかった赤ちゃん主様。なぜか俺があやすとぴたりと泣き止むものだから、自然とそのまま主様担当執事に俺は選ばれ、以来十年近くお育てしている。
一緒に出かけることをデートという主様だけど、街の人たちからはよく父娘に間違えられている。俺と主様は実の親子よりも、もしかしたらずっとずっと愛し愛されているかもしれない。
俺はこれまでずっとそうだったように、その幸せはこれからも続いていくものだとばかり思っていた。
——そう、主様が反抗期に入るまでは——