入道雲が、大昔に退治された巨人の成れの果てとかだったらおもしろいのに。人間に火葬された煙がそのまま雲になって、地上に稲妻を走らせたり、大雨を降らせたりしてなお人間を困らせる。
それか、神様が雲をぐるぐると掻き回して日本をつくったときに余った切れ端とか。積乱雲ともいうし。積み重なってる乱れた雲。
夏の青空をみっちり埋めて、ザーザーゴロゴロ荒れるとにかく巨大なそれを見ながら、あーさすが、
国になり損ねた雲だねって思えたらおもしろい。
夏の間だけ。
夏と秋がゆきかう空の通い路には、どちらかに涼しい風が吹いているのだろうか。
あなたとサヨナラのキスをしたとき、遠い昔の故人が詠んだ、そんな詩を思い出した。
まだ夏の真ん中で、まるで秋空の上澄みをすくったような風が夏草を揺らしていた。
その心地よさを頬で感じながら、私は深く瞼を閉じる。ああそうか、と思った。
季節は一方的に過ぎ去ってゆき、とどまることを知らないのだ。
ひと夏の恋とはいうけれど、これであなたと逢うことはないという予感も、ある意味で必然的なのかもしれない。
私は刹那を生きる夏虫で、燃える火に飛び込み身を焦がす。はたまた、水草のかげから月をみる川底の魚。にぎやかで、儚くて、命の影が濃い。
何もかもがキラキラと輝いているから、
よけいに切ない。
あなたの唇がはなれてゆき、
夏の匂いを遠くに感じる。
タイムマシンは成功した。
長い時間旅行から帰ってきたとき、世界は薄桃色の底にあった。夜明けと朝焼けがないまぜになった
海がしずかに揺らめき、透明な光に溺れている。
死んでしまった君の姿を追いかけて、もう時間の
感覚もなくなるくらいの旅をした。
僕にとっては、物事の最初も最後もないようなものだ。タイムマシンさえあれば、いつでも朗らかな君の姿をみることができるから。
君がまだ元気で、僕の隣にいた頃。僕たちはよく
小さな夜空を観察した。
夜鷹の声が笛の音のように響いて、流れ星は夜の縁を永遠に描いていた。
昔から記憶力は抜群によかった。僕のあまりに細やかな記憶に、君もいつか笑っていた。
それなのに今、僕の瞼の裏に浮かんでくるのは
およそ地球のどこでもみられるであろう景色ばかり。これからもいつでも観られる、そんな夜。
美しい世界をひとしきり眺めて、再びタイムマシンにのりこんだとき、ふいに涙がおちた。
君と最後に会った日は、もう思い出せない。
君はとにかく横暴で、ガサツを絵に描いたような
人間だった。
上級生と喧嘩ばかりしているから、日に焼けた顔はいつも擦り傷だらけで、人の心配も笑い飛ばす。
正直君のことは嫌いだった。周囲から優等生といわれて、日々平穏を心がけている私の杞憂を、君は
豪快に丸めて放り投げてしまう。
それなのに中2のとき、私は君と、職場体験で老人ホームに行った。問題児の君と、優等生の私を先生は組み合わせるしかなかったのだ。
流れる汗も乾くような暑い日だった。
老人ホームの中庭を掃除しているとき、いつも乱暴に動く君の手が、ふととまっているのに気がついた。
うだる暑さに目を細めて、植木鉢いっぱいに溢れる真っ赤なハイビスカスを、君はじっと見つめていた。ハイビスカスなんて、別に珍しい花でもないのに。
「俺、小学生のとき、沖縄に住んでいたんだ。」
君の呟きに、私は「そう」とこたえた。君の出自になんて興味がなかった。
でも次の瞬間、その腫れぼったい瞳から流れ落ちるものをみて、私はぎょっとした。
ぽろりぽろりと、海の雫が落ちてゆくみたいに、
君は涙を伝わせていたのだ。人はこんなにも静かに泣けるものなのかと、私は息を呑む思いで見つめることしかできなかった。
結局、それから私たちは終始無言で、特に何事もなく職場体験は終わった。中3になると君とクラスも離れて、涙の理由もわからないまま、あれからもう関わることはなかった。
高校の修学旅行で初めて沖縄に行ったとき、
あの華やかな花たちがお墓にばかり咲いていてたのには驚いた。
ハイビスカスの花びらにそっと浮かぶ朝露は、あの日どうしてか泣いていた、君の涙のようだった。
雨の夜は、どこもかしこもきらきらと、妖しい光に満ちている。雨で銀色にそまる歩道を、ひとりじめにするのが私は好き。
だから君の傘の下は、息苦しくって溺れそう。
いつもはみえない透明な膜が、私たちを包み込んでいるのがわかる。
いっそのこと傘をとじて、この雨の夜に飛び出そうよ。2人で本当に溺れてしまうのが気持ちいい。