何かの間違いで、誰か1人だけが生き残ってしまわないことを祈る。
はじまりが不平等であっても、終わりは等しく訪れて欲しい。
それに、皆それぞれの祈りを抱いて消えていくというのなら、世界の終わりは、世界がはじめて1つになるひとときを与え得るのかもしれない。
たった1人、終わったあとの世界をみるのは辛いだろう。
君と出会ってから、私は君に愛されることだけを望んで生きてきた。
「君はいったね?いつか必ず迎えに来ると」
「ええ。」
「どうしてあの時、私を突き放してしまったんだ。何年も、何年も何年も、私はただ君だけに焦がれてきたというのに。私はもうすっかり年をとってしまった。」
「ごめんなさい。」
骸骨のように肉の削げた私の手を、彼女はしっとりと握る。ああ、私はこの時をずっと待ち望んでいたのに。
「あなたは、私を愛してしまってはいけなかったのよ。」
次の時には、彼女の姿は跡形もなくなっていた。妖しく、さみしげな笑みを残して。
霧で閉ざされた意識が戻ったときには、私はすでにベッドの上で、そこには、もう二度と見ることのないはずであった妻と友人たちの顔があった。
「ああよかった……気がついたのね。」
「まったく運のいいやつだ。あんな崖から飛び降りておきながら、木の枝に引っかかって助かるなんて。」
安堵めいたため息が、蜘蛛の巣のように私を包みこんでゆく。
私はまた、君に愛されなかった。
アネモネは風の花。
風が花を咲かせたかとおもえば、次の風が花を散らしていく。誰かがそんなことを言っていた。
もう5月だし、今日は病室もじんわりと暑い。
アネモネは、とっくに連れ去られていってしまったんだろうな。春色に染めあがった蝶々みたいで、きっと綺麗なんだろう。
#今日の心模様
地平線てのは、どうしてこうくっきりとその境がみえるんだろう。
遮るものがないというだけで、地球の輪郭はいとも容易く僕らの前にあらわれる。
僕が生まれ育った、空をつくようなビルばっかりの都会じゃまず見られないものだから、僕は今はじめてそれを目の前にして、何だか生まれたての赤ん坊のような気分にさえなった。
もちろん赤ん坊の頃の記憶なんてさらさらない。けれど、お産室の汗と血と、風と土と母親の匂い、それらが入り雑じる地上の空気をはじめて吸い込んだほやほやの赤ん坊は、きっとこんな気持ちだったのに違いない。そう思えた。
「そんなに一生懸命に、何みてるの?」
何の情緒もなく、母さんが話しかけてくる。小屋みたいなサービスエリアから戻ってきて、僕の立つ展望台まで登ってきたのだ。
「ほーんと、何もないところねぇ。」
それは母さんのいう通りだった。僕たちのこれからの新天地は、神様が緑の絵の具だけを蒔いたみたいな田畑ばかりの、見事な地平線以外は本当に何もない土地だった。
ああでも、地平線と空がくっつきそうなところに、小さな川が流れているような気もする。その狭間から、何かが産まれるようにキラキラと光っているから。
「何もない。」
僕は呟いた。別に、母さんに向かっていったわけでもなく、かといって独り言のつもりもなかったけれど。
「何もないよ。」
僕がもう一度呟くと、母さんは穏やかに応えた。
「そうか。」
僕と同じ方向へ目線を向けたまま、きっと、その目尻はやさしく緩んでいるのだと思った。
「楓は『何もない』をみてるんだ。」
小鳥のような風の音と混ざって、何だか、嬉しそうな声だった。
「大切なことだね。」
背後から父さんの声が聞こえる。僕たちを呼んでいた。父さんはここに上がってくる気はなさそうだ。引っ越しの荷物運びに慣れない土地の運転で、疲れているのだ。
「今晩は父さんに、ビールだね。」
母さんは笑って、展望台から降りていった。僕も母さんの背中に続こうとして、また、地平線のほうを振り返った。そっと目を閉じてみる。
夏のわりには少し冷たい風を感じる。耳を抜けて、僕の体内に染み渡る。何もない、緑と水と、光の匂い。
僕らはこれから、この大地に根を張って生きていくのだ。地平線を彩るこの緑のように。
抜けるような青空と白い雲、小さくなった母さんの背中を、追いかけた。
突然に逝ってしまうから。と思っていたけれど
もう長くはないこともわかっていた。まったく予測のできないことではなかった。
お見舞いには1回しか行っていない。管に繋がれて、瞳の焦点が合わないあなたが、現実なのだとわかってしまうことが怖かった。私は命と向き合えなかった。
ありがとう、なんて言葉で伝えきれるのなら、こんなに苦しい思いはしない。
でも、私はきっと、私が抱えているものより深く淋しい思いをあなたにさせてしまった。
焦点を合わせていないのは、私のほうだった。
そんな私が、あなたにできることはもう何もないから
あなたに伝えたかった「ありがとう」は、これからも誰かに返していくしかない。